承前
前回、紹介した、コロナ・ウィルスという言葉の誕生した記事の投稿には納まりきらなかった、本文の後の注、解説を今回一記事にするつもりでしたが、これすらも長くなり、とりあえず、幾つかに分解することにしました。
全ての前に、ウィルス学の根幹である、「ラテン語」に倣って、新たな意味を持たされ、今なお「展開」を続ける「 Virus ウィルス」から派生した膨大な諸語彙に今回は触れます。作業をしていて、どうしても、この根幹に戻ってしまうことも多いからです。ちょうど、それらをまとめ、13年前2007年に発表された論文から紹介します。(その後、現在は変化した点もあるかと思います)
(なお、ウィルスという片仮名表記については、昔は、小さい「ィ」と大きい「イ」、或いは「ヴィ」が乱立していましたが、学界関係者の間では大きい「イ」を使うことが一般化したようですが、本稿では、日本のテレビや国会等での一般に多く流通していると思われる発音に即し、小さい「ィ」を使うことにしました。一方、派生語の多くは「ビ」で記載しましたますが、多用されていると思われるものを使用しました。)
もとより、このコロナ・ウィルスの「語源」を巡る稿は、疾病という命に関わることであり、細心の注意を払っているつもりです。
前回のように、とりわけ、他所から分かり易くみえる命名「手順」等に比べて、「内容」に触れるものについては、困難を感じています。出来得る限りの多くの資料を探し、比較・検討、見当といった作業の按配つけているものの、注意深く紹介するのに時日を要しましたが、間違いや誤解をご指摘いただければ幸甚です。
筆者にとって、わずかの間、垣間経験した電気数学、応用数学のような「演繹的」「閉鎖的」で、なおかつ広範な共有を前提とするが領域での実感に比べ、今回の生物学のような「帰納的」「開放的」な領域の、さらに専門化、細分化され、それほど多い数ではない密集している人々の間で使われてきた言語の中での、錯綜した、語源、語の系譜、語の使用法、等々への理解は困難を極めるものと、今更ながら、感じています。逆に言えば、それらが、人間味溢れ、魅力的になることもまゝあります。
しかしながら、今回は、書き進んでは関連付け、改めるという作業の連続で、一科事典になるかもしれないと思うほど、限りがみえません。理解していると思っていたとはいえ、嘆息せざるを得ません。
まだまだ、ウィルス自体が、人類が直面してから歴史が浅いながらも、専門的(因みに「専門家会議」を厚労省ではspecialist やprofessionalではなくexpertを使用している)な、ときに不可侵のようなものであるといわれています。一方、今回のCOVID-19にいたって、それらの言語群が、個人や社会、生活に強く関わるものとして、筆者を含めて、多くの非「専門家」が参入し、さらには政治の世界にまで及んで、多用される「言語」になっています。突如巷に溢れ始めた、「集団的免疫」「クラスター」等をみるにつけ、多義性・異義性が整理されることなく、それぞれに勝手に理解されたまま進むことに、危うさをますます感じている次第です。
以下、この論文の一部について掲載し、拙訳・解説を施します。
(本稿では
@引用している原文をArial Unicode MS の太字黒色で、
Aそれらの筆者の拙訳・抄訳は《》内の、HGP又はHGS教科書体の斜体濃紺色で、
B筆者の解説・感想等は《》内の、HGP又はHGS教科書体メディウム・濃紺(赤)色で、
記載しました)
http://www.stsn.it/serB114/16_battaglia.pdf 《引用研究論文のURLです》
Atti Soc. tosc. Sci. nat., Mem., Serie B, 114 (2007) pagg. 141-153, tabb. 3
《「Atti della Societa Toscana di Scienze Naturali, Memorie Serie B トスカーナ自然科学会報、備忘録シリーズB」というイタリアの科学誌 (http://www.stsn.it/en/pubblicazioni.html)》
Virology: terms and etymology《ウィルス学:述語と語源》
E. Battaglia
《Emilio Battaglia (1917–2011):植物細胞学、発生学、遺伝学、述語を専門、本稿引用にも彼の述語に関する論考が7件列挙されている。https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/11263504.2012.712553?needAccess=true&journalCode=tplb20
Department of Biology, Botanic Garden and Museum, Pisa, Italy
《イタリア、ピサ、(ピサ大学付属)ピサ植物園・博物館・生物学部》
《ピサ植物園はメディチ家のCosimo I de' Mediciコジモ1世(1519/06/11 – 1574/04/21)、初代トスカーナ大公の後ろ盾で、最初のハーブの標本集を作ったLuca Ghiniルカ・ギーニ(1490 – 1556/05/04)によって1544年に開かれた世界最古にして名声のある大学/学術植物園。
ピサ大学はペストが全欧を覆う数年前の1343/09/03 に開かれ、トスカーナで文教都市として命脈を保ったピサの代表的施設。惣領冬実の未完の力作『チェーザレ 破壊の創造者』で描かれているように、だろうか、チェーザレ ボルジア(Cesare Borgia、César Borgia、Cèsar Borja、1475/09/13 – 1507/03/12)のような権力・権威の有力者の子弟が通い、将来の覇の競い合いを予行していたことを十二分に想像させる名門校。あのGalileo Galileiガリレオ・ガリレイ(1564/02/15 – 1642/01/08)も、ピサに生まれ、1589年には数学の教授になった。伝説的な彼のピサの斜塔での実験はこの頃とされる》
