2017年05月02日(Tue)
ハンセン病を考えることは、人間を考えること。
柴又帝釈天でゴールデンウィークに
ハンセン病写真展を開催 葛飾・柴又といえば、映画『男はつらいよ』で知られた人情あふれる下町の門前町です。その中心が、寅さんが「産湯をつかった」柴又帝釈天、正式には経栄山題経寺(きょうえいざん・だいきょうじ)です。日蓮宗の名刹の境内にある施設、鳳翔会館でゴールデンウィークの4月29日から5月7日まで、日本財団フォトグラファー・富永夏子の写真展が開催されています。題して『ハンセン病を考えることは、人間を考えること。』――富永が15年にわたって撮りためた膨大な量の国内外のハンセン病に関する写真のなかから、自身で厳選した30点が展示されています。 |
「どれもが思いのこもった作品です。写真展開催が決まってから何カ月もかけ、悩みに悩んで選びました」 富永は、2002年に日本財団に入って以来、世界保健機関(WHO)のハンセン病制圧大使、日本政府のハンセン病人権啓発大使を務める日本財団の笹川陽平会長に同行し、国内外の「ハンセン病の現場」を写真に収めてきました。患者や回復者が暮らすコロニーや医療施設をめぐり、彼らの日常や穏やかな表情に隠された何かを、レンズを通して真剣に見つめ続けています。富永は言います。 「ハンセン病という病気にまつわる偏見や差別が、未だに国内外に存在しているという現実を知っていただきたいのです。ここから偏見や差別について考えていただくきっかけになればとも思っています」 会場に入ってすぐ左、1枚の写真に気がつきます。緑の濃い対岸に向かう橋と砂地の白い道が大写しにされた作品は、『嘆きの橋』と題されています。 「この橋を渡る時が家族との永遠の別れだとしたら、あなたは何を思いますか?」 富永のつけたキャプションに、思わずドキリとさせられます。ハンセン病は治療法の開発が進み、治る病気となりました。WHOが制圧の基準とする「人口1万人あたりの患者数1人未満」に達していない国は、いまやブラジル1カ国になりました。世界各国・地域で取られてきた隔離政策も解消されつつあります。しかし、未だ人々の心に染みついた偏見や差別は消えたとはいえません。コロンビアで撮影された『嘆きの橋』は、それらを象徴的に捉えた富永の代表的な作品のひとつです。彼女がレンズを向けた人々の表情には嘆きがあり、諦めがあり、秘められた怒りも感じます。 ふと、富永が言いました。「ときに、身体に変調をきたすこともあります。もしかしたら、みなさんの思いが乗り移ったのかもしれないと思うこともありました」 一方で、富永の視線は優しいのです。それが伝わってくるからでしょう、被写体になった患者や回復者たちの表情が和らいでいる写真も少なくありません。 「これっ、これっ。レンズを向けたとき、ドキッとさせられました」。コンゴ民主共和国で撮影された作品は、穏やかな表情の黒人男性が座っていました。遠くから見ると、ただそれだけなのですが、近寄ってみると、組まれているはずの手に、指がありません。足も不自由そうです。それなのに男性の眼差しはじつに柔和なのです。穏やかな視線は真っ直ぐ前を捉えています。達観と表現したらよいのでしょうか。ここが寺院だからか、仏さまを思わせる眼差しです。背後は療養施設の部屋でしょう、木製の扉に十字架が彫り込まれていました。 「十字架がそう思わせたのかもしれませんが、厳かな感じがしました」 富永は一昨年、昨年と連続して写真展を開きました。前回開催時にサポートした人の縁から、帝釈天の住職が開催を快諾。その題経寺住職の望月洋靖さんもまた、社会貢献に深い関心を持っています。望月さんから、写真展のポストカードにこうメッセージを寄せていただきました。 「社会には様々な問題があります。ハンセン病に対する差別も、そのひとつです。是非お越しください」 日本財団は医療面での制圧に加え、社会的な差別を人権問題として捉えて、患者・回復者とその家族の尊厳を回復し、平等な機会を享受できる社会構築に取り組んでいます。偏見と差別をなくすためには、まず実情を知っていただくことが重要です。現実を捉えた写真展は有効な手段といえるでしょう。今のところ、日本財団主催の写真展開催の予定はありませんが、パネルを貸し出して7月に北海道で同様の写真展が開かれます。パネルの貸し出し要請は、いつでも受け付けています。 「ぜひ、学校教育の場で役立てていただければと思います」(富永) ● ハンセン病〜病気と差別をなくすために〜(日本財団ウェブサイト) |