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2016年11月17日(Thu)
「学校の魅力化」が日本の社会を変える!(上)
海外 “流学”で人間力鍛えた岩本悠さん 
日本財団SIFで最優秀賞を受賞


「ないものはない」。日本海に浮かぶ隠岐諸島のひとつ、島根県海士町(あまちょう)の玄関口、菱浦港の施設には、この言葉が書かれたポスターが何枚も貼られていました。コンビニやスーパーがないだけでなく、街灯も交通信号もほとんどない辺境の島から「学校の魅力化」を目指す活動が始まりました。そして、この活動を主導する学校魅力化プラットフォーム共同代表の岩本悠さん(37)が9月末に行われた日本財団ソーシャルイノベーションフォーラム(SIF)で特別ソーシャルイノベーターの最優秀賞を獲得しました。この活動が始まった海士町を訪ね、原点を探りました。

「ないものはない」ポスターと、最優秀賞受賞時の岩本さん

「ないものはない」ポスターと、最優秀賞受賞時の岩本さん



11月6日朝、空路、米子に到着、タクシーを乗り継いで本土と隠岐諸島を結ぶ定期船の発着点・七類港でフェリーに乗船しました。出港後まもなく、フェリーは北西風にあおられ、揺れだしました。甲板に面した食堂で、同行した岩本さんにインタビューしていましたが、しばらくたつとフェリーは大きく揺れ、気分が悪くなりました。「船室で寝たほうが良いですよ」と言われ、急いで船室に戻りました。冬季は高波で欠航が増えると聞き、離島暮らしの大変さを痛感しました。フェリーは約3時間後、無事に海士町の玄関口・菱浦港に着きました。

高波に揺れるフェリーの甲板

高波に揺れるフェリーの甲板



岩本悠さんはこの日、午後2時から海士町開発センターで開かれた隠岐島前(どうぜん)PTA連合会研修大会に講師として招かれました。10年前に東京から移住し、県立隠岐島前高校の統廃合問題をきっかけに、学校を核とした地域創生を実践してきただけに、集まった島民ら約100人に温かく迎えられました。講演のテーマは「魅力ある教育を目指して〜子ども・家庭・学校・地域を見つめ直して〜」で、主に自分が育った家庭と、学生時代に海外を回って体験したことを語りました。以下は、約1時間の講演の要旨です。

岩本さんは東京都中野区に生まれました。父重樹さん(63)は兵庫県姫路市出身で、高校を卒業すると「田舎が嫌で」上京し、工場で働きました。岩本さんは公立の小中学校へ入りましたが、学校は息苦しく、なんでも押しつけられる感じだったといいます。都立高校へ入学するとラグビー部に入り、部活三昧の生活を送りました。そんな時、父から「知り合いがカナダにいるから行って見ないか」といわれ、夏休みに1カ月間、カナダでホームステイしました。「アジア系、ユダヤ系など色々な民族がいて、言葉は通じないが、世界は広くて、おもしろそうだと思った」と振り返りました。

魅力ある教育をテーマに講演する岩本さん

魅力ある教育をテーマに講演する岩本さん



帰国後、父に呼び出され、(1)高卒で工場に入って働くことがどれだけ厳しいか(2)家計も苦しいので、公立大学にしか行かせられない(3)公立以外の大学へ行くなら自分で稼ぎなさい、と言われました。岩本さんは「大学へ行かないといけない。落ちたら自分の一生が終わってしまう」と思い、一念発起して勉強し、現役で国立大学に合格しました。大学へ入ると、自由に遊べると思って遊びまくっていました。ところが、2年生になり、1年後には進路を決める時期になりましたが、何をやりたいかがわからなかった。そこで「1年間休学して海外へ行こう」と決め、バイトして金をためて海外へ「流学」に出かけました。

