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2017年06月30日(Fri)
熊本地震から一年余 復興支援の強化に新たな決意
(リベラルタイム2017年8月号掲載)
日本財団理事長 尾形 武寿


Liberal.png昨年4月の熊本地震発生から1年余を経過し支援事業が一段落したのを受け5月18日、熊本県庁前に設けていた日本財団の災害復興支援センターを閉鎖した。

熊本市内のホテルで開催した「お礼の会」には、熊本県や熊本市、NPO団体や企業の関係者等160人に出席頂き、慌ただしく過ぎた1年間の協力にお礼を申し上げた。

災害の歴史を、この四半世紀で見ても、都市型の阪神淡路大震災(1995年)から中山間地での新潟県中越地震(2004年)、広大な沿岸地域が津波で全滅した東日本大震災(11年)までタイプは大きく異なる。熊本地震もこの例外ではなく極めて特異な大災害だった。

震度7を超す激震が2度も発生、最初は聞き慣れない「前震」、2度目は「本震」とされ、震度3を超す強い余震が地震発生から半年間で547回を数えた。

2カ月後の豪雨被害も加えると犠牲者は計222人に上り、熊本のシンボル熊本城は余震の度に被害が広がった。石垣は計64ヵ所、全体の3割が崩れ、櫓など計18の重要文化財が全て被害を受け、戦後再建された大天守は屋根瓦がはがれ、しゃちほこも落下、修復には20年、630億円が必要と試算されている。

日本財団では地震発生直後、「障害者や高齢者、乳幼児に対する支援」、「NPOやボランティアの被災地活動支援」、「熊本城の修復」等、総額93億円の支援策を決定。追加支援も含めると最終的な支援額は127億円に上った。

阪神淡路大震災以来、計41回にわたり財団職員を被災地に派遣。復興支援に携わってみて、どの災害でも災害弱者といわれる高齢者や障害者の犠牲が多いのに改めて驚かされた。

東日本大震災では障害者の死亡率が住民全体の死亡率の2倍に上った。熊本地震では、打ち続く余震の中、被災者の多くが車中での避難生活を余儀なくされ、高齢者を中心にした震災後の関連死は地震による直接死の3倍を超えた。仮設住宅に馴染めない高齢者の孤独死や避難所におけるプライバシーやトイレ問題も相変わらず深刻だった。

一方で、被害の全容が判明する前に、大きな被害が確認された地域に物資や自衛隊、NPOなど物的、人的支援を迅速に投入するプッシュ型と呼ばれる新しい試みも登場した。従来は被害の全容解明を待つあまり、支援が後手に回るケースもあった。今後、迅速で効率的な支援につながると期待する。

大地震は誰も住んでいないところで起きれば単なる地形の変化で終わる。人が住んでいたからこそ災害なのであり、復興も被災者を元の生活に戻すのが基本でなければならない。

東日本大震災では、発生から7年経た現在もなお10万人が避難生活を送っている。高台移転など元の生活に程遠い復興策に問題があるような気がしてならない。

お礼の会では蒲島郁夫・熊本県知事から「震災後、早い時期に日本財団と連絡を取れたことが幸いだった」、大西一史・熊本市長からは「何をしたらよいのか分からない時期に支援をいただき、それが今の復興につながっている」と過分な言葉をいただいた。

近年、専門家による東南海地震や首都直下型地震の発生予測が高まっている。官民を挙げた防災対策を強化が急務である。

一民間団体としても熊本地震の教訓を精一杯、今後に活かし、ささやかでも防災・復興支援の強化に貢献したい。センターの閉鎖に当たり、そんな決意を新たにしている。









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