まずはじめに、挨拶
みなさん、
お久しぶりです。お元気にしてますか?
ウィリアンです。
とうとうこの日がやってきました。私の最後のブログ更新、2月末までの、この3年間、36か月目、35回目の、最終レポートです!
今年の3月いっぱいで、私の「夢の実現プロジェクト」奨学金制度(日本財団)の留学生としての活動は終了いたします。同時に学生生活にも幕を下ろします。みなさん、本当にありがとうございました!
2月28日に、私の通っておりました、HAL東京専門学校CG学科アニメーション専攻の全授業が終了して、私は無事全科目を終了し、3月27日に卒業式を迎えることが出来そうです。
まだ数回学校へ向かうことはありますが、もう授業を受けることはないでしょう。この学校でも、(少なくとも当分は)他のどこでも。それは、4月から私は(プラチナゲームズにて)社会人になるからです。
その為、今月、就職先が大阪にあるので、私は関東から関西へと引っ越します。そこそこ緊張したり心配事もあります。ただ、楽しみでもあります。
この、母国ブラジルを離れ、日本に来てからの日本語学生、専門学生生活の計3年を振り返りますと、自分は沢山の経験を積み、体験し、成長したと思います。ブラジルを離れた時の想い、将来の夢に変わりはありません。しかしその夢へ向かう為の自分のたどる道筋が定まり始め、それが思いもしないものだったのも確かであり、最もこの最後のブログ更新で伝えるべきことだと思います。
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出発地点
ブラジルを離れた私の夢はいつも子供に向けたコンテンツを作ることでした。日本でのアニメーションコンテンツの制作過程、その心得を学び、ブラジルでそれを活かすつもりでした。ただ、私の通った専門学校、これは就職活動を強く勧め、実行・後押しする学校でもあり、そのつもりでもなかった私も参加し、特に大きな問題もなくいくつかの会社に内定をいただきました。その中でも、一社はゲーム会社で、近年できたばかりで海外でも注目を浴びている会社でした。社員数は3桁を超えたばかりで、そのうち約一割が外国人、「世界に向けての日本代表」を目指すと大きくうたっていました。その真剣に海外を目指す姿勢はとても魅力的でした。そしてゲーム会社と言えば、若者中心をターゲットとしてコンテンツを製作いたします。
その目標、たどり着く先が私の目指す先にも似ていて、私は内心、ここで働ければ目標に近づけると確信し、日本で働くことを決意いたしました。この「何となく」やっていた就職活動がここまでやった甲斐があるものに化したことはとても喜ばしいことです。
企業説明会の際に、その会社は厳しいと有名であることも伺いましたが、努力を惜しむ意味もなく、励ましにしかなりませんでした。これから先、当分は、その会社に尽くしたいと思います。是非とも応援いただけたらと思います!
ですがそれは去年の8月あたりの話。重要なテーマであれど、まだ先月、2月の話も、この3年間のまとまったお話もしておりません。と言うことで順を追って3年間のまとめを手短にお伝えし、後に2月のお話をしてレポートを閉めたいと思います。
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辛く始まり辛く終わる、楽しい留学生活
私が日本に着いたのは東北大震災が起きた3月の半ば以降の事でした。不安にまかれた、海外へ飛び散る外国人が多い中、本スカラーシップの8期生の自分と同期のサユリはブラジルから日本を目指しました。震災の影響により、オリエンテーションが無く、直で力行館という名の寮の小部屋へ私たちは送られました。初日は目新しい環境に押されてテンションが駄々下がり、寒さにもなれず、エアコンも初めて、日本での生活の仕組みも奨学金制度の事も理解できず、とても辛いひと時を過ごしました。温かく迎えて頂いたはずなのですが、先輩方や同僚ともなかなかなじめず、男子寮は3階あるのですが住んでいるのが3人、初の海外・一人暮らしという斬新で且つ贅沢な経験がありながらもとても大変に感じました。
