6月4日
更新が遅れていましたが、3月から東中野の事務所で、日本語多読クラスを昼と夜に開講しています。ただいま、参加者は、両クラス合わせて、韓国、オーストラリア、ドイツ出身者の5名。
「日本にいるのに話すチャンスがない!」という皆さん口々におっしゃるので、四方山話から家で読んできた本の話まで、話す時間をながーくとって最後にシャドーイングしてもらうというスタイルの授業が続いています。
5月までは、タイ人女性もいて6人でした。
そこに、韓国からJGR多読文庫を買いに来たアメリカ人男性が加わったり、アメリカの大学の先生が見学に来たりと、お客さんもけっこう多いクラスです。
昼のクラスはレベルが高く、在日歴が長い人もいるので、お花見、ゴミの分別など日本の習慣文化やお子さんのことなど、身近な話題で大盛り上がり。読む力もかなりある人ばかりですが、喜んでレベル0から「よむよむ文庫」や絵本を読み、楽しんでくれています。中上級者なりの発見がたくさんあるそうです。

夜のクラスも、参加者が少ないながら、自由会話とブックトークを楽しんでいます。
書くのが好きな人がいて、「よむよむ文庫」に刺激されて、お国に伝わる昔話を書いて持って来てくれたりもします。

今日は、そんな中で気になったことをひとつ。
夜のクラスのタイのJさんと話していたときのこと。
Jさんは、某有名日本語学校で1年半勉強したのですが、「日本語を使うとき、本当に緊張します」というのです。
確かに、Jさんは、話すとき、かなり緊張しているのが伝わります。
ところが、タイでは仕事で英語もよく使うそうですが、「英語は全然緊張しない」。
どうしてでしょう?
日本語では、間違えてはいけないと構えてしまって、すごく緊張するのだそうです。
日本語学校では、作文などもいつもたっくさん直されたそうです。漢字や文法のテストもたくさんあったそうです。「たくさん直されるから、何が正しいのか全然覚えられない!」したがって、また話したり、書いたりするときは間違えそうで、怖くて・・・。悪循環。
一方、英語もきっとたくさん間違えているだろうけど、他の人も間違えているし、緊張することはないんだそうです。「通じればいいと思っている」
このJさんの日本語苦手意識って日本人の英語苦手意識とそっくりだ!と思いました。
学校で何年も英語を勉強したのに、いざ、外国人と話そうとすると、言葉が全然出てこない、緊張のあまり冷や汗ばかり。ヘンなこと言ったら恥ずかしいし、通じるかどうか全く自信がないし・・・。
もしかしたら、これは、いつもテストされているから?
テストされて、あれもこれも間違いを全部直されることばかりしていると、いざ、アウトプットしようとしても、精神的なバリアーが邪魔をしてうまく言葉が出てこないのしょう。
私たち教師は、学生が間違っているところを指摘して正すことが教師の使命と思いがちです。でも、指摘して正しい答えを教えるだけで、学生がそれを直せると思ったら大間違いなのでは?
むしろ、心のバリアーを作ってしまうので、逆効果。間違いやたどたどしさは許容して、伝えたい思いを受け止めて、次につながるようにするーー「多読」の「飛ばし読み」のように楽しんでいればOK、の精神を教師はもっと発揮した方がいいのではないのかな・・・。
間違いを指摘できるのは、ネイティブなんだから当たり前。学習者に必要なのはむしろその先。どうやったら、正しく言語を身につけられるのか、というその方法。100回書いて覚えさせるとか、百点取るまでテストするっていうやり方じゃない、真に効果的な方法を、そろそろ考えなければいけないのではないでしょうか。(粟野)