9月主催公演のお知らせ〜鎌倉、横浜! [2012年07月30日(Mon)]
言わずにおこうと思いながらも口をついて出てくる言葉は・・・「暑い」 毎日ですが・・鎌倉能舞台でも夏休み期間中、まったりと能楽博物館としてオープンしております(平日9時半〜4時)。
さて、9月の鎌倉能舞台での「能を知る会 鎌倉公演」、横浜能楽堂での「能を知る会 横浜公演」のお知らせをさせていただきます 9月は「平清盛」と「源頼朝」がテーマの公演でございます。 まず、9月14日「鎌倉公演」 国文学研究資料館教授の「小林健二」氏をお招きして「平清盛」のお話と、清盛に縁の曲「仏原(ほとけのはら)」と「俊寛(しゅんかん)」をご覧頂きます。小林氏は肩書きが難しそうですが(!)面白いお話を聞かせて下さると思います。 朝の部「仏原」は加賀国出身の白拍子「仏御前」が旅僧の前で、平清盛の寵愛を得んと清盛の屋敷に押しかけ当時清盛の寵愛を受けていた祇王の取りなしで対面を許されたが、清盛の心変わりにより仏御前が寵愛を受けるようになり祇王が追い出され出家したことを悔やみ、自らも尼となり嵯峨野に隠遁した祇王を訪ねた事を語り消え失せる。僧がよもすがら弔っていると仏御前が在りし日の姿で現れ報謝の舞を舞い夜明けと共に消え失せる。 世阿弥作の三番目鬘物を中森貫太が勤めます。滅多に出ない曲ですがしっとりとした風情の美しい曲です。 午後の部「俊寛」は「鹿ヶ谷の陰謀」が清盛に発覚し、首謀者の俊寛僧都、丹波少将成経、平判官入道康頼の三人は鬼界が島へ流刑となる。しかし清盛の中宮が懐妊したため恩赦が行われることとなり赦免の使いが鬼界が島へ向かい赦免状を手渡す。ところが中を読むと帰れるのは成経、康頼の二人だけで俊寛はこの島に残れと書いてある。俊寛は使いに「せめて本土まででも帰らせて欲しい」と懇願するが、俊寛を残して舟は沖へ消え去ってゆく・・・歌舞伎でも有名な悲劇。島内に「三熊野」を勧請して帰朝を祈った二人が許され、神仏を頼まなかった俊寛が取り残されると言う三熊野を礼賛した曲でも有ります。 今回は五木田三郎師がシテを。中森貫太・健之介親子がツレの成経、康頼を勤めます。 そして26日の「横浜公演」 中森貫太が「七騎落(しちきおち)」を勤めます。 石橋山の合戦で敗れた源頼朝は舟で安房国(千葉県)に逃れます。しかしその舟に乗り合わせたのは八騎の侍。頼朝は父、義朝や祖父、為義が同じように敗戦で逃げたときも八騎だったので不吉だから一騎舟より下ろせと臣下の実平に命令する。下りると言うことはすなわち討ち死に・・・結局実平は息子の遠平を下ろし舟は出て行く。 暫くすると一艘の兵舟が後を追いかけて来る。誰かと思えばかねてより内通していた和田義盛。実平は和田を疑いながらも頼朝と対面させると義盛は土産にと先ほど岸に残してきた遠平を差し出す。再会を喜んだ実平は頼朝の御前で舞を舞い、やがて源氏は体制を建て直し平家を討つ。非常にドラマチックな芝居として成立した曲です。 この日の狂言は同じ石橋山の合戦を語る大曲「文蔵(ぶんぞう)」を野村萬斎師が勤めます。 いずれもストーリーとしてわかりやすく面白い曲ですので初めての方にもお薦めできる番組です。 また曲に因んだお話を元NHKアナウンサー「葛西聖司」氏にしていただきます。能だけで無く様々な芸能に精通している方なので面白いお話が伺えると思います。 さらにまた、七騎落は観世九皐会メンバーですが、お一人だけ、源頼朝を味方玄先生に京都からご出演いただきます!!! 味方先生ファンの方にもぜひ東京での直面の頼朝をご覧頂きたいと思います チケットは、eプラス、鎌倉能舞台サイト、お電話等で承っておりますので、どうぞ芸術の秋、ぜひ能楽堂に足をお運びくださいませ〜 ※eプラスサイト 9/14 朝の部 「仏原」 こちら 9/14 昼の部 「俊寛」 こちら 9/26 横浜 「七騎落」 こちら ※鎌倉能舞台HP →主催公演情報 |