そんな中、日本語能力向上の意味を込めた日本語学校での1年が始まりました。そして更に、上級1・2・3、ビジネスクラスに通いながら私は自分の勉学に向いている教育機関を探しました。大学院か専門学校、研究か技術か、得るものは全く異なりますが、目標は同じ、子供向けコンテンツ作りの知識を極めること、だからそのどちらかを目指しておりました。専門学校に決めたのはいくつもの学校の説明会に参加し、教員方の話を聞き、自分のなりたい人材に近づくために必要な能力を鍛えられる、シラバス・カリキュラムのよく組まれてると思った学校に入学しました。HAL東京は予め「厳しい」、「忙しい」、と説明会でも挑戦的に語っており、それが決め手となりました。(現に留学生にはさらに厳しい指導もありました:常に必ず日本語で話すこと、留年も単位を落とすことも認められず、退学にいたり、何をするにも早めの申請が必要だった、等)
新宿日本語学校にて、日本語を学ぶ学生は無論、外国人であって、まさか日本に来ても尚、まずは日本以外の国籍の人たちと仲良くなるとは思っておりませんでした。多国籍の仲間は皆個性豊かで濃い人格の人ばかり、とても面白いひとばかりでした。
そして日本語学校を卒業し、専門学校へ。2年制課程CG学科の入学式とある程度一緒にスカラーシップの南米から後輩たちが日本へ到着、私の勉強するHAL東京専門学校のビル、コクーンタワーの別のセクション、モード学園にはその内二人が入学。学内移動の運営の為時間割がずれており稀にしか会うことは出来ませんでしたが、心強いことでした!
実はHAL東京2年制課程CG学科には新宿日本語学校卒業生の中国人の女性が一人入学しており、同じクラスにもなりました!奇遇です!日本語学校では別のクラスだったため私は彼女の事を知りませんでしたが、どうやらあちらは私の事を知っていたらしいです(日本語会話は得意なもので、発表会にちょくちょく参加していたため)。彼女とは卒業制作まで共にこなしました。とても大人で物事を曖昧にすることを嫌い、効率のいい考え方をする仲間で、会議やブレインストーミングなどで活躍してくれました。
専門学校での2年はとても濃いものでした。卒業した今、この学校に関しての意見を問われたところで、以前に抱いていた学校のイメージと自分が体験した学校の体験を照らし合わせて考える必要があるため、客観的な答えどころか、全体的なまとまった明確な答えは出せないと思います。とにかく、忙しい学校だったと思います。勉学に常に自立性を要し、全体の重点の置きどころが社会人生活基準にのっとり、教育という面では微妙にずれていたりもしたように感じましたが、これも一種の学校法人としての選択、そして入学は私の選択、文句などはありません。
ただ、学内行事のなかでも就職プレゼンテーション(就プレ)、HALイベント・ウィーク(HEW、ヒュー)、そしてHAL MODE Festival(ハルフェス)という3大イベントがあり、学生たちに膨大な負担を抱えさせます。そしてこれらは企画・実行に多少問題があったと私は認識したため、恐れ多くも、意見するべきだと思ったところは大いに意見しました。
就プレには先生の指名でクラスで数名しか参加できません。内容はいたって単純、ポートフォリオ、デモリールを制作し、学内で展示しながらそのイベントの日に見学にいらっしゃった企業様の前でプレゼンをひたすらするだけです。私は参加しましたが、「就職に役立つ」とうたっていたことで先生と議論を交わしました。参加は義務であるかも問いかけました。なぜなら、ある程度作品の整った学生を企業に見せつけることで、助かるのは、すでに就職に問題のないと思われる学生たちです。エゴが大きいのではなく冷静に分析して、私自信も問題はないと思っておりました。勿論、学校もボランティアではないので、企業への宣伝の意味を込めていることくらい承知の上です。ただ、それに学生を使うわけです。一応参加し、企業様からお声を掛けていただきました。誠に自分勝手ながら声を掛けていただいた企業様の選考は受けませんでしたが…このイベントは1年目の終わりから2年目の始まりに行われました。
