2017年04月01日(Sat)
お好み焼き「千房」社長に現状などを聞く(下)
「こんなやりがいのある取り組みはない」
全国各地の広がる職親プロジェクト (5年目に入った職親プロジェクト・インタビューの続きです) ― 辛い思いも重ねられたようですね。 (採用した2人はその後、1人は店の売り上げに手をつけて、ある日突然いなくなり、もう1人も女性問題を引き金にして転職、今も音沙汰がないそうです。情を踏みにじられた体験を中井さんは詳細に説明されました) 社内の信頼関係がもうガタガタになりました。その頃には既にマスコミに大々的に報道されていました。マスコミで報道されるに当たって、やっぱり私自身、正直不安でした。「報道されてお客さんが怖がって来てもらえなかったら」「店にお客さん来なかったら千房はつぶれる」。だけど「もしこれで、お客さんが来なくなって会社がつぶれるようなことになったら、もうこんな日本あかん。もういいわ」と腹をくくりました。今からみれば大げさな話ですけど、それぐらいやっぱり怖かった、正直に言って。 ところが報道されて、感動しました。大阪の新聞4大紙全部写真入りで載り、ありとあらゆるところからメールがきた。報道を知った人たちからコメントが寄せられました。たった一人だけ匿名でいやがらせがありましたが、あとは全部よくやったという励ましのコメントでした。その時にあらためて「あっ日本ってまだまだ捨てたものでない」。いっぺんに勇気づけられました。 |
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― 職親プロジェクトのいきさつを。
そんな時に日本財団から受刑者就労支援の話がきました。先の2人はたまたま、あんなことになったが、これから受け入れる人達は違うかもしれない。もう一回やってみたい、と考えました。「職」の「親」と続けて「しょくしん」の読みでプロジェクトを立ち上げることになりました。親しいオーナー社長6人に「受刑者の就労支援のプロジェクトを日本財団の協力によってつくるから」と声を掛けると、あっという間に集まってくれました。うちの会社で準備委員会を開き2013年(平成25)年2月28日、就労支援策「職親プロジェクト」を日本財団と7社によって大阪でスタートさせました。 これはなんと世界初の取り組みでした。刑務所内で採用募集を始める、刑務所内で面接をする、内定を出す、しかも氏名などをオープンにする。職親参加企業の7社、例えばA社で採用して具合が悪かったらB社でいかがですか、B社で駄目だったらC社でいかがですか、お互いに雇用した1人の元受刑者、その会社だけが採用したというよりも皆で共有する、成功事例も失敗事例も全てオープンにしよう、共有して情報を交換しながら、全体で“腕を上げていこう”と確認し合いました。 またマスコミで大きく取り上げられました。職親プロジェクトは東京、福岡、和歌山にも誕生し、ほかにもできようとしています。うちは既に24人受け入れてきました。現在、刑務所、少年院含めて6人に内定を出し、仮出所を待っています。近々1人少年院から出てきます。年内に出てくる予定の6人を受け入れると30人になります。 ― 今後への思いを。 私が声を掛けて参加していただいた企業も、ある日突然いなくなった、店の金盗んだ、ということが起きる。私が弁償するわけではないから本当に申し訳ないと思う。でもその声を掛けた企業のトップが「こんなことがありました、あんなこともありした、でもいい勉強をさしてもらっています」と言ってくださる。その言葉を聞いた時、私涙が出ました。「もうやめや」と言ってお膳をひっくり返して帰ってもいいような人が、こういうことを言ってくださる。通常なら「中井さん困るで」と言ってもおかしくないのに「勉強させてもらっている」という話を聞いた時に、私奮い立ちました。この言葉にどれほど支えられ、この言葉がどれほど励みになったか。「頑張らなければ、頑張ろう」と。「今はもう少々のことでは、ぶれません、何が起ころうとも」。 うそをつくな、ルールは守りなさい、素直であれ。この3つを社員には徹底させています。これは人が伸びてゆく原点だからです。人間は一人では生きていけないものです。人は人によって生かされています。いろいろな人との出逢い、小さな出逢いから大きな出逢いに発展していく。影響を受け、与え合って、人間は生きている。だから店では、自然体で自分の大事な親戚の人が訪ねてきてくれた、そんな優しい思いで接客をしてほしい、と従業員に言っています。 職親プロジェクトに取り組んで、あらためて企業は「経世済民」、世の中を興し、民を救う、それが経済だと実感します。と同時に、企業として、そして社長として「こんなやりがいのある取り組みはない」。今心からそう思っています。 (終わり)
● 日本財団再犯防止プロジェクト ウェブサイト |