《本論文は13頁、英伊両語によるアブストラクト・キーワードの後、以下の序章となっている》
Introduction《序章》
、、、I wish 、、、to point out the linguistic weakness and disharmony of the present virological terms、、、However, a few preliminary considerations should be advanced. First, I realize that scientists, fully engaged in the experimental research, do not have time for terminological questions nor can they be enthusiastic for a criticism which can be, at a first glance, defined only as a linguistic exercise. Moreover, if they do not have a wide humanistic background, they may disregard any terminological problem.
《、、、現在のウィルス学用語の言語学的な弱さと不協和について指摘したい、、、と思う。しかしながら、いくつかのことを予め考慮に入れておかねばならないと思う。第一に、科学者は、実験研究に全面的に関わっているため述語問題に関わる時間がないし、第一印象では言語学的な演習にしか理解できないかもしれない批判にあまり夢中になれないであろうことだと思う。それよりも何よりも、彼らが人文的な背景を持たないろしたら、述語問題に気づかないかもしれない、、、》
Second, since often the scientific excellence of the authors covers instances of linguistic weakness, in such cases the criticism might also be misinterpreted or, at least, discouraged.
《二つ目に、書き手の科学上の素晴らしさが、往々にして時に言語的弱さをカバーするため、批判は誤って解釈されるかもしれなくとも、抑え込まれるだろう》
Third, since the modern scientific dictionaries usually do not quote obsolete or old terms, such a simplification, together with the lack of detailed and comprehensive terminological accounts in the current literature, may result in a bona fide reinvention of terms already proposed in the past. This is, for instance, the case with the terms centromere, chromatosome, dictyosome, karyosome, nucleosome, cryptopolyploidy, etc. (cf. Battaglia, 1993-2003).
《第三に、現代の科学辞典では通常、廃れたり、昔使われていた述語については掲載しないし、そうした簡略化は、現代の最新文献での詳細と包括的な述語の説明が欠落したことと相俟って、過去に提案された用語を違った意味で朴訥に提案する事態を招来しているかもしれない、、、》
Fourth, it should be firmly established that a simple variation of the spelling of a term does not justify any change of its definition or a reinterpretation. This is, for instance, the case of the couplet chromonema (Vejdovsky, 1912) and chromoneme (Whitehouse, 1969) quoted by the McGraw-Hill Dictionary of Scientific and Technical Terms (1994, p. 370) as follows: ≪chromonema (CYTOL). The coiled core of a chromatid, it is thought to contain the genes. chromoneme (GEN). The genetic material of a bacterium or virus, as distinguished from true chromosomes in plant or animal cells≫. Similarly, the dictionary of Genetics by King & Stansfield (1990, p. 60) records: ≪chromonema (plural chromonemata) the chromosome thread. chromoneme the DNA thread of bacteria and their viruses≫.