HEWは就プレから1ヵ月あけたころに行われます。全生徒参加で至って楽しいイベントではありました。仕組みは就プレと同じ、ただ、規模が大きく、数日間にわたって行われます。これは企業でなく学生や教員の投票式で、授賞式もございます。2年制課程の金賞をいただきましたが、外国人の日本語での発表が魅力的だったのでしょう。投票数は覚えてはおりませんが唯一3桁だったらしいです。ある程度評価してくださるのはうれしいですが、それより、私やクラスメートの多くは、このイベントをきっかけに作品作りに力が入り就職活動が本格化できたと思い、就プレよりも学校の思考に役立つイベントに成り立っている事に感心し、場を改めてその旨をお伝えしたつもりです。
そして、初めに記載したとおりに就職活動に入り、すぐ無事に終了し、学生生活の最後の大イベント、ハルフェスが去年の9月、10月あたりから、今年の1月にかけて約3か月にわたって、はじまります。これは大変なイベントです。
当校にはスケジューリング、グループマネージメント、ワークパイプの授業はありません、しかし卒業制作・展示・発表会であるハルフェスではこれらの能力が試されます。更に専門的に言いますと、ソフトの豆知識や基本的な色々なツールの使い道は受講されますが、工夫し、組み合わせて使う方法などは自力で覚えなければなりません。そして映像制作に欠かせない音響の授業も一切ありません。こう語ると、まるで駄目な学校の駄目なシラバスにしか聞こえませんが、私たちは映像作りの職人を目指すものであって、その中でも職種は数えきれないほどあります。ある程度作業に自由度のある授業でなくては、将来の就職先を考えても、授業内容を完全に無駄にしてしまう学生も出てきます(実写系、ソーシャル系、ウェブ系、ゲーム系など)。多少の工夫不足は感じられても、決して何も考えられずに組まれたカリキュラムではないと思いました。
しかし、そんな授業を受けてきた学生たちが強制参加しなければいけないHEWにその影響は大きく出てきました。社会人経験者が主に先頭に立ち、制作を進めていきました。それが全生徒の為になるかと言うと怪しいところですが、皆必死でした。というのも、このイベントには副賞で旅行が出ます。つまりお金がらみのイベントなのです。それを知った瞬間に嫌な予感はしていました、純粋に作品を作る、制作過程で皆が生かせる作品作りをするのではなく、表彰されるべく、審査員に評価されることを考えた作品が続出するのではないかと…そして、きたない手を使う学生もいました:チームメンバー選び自体が学生の「話し合い」「ドラフト」で成立したため、頭脳戦で情報操作、裏で話を進め、最も有利なドリームチームを作り上げ、仲のいい他のチームのメンバーを離れさせ、制作時に自分の情報は漏らさす、しかし且つ他のチームの情報は仕入れるということをするチームが… 結局はそのチームの優勝でした。私は、クラス内でチーム選びがおかしかった時点で、ハッキリと「納得いかない」と多少声を荒々しくして言った覚えがあります。先生方も記憶していることでしょう。それでも実行されイベントが終わると、私は先生方に個室で話し合い、改めて分かり切っていた結果になったことを伝え、来年からの改善をお願いしました。了解してくださったので私はそれを信じようと思います。それが単なるコンペ・勝負であるというならそれでいいでしょう、しかしまたしても声明している「平等さ」「バランスある」「正々堂々とした」チーム分けには全く見えないこともあり、確実に違いました。さらに教育の面でどうなのでしょう。偏った作業分担、何もしない学生も多く、リーダーとサブリーダーは相当大変な思いをしました(優勝チームは無難に無難を重ね、経験済みな道を優秀なメンバーのみの独断で進めました、実に効率の良い作品作りの形です、それで全メンバーがどれだけ、むしろなにか成長したかは別として)。詳細に語ると長く、気分の悪くなることの多いイベントでした。担当の管理が足りなかったのか、学生のモラルが低かったのか、どちらもなのか…
