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2012年01月23日(Mon)
綿花にかける再起への願い
(SANKEI EXPRESS【ボランティア被災地通信】2012年1月23日掲載)

「違う形で恩返しをしたかった」

経営支援グループ
情報コミュニケーションチーム 神谷 圭市


 冬の寒さが身にしみる12月初旬。午前7時半、JR福島駅で学生ボランティアを出迎えた。ボランティア経験は人によってまちまち。互いに自己紹介をし、一路バスで活動場所へ向かう。いまだ震災の爪痕が色濃く残る風景を目にしながら約2時間。一行は福島県新地町(しんちまち)に到着した。昨年までは稲穂が実っていたであろう田んぼは荒漠(こうばく)とし、学生たちは巨大津波の破壊力を思い返していた。


2012年01月20日(Fri)
ミャンマー・シットウェを訪ねて
(SANKEI EXPRESS 2012年1月20日掲載)

かつての激戦地 面影無く

民主化運動に世界の注目が集まるミャンマー。昨年12月16、17の両日、中国、インドに接し、インド洋に面する要衝の地、ラカイン州を訪れた。州都シットウエは戦前、アキャブと呼ばれた場所だ。
軍政時代には、立ち入りが禁止されたカルダン川をさかのぼると、乾季とはいえ、豊かな水がゆっくりと流れ、川岸では大きな角の水牛が草をはみ、沈みそうなまでに穀物を積み込んだ小船も見える。
シットウエから船で約3時間、70`ほど上流に進むと古都ミャウーに到着。15世紀から約350年間、アラカン国として栄えた都には、先が尖った黒い仏塔が南国の強い日差しを浴びて影絵のように立ち並んでいた。
再びカルダン川に沿ってシットウエに向かうと、ちょうど川面にオレンジ色の光を映しながら、大きな夕陽が静かに沈んでいった。時の流れが止まったような、のどかな風景。しかし、この一帯はかつてビルマ戦線の激戦地でもあった。


2012年01月20日(Fri)
ミャンマー・ネピドー遷都5年
(神戸新聞 2012年1月20日掲載)

“人工都市”ベールの中に

軍政から民政に移管し、その行方に世界の注目が集まるミャンマー連邦共和国。2006年の遷都発表で新首都となったネピドーの巨大な街並みが国土中央の丘陵地帯に姿を現しつつある。遷都から5年余を経てなお一般の立ち入りが禁止されている“人工都市”の今を訪ねた。


2012年01月09日(Mon)
いまどきの若者たち
(SANKEI EXPRESS【ボランティア被災地通信】2012年1月9日掲載)

傷ついた心の闇を明るく照らす

広報グループ
広報チーム 宇田川 貴康

 「言葉遣いがなっていない」「マナーが悪い」「髪形や服装がだらしない」…。大人から若者に向けられる目は、批判的なものばかりである。しかし、このような若者が東日本大震災の被災地に駆けつけている。


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