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日露戦争と病院船 [2012年01月09日(Mon)]
先日とある新年会で病院船の話をした処、「日露戦争の時から病院船有りまたね」との話題になりました。
日本初の病院船は、日本赤十字社の博愛丸です。
日本赤十字社1887年(明治20年)に名前が変わる以前は博愛社でした。*1
*1 http://www.med.jrc.or.jp/about/history.html

博愛丸は、
1898年(明治31年)12月にイギリスのロブニッツ造船所 (Lobnitz & Company) で竣工。なお同型船の弘済丸は1899年に竣工した。当初から日本赤十字社が管理する病院船として建造され、平時は2隻とも日本郵船の上海航路貨客船として使われ、1900-1901年(明治33-34年)の義和団の乱や1904-1905年(明治37-38年)の日露戦争のときには病院船として使用された。1926年(大正15年)に林兼商店(後のマルハ)に売却され、北洋漁業の蟹工船に改造され、使用された。漁業の作業中に起きたリンチや過酷な労働により死者が出ており(博愛丸事件)、このことが小林多喜二のプロレタリア文学、『蟹工船』の元になっている。その後の太平洋戦争で軍需品などを輸送中、1945年(昭和20年)6月18日、オホーツク海で米軍の潜水艦アポゴン (SS-308) の雷撃を受け沈没。39名が死亡した。*2
*2 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9A%E6%84%9B%E4%B8%B8


*3 http://blogs.yahoo.co.jp/ju88g12000/1633610.html


*4 http://u-tan.jp/tatsuyakoubou/blog/2009/01/post-307.html

日露戦争時の病院船は、博愛丸だけでありません。20隻です。
詳しく知りたい方は下記リンクから
日露戦争における日本赤十字社の看護人=http://ci.nii.ac.jp/els/110000033868.pdf?id=ART0000361595&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1326109090&cp=
航海数は661回・輸送総人数は185、179人
博愛丸13,077人 弘済丸13,476人

13、077人をもの生命を助けた「博愛丸」が蟹工船になるとは不思議な因果です。
この時代で、輸送総人数は185、179人と言う数字は、船舶の輸送力の優れている証です。
現代であれば、技術も速力も格段の違いがあり、輸送力は何十倍になるのでしょう。
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