良き卒業制作を目指したかっただけなので優勝を逃したことが問題ではありません。ただ、それはサブリーダーを努めた私の話、チーム制作と言うことで、他の沢山の学生を預かり、茶番であることを隠し続け作業を進めるのは苦痛でした。志高く、優勝を目指すメンバーもいて、出来ない事を知っているから、同感しようにもできないことが辛かったです。ドリームチーム、通称ジャイアンツ、を上回る作品を作ればよかったのではないか、と聞かれたこともあります。答えはいたって簡単です。それを単純に目指しては駄目なのです。役割分担を数人に絞り、残りは雑用、能力の高いものにだけ作業させ、「捨て駒」に力仕事やリピートの多い、考えなくていい単純作業をさせれば、案外できるのです、どこかのチームとやっていることが同じなのです。でも成り下がっては駄目なのです。皆が一歩先の、まだやったことない、就職先に使うかもしれない作業をここで経験させることが大事なのです。これは旅行獲得戦ではないのです、卒業制作なのです。
HEWを長々と語っていることをお許しください。卒業制作であったが為にこの日本での留学生生活において最もエネルギーを費やしたイベントだったかも知れないので語りたいことが多いです。主に不満な点が多かったことが影響しているのでしょう、しかし私はチームの為にできることを尽くした自信はあります。その努力も語りたいがために長文と化してしまっております。
作業時間ならどこのチームにも負けてはいません。約3か月にわたり、プリプロダクションの段階や企画も含めると普通に私だけで500時間超は軽く使ったと思います。企画、コンセプトアート、イメージイラスト、絵コンテ、レイアウト、アニマティクス、キャラクター設定、3面図、2Dアニメーションのラフと仕上げはすべて自分で、着ぐるみは半分手伝い、買い出しや多少の全面的な監督作業もしました。しかし、3D全編(モデリング、リグ、アニメーション)、エフェクト、背景、コンポジット、ブース、印刷物、サイト、焼き付け、プレゼン、私の担当しなかったところも沢山あります。グループメンバーのそれぞれに本当に感謝しています。そして、頑張ったメンバーに隠し事(茶番の裏話は先生方から口止めされていました…ジャイアンツなどは予め堂々と話していたようですが…)をしていたことや、賞に至れなかったことを申し訳なく思います。現に、宅飲み等で、もう謝りましたが、誰一人私を責めるではなく、お世辞であれ、このチームで作業が出来て良かったと語ってくれたことが何よりもうれしく、後何度でも徹夜できる気分です!
HEW以降、仲の悪くなったチームが大半で、優勝したジャイアンツと私のチーム以外はほぼ崩壊してしまうと言う、とてつもなくプレッシャーのかかるイベントです(とはいえジャイアンツを含む数チームの4人がこの時期に退学しております、私のチームは健全です)。チームの輪を崩すまいといろいろ工夫できたと思います。はじめて一緒に作業をしたメンバーが多く、留学生が半分、相性が悪かったり、いじられキャラ(リーダーが舐められていたのは難しいところでした)も入って、コミュニケーションが危ういところもありましたが、どうにか、メンバーそれぞれの性格をある程度読み、一緒にいる時間や内容、作業も合わせ、乗り切りました。効率の悪いことや失敗した点も多かったですが、始まりから終わりまである程度仲良く進めることが出来てよかったです。
テーマは「ジャパン発」、海外へ発信する日本コンテンツです。留学生が多いことで、企画の完成度に間違いはありませんでした。最終的に日本の多機能トイレ(従来のままでの衛生面や機能面で助かる国々は沢山あれど、更に「メディカル・スマート・トイレ」と化して、医療技術を収納し、尿や便をスキャン、分析、診断、そして医療機関と連携し、処方まで可能にしようという、いわゆる各家庭の個人クリニックを提案し世界を健康にするプロジェクト)をピックアップしました。確実な需要やデータベースに基づいた判断を、更に、外国人の私たちが生まれ育った感度を元に考え、納得して、はじめて決定した企画です。やっつけ仕事でもなければ、ゴリ押しでも、綺麗事ただの御飾りでもありません。学校側は目の付け所や実現性などを評価基準にしているとうかがいはしましたが、全くそうでもなく、どう考えても足無き夢物語だったものや、ドラえもんの道具のようなガジェット、確実に日本国内でしか通用しないものばかりが並ぶ一方でした。勿論、それでよかったのなら問題はないのですが、言っていることとやっていることが別となると学校側、先生と話を付ける必要性がまた生まれ、イベント後の話し合いでこのテーマもあげました。
