帰国してから現在までの生活
[2009年10月28日(Wed)]
日本のみなさん、そして日本財団のみなさん、お元気ですか?
ブラジルへ帰国してから7ヶ月間経ちました。ブラジルに着いてから再評価の問題に直面して、最初の5ヶ月間は特に不安でした。現在、仕事をしながら少しずつ、ブラジルでの生活に慣れたように感じます。日本に6年間暮らした私にとって、帰国することは思ったより難しい経験となりました。
「帰国してから現在までの生活」
さて、私はまずブラジルの北にあるパラー州の首都ベレン市で4ヶ月間過ごしました。ベレン市にいた間、親戚や友人との再会に加えて、いろんな書類の手続き(博士学位の再評価など)をしました。そして、就職活動…
まず、ベレン市で仕事を探しました。しかし、博士の学位の再評価をしていた間にリオ・ブランコ市(ブラジルの北部、アマゾン地域、アクレ州の州都、ペルーとボリビアの国境)にある大学(FAAO)の学長からFAAOで教えるように招待されました。私はリオ・ブランコ市へ行ったこともなかったので、最初は不安でしたが、リオ・ブランコ市へ引っ越すことを決めました。それで、現在家族と一緒に、アクレ州のリオ・ブランコ市に住んでいます。そして、8月3日以降、リオ・ブランコ市にあるFAAOという大学で心理学を教えています。そして、同大学の心理学クリニックのカウンセラーをしています。
リオ・ブランコ市は小さくて(32万人)賑やかな町です。町の人々は優しいです。そして、大学の学生たちは心いっぱい私を認めてくれました。10月15日にブラジルでは「先生の日」をお祝います。その日、大学で大きな記念パーティが行いました。その時、心理学の学生たちは私に感謝して、私のために踊りました。感動しました…まだリオ・ブランコ市に着いたばっかりの私にとって非常に感動し、驚きました。
帰国をしてやっと、私の心が少し安定しました。日本のことをいつも思いますが、ブラジルに適応しているように感じています。
皆さんもそこ(日本)で頑張ってほしいです。そして、いつか皆さんに再会することを望みます。
それでは…また書きます。
矢野パトリシア
ブラジル日系二世(4期生)
ブラジルへ帰国してから7ヶ月間経ちました。ブラジルに着いてから再評価の問題に直面して、最初の5ヶ月間は特に不安でした。現在、仕事をしながら少しずつ、ブラジルでの生活に慣れたように感じます。日本に6年間暮らした私にとって、帰国することは思ったより難しい経験となりました。
「帰国してから現在までの生活」
さて、私はまずブラジルの北にあるパラー州の首都ベレン市で4ヶ月間過ごしました。ベレン市にいた間、親戚や友人との再会に加えて、いろんな書類の手続き(博士学位の再評価など)をしました。そして、就職活動…
まず、ベレン市で仕事を探しました。しかし、博士の学位の再評価をしていた間にリオ・ブランコ市(ブラジルの北部、アマゾン地域、アクレ州の州都、ペルーとボリビアの国境)にある大学(FAAO)の学長からFAAOで教えるように招待されました。私はリオ・ブランコ市へ行ったこともなかったので、最初は不安でしたが、リオ・ブランコ市へ引っ越すことを決めました。それで、現在家族と一緒に、アクレ州のリオ・ブランコ市に住んでいます。そして、8月3日以降、リオ・ブランコ市にあるFAAOという大学で心理学を教えています。そして、同大学の心理学クリニックのカウンセラーをしています。
リオ・ブランコ市は小さくて(32万人)賑やかな町です。町の人々は優しいです。そして、大学の学生たちは心いっぱい私を認めてくれました。10月15日にブラジルでは「先生の日」をお祝います。その日、大学で大きな記念パーティが行いました。その時、心理学の学生たちは私に感謝して、私のために踊りました。感動しました…まだリオ・ブランコ市に着いたばっかりの私にとって非常に感動し、驚きました。
帰国をしてやっと、私の心が少し安定しました。日本のことをいつも思いますが、ブラジルに適応しているように感じています。
皆さんもそこ(日本)で頑張ってほしいです。そして、いつか皆さんに再会することを望みます。
それでは…また書きます。
矢野パトリシア
ブラジル日系二世(4期生)
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Espero poder reencontra-la em breveAte isso, こっちで頑張ります!Mande noticias sempre q puder!