《第四に、簡便・安易なスペルの変化でもって意味を変えることは、何ら正当化できないことを了知すべきである、、、》
Fifth, to the terms should be given a definition in agreement with their literal meaning and etymology. For instance, nucleofilament is nothing else than the English translation of the German word Kernfaden, a classic cytological term used by authors of the last century and conveys the meaning of nuclear thread. By contrast, in relation to the structure of chromatin, Finch & Klug (1976, p. 1897) write: ≪a flexible chain of repeating structural units of about 100 Å diameter… We call this close-packed chain a nucleofilament≫. Consequently, and given that the above problems or questions cannot be solved by ignoring their existence, the author presents this account, which is, at the same time, complementary to other related papers already published (cf. Battaglia, 1993-2003).
《第五に、(元々の)字義や語源と合意した上での述語でなければならない、、、》
Historical background《歴史的背景》
、、、the Latin term virus covers different meanings, namely poison (Vergil, Celsus, Cicero), offensive odor (cf. ≪virus alarum sudorisque≫ of Pliny) etc. In the Middle Ages and in the Renaissance, the Medieval scholars adopted the term virus as a synonym of poison、、、,
《、、、ラテン語のvirusはいくつかの異なる意味を持っている。毒(ウェルギリウス、ケルスス、キケロ)、悪臭(参照:プリニウス「脇の下の汗の‘臭い’?《定訳が見つからなく全くの素人の推測した訳です》」)。中世とルネサンス時代、中世の学者はvirusを「毒」と同義語として採用、、、》《以降、この章では、仏、伊、独での使われた方での多様性を紹介している》
《以下、A.からT.まで各章、各テーマに沿って紹介している》
A. Virion: a preliminary comment 《Virion(日本語ではビロンやウィルス粒子と訳したものが多い)とは何か》
B. virus (poison), vir (man) and vis (force)《毒・人・力という言葉の格変化にみるラテン語の背景(混乱)》
C. Vir, virus, vires: their compound terms and the choice of the connecting vowel 《複合語と接続母音の使われ方》
D. The questions of vĭrorum, vīrorum, vĭra and vīra 《類似単語の混用・誤用》
E. The diminutive forms of vĭr 《指小辞の混用・誤用》
F. The diminutive forms of virus
《第二格変化(O型)の中性名詞であるべきvirusの縮小語尾の誤用》
G. Virellus
《縮小辞の誤造による新造語の混乱》
H. Virino
《ビリノ。ニュートリノから「小さい」意味で発想したという、誤造による新造語が、確認さえ危く、間尺に合わない変種のウィルスと、羊のスクレイピーや牛のプリオンにと、多様に使われたことによる混乱》
I. Viricule and the neoterm virocule (virocle)
《ビリクルよりは言語的には正しい新造語のビロクル》
J. Virion(e) and the neoterm viron(e) 《新造語の混用・誤用》
《原義が関係のない正しい派生語のビリオンか、新造語ビロンか》
K. Provirion
《プロ・ビリオンよりは正しい派生語の新造語、プロ・ビロンであっても、学術世界を考えると、「pro-前/祖」ウィルスの全く同じ意味で既に先行し使われているprovirus プロ・ウィルスの方が論者は支持している》
L. Virocide, viricide, virucide and viruscide
《「抗」ウィルスを巡る、接尾辞’-cide 殺人’の使用》
M. Virulicidal & virulenticidal, viruliferus & virulentiferous
《「抗」ウィルスを巡る、’-cidal 殺傷能力のある’、’-ulental 充溢している’、’-ferous ,ferrous 野蛮な’の錯綜》
N. Virusoid, viroid, subvirus and semivirus
《’oid , -oeides 擬’「準」ウィルスを巡る誤用、subvirus や semivirus使用の提案》
O. Viromicrosome, virosome and viroliposome
The term viromicrosome, which literally means ≪viral small body≫, has been coined,、、、(1961) 、、、These cell homogenates, containing microsomal membranes, were visible at the electron microscope as amorphous masses without any indication of a virus-like particle、、、