トイレというものはビジュアルコンテンツを作るうえでNG要素が非常に多い難しいテーマです。裸も尿や便も見せることが出来ず、医療技術や機能を見せるだけではただの小難しい商品のプロモーションビデオになってしまいます。
動画制作はメンバーの能力を自分なりに把握しつつ考え抜き、皆に作業が行き渡るようにタスク分けしたものです。2Dも3Dも含め、スケジュールにはある程度余裕を持ったつもりでした。しくじったのが自分の作業が大きすぎた事と、外部の手伝いを入れたタスク分けしていたため、そのお手伝いが、急遽、閉め切りすぎてから「何もしてない」と告白し作業を投げ捨てたという事案が発生したため、自分でその分を補うことが必要になり、スケジューリングがかなり狂い、しばしば自分自身が締切ギリギリにしか素材を次の作業のコンポジッターに渡すことが出来なかったこともありました。他人を信じることを学び、他人に頼りすぎる危険性も学ぶことが出来た重く濃い経験でした。
計10分超(4分割上映の為2分半)、30fps、フルHD、動画も音響もすべてオリジナル。作業量の多さは今までの2年制課程では最大だったのではないでしょうか?
発表当日は徹夜が続き、皆疲れ切っていました。どうにか展示が終わり、分かり切っていた授賞式を迎え、帰ると、今度はインフルエンザがクラスではやり始めます。残念ながらとても後味の悪い閉めでした。
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多忙な学生生活から多忙な社会人生活までのひと時
自分は、予防はしていましたがクラスメートの多くの人たちがかかり始め、1月末の卒業旅行間近の週末に39から40°Cの高熱が出てしまって、なかなか動けませんでした。日本人の友人の家に行っていたときに発熱したため、みっともないのですが看病してもらったというエピソードは忘れられません。普段は風邪でもびくともしない自分ですが、インフルエンザと相性が悪かったのか、かなり体中が痛く、卒業旅行をあきらめかけました。幸い、優秀な看病のおかげですぐ治り、卒業旅行、アメリカでは存分に海外旅行を楽しみました!…とはいえ日本に居るのでずっと海外旅行中なのですがね。看病してくれた友達は予防にこっていてまったく体調を崩しませんでした。見習いたいものです!
帰ってくると、とうとう2月です。学生生活最後の一ヵ月は評価課題に追われる一方でした。その一環として、ハルフェスのアーカイブ、つまりメイキングオブのようなものを作りました。登校日最後の金曜の提出課題数は二つ、どちらも評価課題。最後の最後まで課題に追われる大変な学校で、方向性も少々的外れではあったものの、期待通りの忙しさでした。学校生活の1年目の半ばからじつはカナダのバンクーバーアニメーションスクール通信教育(VANAS)の授業にも通っていて、マルチライフを送るようにスケジュールに追われていました。卒業制作の山たった12月に卒業しましたが…今後の社会人生活の多忙さがこれを超えることが出来るか是非とも見てみたいものです!
もちろん、この3年間、学校以外の行事もあり、レジャーもある生活をおくりました。これほどやることはあったにせよ、NFSAの活動の研修は欠かさず全日参加しました。ダイレクトフォースは授業が重なるまで毎回参加しました。ボランティア活動もできる範囲で参加し、富士山のふもとでの夏の子供達とのキャンプは人生の中でもとても思い入れのある大切な思い出の一つにもなりました。1月には最後の冬の研修が行われましたが、卒業制作の提出直前と言うことで、新潟に行ったはいいものの、ミーティングやホテル内での行事のみに参加し、外出せず、全く眠らず、3泊4日ずっと作業をホテルの部屋でこなしておりました(新幹線では爆睡しました)。学校やクラスメートは大事ですが、NFSAもそのメンバーもとても大事です。絡みが薄くなってしまって申し訳ない思いはいっぱいです。しかし、優先順位を考え、自分なりにできること、やりたいこと、やるべきことをやっての結果です。今後も当分日本にとどまる自分、東京を離れはしますが、また皆と会い、酒を交わすことが出来ればと思います!
