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今日はのんびり!行きましょう [2011年06月19日(Sun)]



太平洋戦争の敗戦後すぐ(昭和21年)に発売された歌です。 あまりにも有名な歌ですから、ほとんどの日本人は知っていると思いますが、でも若い人の中には初めて聞く人がいるかもしれませんね。 太平洋戦争が終わった時、兵士、民間人合わせて数百万人が外地にいました。 日本政府は船を手配し、彼らを日本に帰国させました。 この歌は彼らを乗せた船の中や駅のホームで盛んに流れたそうです。 彼らはこの歌を聞いて、生きて懐かしの日本に帰って来た喜びを改めて実感し、多くの人が泣いたそうです。 太平洋戦争の敗北と外国の軍隊による日本占領という事態は、日本の歴史始まって以来の未曾有の国難でした。 終戦直後は大都市のほとんどが焦土となり、日本人の多くが満足に食べられない時代でした。 そんな中にあって、日本政府は艦艇のうち航行可能なものに加え、アメリカ海軍から供与されたリバティ船、LST各100隻も動員し、外地にいる日本人を次々に帰国させました。当然、彼らの為の食料も用意しなければなりません。彼らを故郷に送り届ける為に、日本国内の鉄道も整備しなければなりません。当時の政府は見事、それをやり遂げました。 工場も街も鉄道も軍艦も戦闘機も、すべてが破壊し尽くされた時代の中で、日本人という人的資源だけは残っていました。それがこの大プロジェクトを成功させたのです。 この動画は当時のニュース映像を編集したものですが、何の混乱も無く、次々に船が日本に入って来るところが映っています。それを暖かく迎える病院関係者や家族の姿も見えます。家族との感動的な再会シーンも写っています。 これが、本来の日本人の姿です。 絶望の時代にあっても、同胞への思いやりを忘れず、助け合って生きていた頃の日本人の本当の姿です。
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