after 1975, a linguistically simplified form of viromicrosome, that is virosome, became largely quoted in virological papers and shortly acquired an increasing medical relevance (vaccine immunogenicity and vaccine technology).、、、virosome, which only means ≪viral body≫, was, first, proposed、、、 (1970) 、、、in analogy with chromosomes, in order to avoid more restricted nomenclature、、、Surprisingly, all papers quoted above were so widely ignored 、、、that Almeida et al. (1975), in a paper published in the Lancet, reinvented the term virosome, as follows:≪The surface haemagglutinin and neuraminidase projections of influenza virus were removed from the viral envelope, purified, and relocated on the surface of unilamellar liposomes. The resulting structures were examined in the electron microscope and found to resemble the original virus. Units of both the viral haemagglutinin and viral neuraminidase could be discerned. The name virosome is proposed for these new bodies ≫、、、Today, the term virosome is recorded by all main scientific dictionaries, and despite its literal meaning (≪viral body≫) it is always qualified as a modified liposome、、、
《以上、この章は、専門的な内容に多く触れるにもかかわらず、他の項目にも共通するこうした、ウィルス関連の述語の半世紀あまりの推移をみるには好例と思い、抜き出して、その一部を掲載しました。以下の拙抄訳も、内容が現在のウィルス学の到達点ではないことは明らかにであり、この論文も「昔」かかれたものとして、誤解も生じることが少ないと思い、細心を心がけ、素人ながらの訳や解説をしたものです。内容に、ではなく、具体的な紆余曲折の具合に、着目していただきたく、ご留意いただければ、幸甚です》
《ミクソ・ウィルスの研究途上の’ viromicrosomeウィルス様の小物体’である、正体不明のものとして発見命名(1961年)されたものの、あまり使われなかった。そうして、意味上は「ウィルス様の物体」にしかならない、その単純な短縮形’ viro‐some’が造語(1970年)された。これは、厳密な命名を避けるためにも’chromo-some染色体’から発想されたという。ところが、明確に定義をされないままになっていたものが、1975以降、思わぬほど、ワクチン免疫原性やワクチン技術での多用・拡散によって、医学的定義が注目されるようになった、、、(その後少なからぬ論文での使用があげられている)、、、驚くことに、以上の全ての論文は無視された。その結果、アルメイダ他は1975年、Lancet出版による、論文に次のように’ virosome ’という述語を再定義した:インフルエンザ・ウィルスの表層のヘマグルチニンとノイラミニダーゼの突起がウィルスのエンベロープから取り除かれ、精製され単層リポソームの表面に再び置かれ、それらの結果その構造は電子顕微鏡によって調べられ、元々のウィルスと相似ていることが確認された。ウィルスのヘマグルチニンとノイラミニダーゼ両者とも確認された。「ビロソム」はこれらの新たな「組織」の名称として提案したい、、、今日、述語「ビロソム」は全ての主要な科学辞典において、言語上の意味が「ウィルス的組織」にもかかわらず、一様に「変性リポソーム」として認知されている、、、》
P. Provirus and integravirus 《「前」「内」ウィルス》
Q. Capsid, nucleocapsid and procapsid 《「カプセル」》
R. Enveloped and naked viruses 《「エンベロープ・着装」「裸」という対義語》
S. The present virological taxonomy: a few linguistic considerations 《現在のウィルス学の分類法についてのいくつかの言語学的考察》
T. The present viroterminological system 《現在のウィルス定義システム》
《以上の後、短い結語、謝辞、引用文献で終わる》
《このように、欧州の様々な言語においてウィルス学者が、科学に忙しく、言葉を顧みる暇がないのだろうと、前置きしながらも、造語したり使用したりするウィルス関連の言葉が、余りに学術上の言語・述語としては無秩序であることを嘆き、上記のように幾つかの単語を軸に多数の引用を元に、微妙なずれ、あるいは、先例や、隣接領域で違った意味で使われていることに無頓着に造語し、使われていることをまとめた論文です。
ラテン語は少なからぬ欧州諸国の小中学生にとって、日本での「漢文」のようなもので、当然の身に着けるべき「常識」として、ときには「第一外国語」としても習わされるものの、多くの児童にとっては古臭く、敬遠や揶揄したいもの。そういった意味でも、どちらかというと「文系」が、コンプレックスも綯交ぜとなって、「理系」をディする恰好の話題の一つでもあります。
それこそどこにも「正語院」のない言語である上に、公用語としているバチカンでも今では書き言葉を中心に限られた使われ方をしている一方、歴史を遡ると様々なラテン語があったことも確かです。
長い共生の歴史の中で、ウィルスが自身の命名を寄生「主」の人類がどう捌けるか、ますます驕れる人類の権威や権威に挑む、恰好の材料だと思います》
続く