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課題名:居場所づくり
日本に来てから、色々なことを経験しました。ヨーロッパへ行き、アメリカへ行き、国内の様々な所へ行き、学び、それぞれの人たちと接し、人として一回り大きくなったと思います。優しい人や頑固な人、話を聞こうとしない人や、勝手に話掛けてくる人、周りの人たちの国籍が日本に限られつつあった2年目以降の私の久々の学生体験の中、日本人、日系人、外国人(日本国籍でない人を外国人とひっくるめて呼ぶ理由は単に今日本にいるが為、そして日本語で書いているが為だけです)、と、レッテルは違えど、ステレオタイプで扱わず、誰が「どれ」であれ、同じくらい相手を思いやり理解することを心がけることが、良き関係を持つため、保つための近道であった事をこの身で学ぶことが出来たのは、実感しながら習得し、なぜか微笑ましかったです。勿論、自分のアイデンティティを消しては単なる自己否定につながり、印象すら残さねばそこにいる証もなく、透明人間の如く、空しいです。たしかに留学、他国での生活は一種のロールプレイです。しかし、自分に求められるのは完全に溶け込んだ外国人の皮をかぶった日本人ではなく、日本を理解した外国人であることは承知しています。言葉や態度は所詮(?)記号、種類や強度はチョイスも調整も可能。自分を消さずに相手に合わせることは可能。お互いを分かり合う関係づくり、これが、実は、留学生活の中で、もしかしたらハルフェスよりも、更に、遥かに、大きな課題だったのかもしれません。
試行錯誤や経験に基づいた価値観の再確認、そして新しくできた大事なもの、仲間など、どれもこれも今後日本で働く日系ブラジル人の職人としての自分のために、その自分が見つめる、お客でありターゲットでもある全世界の子供達へのコンテンツ作りの作業をこなすために、非常に大きな役割を持つもの、意識、思考、世界観、又は哲学(そこまで言っていいのだろうか?汗)だと思います。これからの自分は以前の自分より、ものづくりの場数が違います。世界へ誇りを持って発信できるコンテンツ作りを目指し、気を抜かず、頑張って、社会人になっても学ぶ心がけを忘れず成長を続けたいと思います。
日本でインタラクティブコンテンツ業界、いわゆるゲーム業界でデザイナー・アニメーターとして夢を追いかける自分は、とてつもなく貴重な留学を含めた人生経験を活かし、日本で、そしてもちろんいつか母国であるブラジルを含めた世界で、記憶に残る、輝きを失わない、国境を越えても通じるコンテンツを作ろうと思います。ぜひ応援してください!
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改めて、挨拶
長々と書いてしまいましたね!こんなに日本語で書くのは久しぶりです!一気に書きましたが数時間かけてしまいました!まとめたつもりだったので、明確にならないところも多いかと思います。詳しく一つ一つ説明したいのですが流石にそこまでしてしまうとブログどころではありません… 思いがこもっておりまして、ついつい、汗。
それでは、日本財団、海外日系人協会、JICAの皆様、そして関係者の皆様には度重ねて大変お世話になっております。なんとお礼申し上げればいいか分からないほどお世話になっております。こんな技術・芸術系の私の日本と世界を結びたいという思いを信じてくださって本当にありがとうございました。
学生生活はここで終わりかもしれません、しかしまだ目標へ一歩踏み出しただけです。今後、皆さんの期待を裏切らない活躍をしたいと思います。
ですので、今回、ブログ更新は最後となりますが、さようならではなく、改めて今後のあいさつで閉めさせていただきます!
宜しくお願い致します!
8期生
ブラジル出身
ウィリアン・ヤマジ・フェホ