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ラヴェンナ(1)パクス・ロマーナ、ローマ劫略、ゴートCオリンピック。国とは?その35―閑話休題(再三) [2007年01月19日(Fri)]

<承前>

バイロンは都合2年7ヶ月の滞在を経て、ベニスを去り、その南、Aceto Balsamico (Balsamic vinegar) バルサミコ酢やProsciutto (Parma Ham) プロシュートなどで知られる現在のEmilia-Romagna エミリア・ロマーニャ州(州都:Bologna ボローニャ)の、アドリア海に近い、Ravenna ラヴェンナに移りました。

バイロンのラヴェンナを続ける前に、ラヴェンナについて簡単に紹介します。

干潟であったラヴェンナは干拓され、最初は紀元前89年にはローマの都市として造成され、その後、紀元前27年にはローマの初代皇帝、Imperator Caesar Divi Filius Augustusアウグストゥスが郊外のClasse クラッセにClassis (ローマ海軍)の2大船団のうち東地中海を管轄するClassis Ravennatis船団の軍港として開いてから本格的に栄え始めます。地中海がMare Nostrum われらが海、或いはMare Internum 内なる海と名実ともになり、Pax Romana ローマの平和 が始まりました。

ローマ帝国の最終的な東西分割の結果、395年にはじまった西ローマ帝国初代皇帝 Flavius Augustus Honorius フラヴィウス・アウグストゥス・ホノリウスは、東ゲルマン族の一部でドイツ平原の古民族の主要2族のひとつであるVisigoth 西ゴート族Hun フン族の圧迫を受けた結果、イタリアへ侵入したことに恐れをなしました。その結果この暗君は、ミラノから、湿地であり堅牢なこの地に404年に遷都し、つまりラヴェンナは西ローマ帝国の首都になりました。ラヴェンナから帝国を防衛するのは無理もあり、イタリア半島のあちらこちらに侵入や反乱が続き、かつての首都ローマもついに410年8月24日、800年間の不落から、西ゴート族のアラリックAlaricによってはじめての「ローマ劫略」を経験します。ローマ帝国の根本が崩れ始めました。

下って476年にはRomulus Augustulus ロムルス・アウグストゥルスを廃位に追い込み最後の西ローマ皇帝とした、傭兵隊長、Odoacer オドアケルrex Italiae =king of Italyイタリア王としてラヴェンナをイタリアの首都にしました。ゲルマン人に信仰者の多かったアリウス派のキリスト教徒でもあったオドアケルによって、「中世」が幕開けしました。

<続く>

バイロンの足跡をたどる記事は最初はここから開始しました。
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