科学を信じる危険性
[2012年04月22日(Sun)]
学校の低学年から数学や理科が得意になって、僕は科学しか信じない人間になりました。神は存在しないと思っていて、説明ができない現象があっても、それは単に科学が十分に発展していなくて説明できていないだけで、いつかは科学によって説明できるようになると信じています。
例えば、幸福の感情を取り上げます。幸せを感じることは既に科学的に証明できている部分があります。麻薬などを使うと、人間は幸せな気分になれますよね?それが幸せの科学的根拠です。麻薬が脳に作用し、幸せを生み出します。当然、麻薬を使うことを勧めているのではなく、そのメカニズムに注目しています。プレゼントをもらったとき、褒められたとき、目標を達成したときに、実は麻薬と同じことが起きていると思います。脳が物質を分泌したり、シナプスを変化させたりして、幸せを感じます。そのプロセスを完璧に科学によって解明されれば、人は簡単に薬を飲むことによって幸せになる時代が来るかも知れません。心理学の言葉を用いて説明すると、心理療法はいつか消え、全ての精神疾患を薬用療法で治療できる時代が来ると思います。もちろん人間の他の感情について同じ議論ができ、怒り、良心、悲しみも全部、脳のなかで起こる科学的法則に基づいたメカニズムから生まれているわけです。
次に生命について考えたいと思います。命は神秘的な奇跡だと思っている方々が多いと思いますが、科学から見れば確率的に起こる偶然に過ぎません。昔の地球にも命はなかったとされています。大気に存在していたアンモニアなどが、雷によって最初の有機物が合成された説が有力です。その後、度重なる偶然や進化によって、その有機物か組織化していって、現在私たちが知っている地球上の生命ができあがったのです。
この偶然が起こることを神秘的だと思ってもおかしくありませんが、宇宙の広さを考えると、どこかで我々が知っている生命が発生することは、決して不思議ではありません。因みに、たまたま地球に生命が発生したのと同じように、たまたま巨大な隕石が地球に落ちる可能性だってあります。それが実際に起きれば、せっかく生まれた命が全部滅びます。しかし、命が存在しなくても科学法則は存在し続け、成り立ち続けると思います。生きることはその宇宙の偶然であり、それより深い意味は何もないと思います。コイントスで「表が出た!」、それと同等の意味があります。従って、あまり意味がないかも知れません。
私の考えに基づけば、大きな問題が生じます。生きる意味がないのであれば、何で人間は全員死にませんか?それは人それぞれなので、今の僕に一般的な説明はできません。上述の論理をまだ悟っていない人もいれば、それぞれの生きる意味を見つかった人もいると思います。上述の私の議論は間違っている可能性もない訳ではありませんが、何回もこれについて考えたことがあって、いつもこの結論に至ります。どこに誤りがあるかわかる人がいましたら、教えていただきたい次第です。
例えば、幸福の感情を取り上げます。幸せを感じることは既に科学的に証明できている部分があります。麻薬などを使うと、人間は幸せな気分になれますよね?それが幸せの科学的根拠です。麻薬が脳に作用し、幸せを生み出します。当然、麻薬を使うことを勧めているのではなく、そのメカニズムに注目しています。プレゼントをもらったとき、褒められたとき、目標を達成したときに、実は麻薬と同じことが起きていると思います。脳が物質を分泌したり、シナプスを変化させたりして、幸せを感じます。そのプロセスを完璧に科学によって解明されれば、人は簡単に薬を飲むことによって幸せになる時代が来るかも知れません。心理学の言葉を用いて説明すると、心理療法はいつか消え、全ての精神疾患を薬用療法で治療できる時代が来ると思います。もちろん人間の他の感情について同じ議論ができ、怒り、良心、悲しみも全部、脳のなかで起こる科学的法則に基づいたメカニズムから生まれているわけです。
次に生命について考えたいと思います。命は神秘的な奇跡だと思っている方々が多いと思いますが、科学から見れば確率的に起こる偶然に過ぎません。昔の地球にも命はなかったとされています。大気に存在していたアンモニアなどが、雷によって最初の有機物が合成された説が有力です。その後、度重なる偶然や進化によって、その有機物か組織化していって、現在私たちが知っている地球上の生命ができあがったのです。
この偶然が起こることを神秘的だと思ってもおかしくありませんが、宇宙の広さを考えると、どこかで我々が知っている生命が発生することは、決して不思議ではありません。因みに、たまたま地球に生命が発生したのと同じように、たまたま巨大な隕石が地球に落ちる可能性だってあります。それが実際に起きれば、せっかく生まれた命が全部滅びます。しかし、命が存在しなくても科学法則は存在し続け、成り立ち続けると思います。生きることはその宇宙の偶然であり、それより深い意味は何もないと思います。コイントスで「表が出た!」、それと同等の意味があります。従って、あまり意味がないかも知れません。
私の考えに基づけば、大きな問題が生じます。生きる意味がないのであれば、何で人間は全員死にませんか?それは人それぞれなので、今の僕に一般的な説明はできません。上述の論理をまだ悟っていない人もいれば、それぞれの生きる意味を見つかった人もいると思います。上述の私の議論は間違っている可能性もない訳ではありませんが、何回もこれについて考えたことがあって、いつもこの結論に至ります。どこに誤りがあるかわかる人がいましたら、教えていただきたい次第です。
【(カテゴリなし)の最新記事】
仰る通り前提を変えれば論述が変わるかも知れません。しかし、前提を疑う手続きが科学にはあって、宗教にはないことにご注意いただければと思います。
例えばいくつかの宗教にある「神の存在」という前提を確認する手続きは全くありませんので、一方的に信じるしかありません。
一方、科学理論は尤もらしい前提に基づいていて、その妥当性を確認するために科学的方法という手続きで確認できます。過去に何回もありましたように、その確認手続きで理論が覆し、新しい理論が誕生したことがあります。
というわけで私は自己正当化していく科学の方が圧倒的にエレガントで完全な思考だと思います。