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バイロンと動物(6)ベニス、ローマ、イスタンブール、ルクソールCオリンピック。国とは?その32―閑話休題(再三) [2006年12月11日(Mon)]

<承前>

このサンマルコに納まったブロンズの馬の出自についても諸説あります。元々この馬はConstantinople コンスタンティノープルHippodrome ヒッポドローム=馬術競技場跡がらベニスに運ばれたものです。運搬するのに大きすぎるので、頭部が切り離され、再び接合したことを隠すため不自然な首輪がついているとの説もあります。

このヒッポドロームの建設は203年ローマ皇帝セプティミス・セヴェルスByzantion ビュザンティオンの時代に始まり、330.05.11、ビザンチン皇帝コンスタンチヌス大帝がここをローマ帝国第二の都と宣言(ノウァ・ローマ(新しいローマ)と改称したが普及せず、大帝死後にコンスタンティノポリスに改称)した式典がここで開かれることによって完成したものです。U字形のトラックの周囲には40列の席があり3〜4万人を収容し、馬にひかれる戦車競技だけでなく、集会場や処刑場としても利用されていたといわれます。ヒッポドローム以前のブロンズの馬の経歴ぐらいから、諸説あります。大方のところ、古代ギリシアで鋳造されものを,後にローマの凱旋門上(国のローマか都市のローマか諸説ありますが)に、さらに、コンスタンチノープルに運ばれてヒッポドロームにおかれたものともいわれています。

このヒッポドロームにはTheodosius Obeliskテオドシウス オベリスクといわれるオベリスクが現存しています。元々は、それこそは、「エジプトのナポレオン」と呼ばれるMenkheperre Thutmose III トトメス三世が紀元前1547年の戦勝を記念して、古代のThebes テーベ(現ルクソール)のTemple of Karnakカルナック神殿のためにつくらせたものが、4世紀になって、ビザンチン帝国の皇帝コンスタンティウス2世により、一旦アレキサンドリアに、その後、コンスタンチノープルのマルマラ海岸に置かれ、さらに、390年、東ローマ帝国のTheodosius I テオドシウス一世がヒッポドロームのトラックの回転標として移設したものといわれます。ブロンズの馬の出自に諸説があっても不思議ではないものです。

<続く>

バイロンの足跡をたどる記事は最初はここから開始しました。
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