主にアジア、アフリカ諸国を回り、各地の行事やイベントに参加したり、死体を焼く作業や子どもにワクチンを配布する活動をしたりしました。約半年後、両親から連絡があり、トルコ・イスタンブールで落ち合いました。会ったとたん、母は「あまり危ないことをしないで」と言って泣き出しましたが、父は「子どもが親を心配させないでどうする。一番の親孝行は親の枠から出て行くことだ」と言いました。それまで父は子どもに関心がないと思っていましたが、初めて父の親身な言葉を聞いて「父なりに愛してくれているのだ」と思ったそうです。

岩本さんは約20カ国回って1年後に帰国しましたが、子どもが戦闘などに巻き込まれて死んでいくのを見ながら、何もできない自分を無力だと痛感しました。そこで、「今は学ぶことしかできないが、いつか誰かの役に立つ人間になりたい」と思うようになり、自分の人生の方向性が見えてきたといいます。それは、個性を発揮して社会に貢献する生き方をしようということです。そういう人が増えれば社会はもっと良くなるので、そういう人を育てることを生涯やっていこうと決心したそうです。

フェリー船内でインタビューに応じる岩本さん

フェリー船内でインタビューに応じる岩本さん



帰国するとすぐに大学に復帰、朝から晩まで勉強して幼稚園から小中高までの教員資格を取得したばかりか、合計200単位も取りました。卒業してすぐ学校の教員になる道もありましたが、社会経験がなければ子どもに向き合えないと思い、ソニーに入社、人材育成や組織開発、社会貢献事業などに従事しました。その傍ら、自主的に地方へ行って講義する「出前授業」を行っていました。たまたま2006年に海士町から誘いを受け、現地へ行って島の魅力に取り付かれ、その年に海士町へ移住しました。その後、海士町で桃子さん(36)と結婚し現在、男の子(5歳)と女の子(1歳)の4人家族です。

岩本さんは海士町の魅力についてこう語りました。「東京では人口減少、高齢化現象、財政難など、日本の将来の課題をリアルに感じられなかったが、海士町に来て初めて実感しました。この町は社会の縮図であり、未来の箱庭なんです」。そして、こう付け加えました。「今価値観は大きく変わり、高度成長社会から持続可能な社会へ移行しなければならない。島根県は、その移行を引っ張るタグボートになるのです」。

講演会の後、岩本さんに、なぜ社会変革の中心に教育を据えたのかを聞きました。岩本さんは「理由はいくつかあるが、ひとつは小中高校での息苦しかった体験です。ふたつ目は海外で1年間、ボランティアやインターンシップのような経験をし、学ぶってこんなに楽しいのかと思ったことです。こういう学びを子どもたちに提供し、より良い社会を作っていくことに人生を賭けたいと思いました」と語りました。その決意を持って大学に戻ると、知識が大切だということがよく分かり、学び方が変わったといいます。

海士町の玄関口・菱浦港。左に見えるのはホテルの建物

海士町の玄関口・菱浦港。左に見えるのはホテルの建物



岩本さんの先見性は、地域づくりの盲点だった公立学校をテコに地域創生を推進しようと考えたことです。約8年かけて学校、市町村、県教委、NPO法人などのセクターを協働したモデルを作り上げ、来年度から本格的に動き出すことになりました。この裏には、岩本さんの粘り強い努力と海外「流学」で鍛えた人間力があったのです。次回から、その具体的な道のりと今後の計画を探っていきます。 
                           
(続く)


島根県隠岐郡海士町
日本海の島根半島の沖合約60キロにある隠岐諸島の島のひとつ、中ノ島を海士町という。面積は33.52平方キロで周囲は89.1キロメートル。人口は2,374人で、総世帯数は1,052。対馬暖流の影響を受けた豊かな海と、豊富な湧水に恵まれ、自給自足できる半農半漁の島。奈良時代から遠流の島として知られ、承久の乱(1221年)で島流しとなった後鳥羽上皇の没後700年を記念して造営された隠岐神社がある。学校は小学2校と中学1校、それに高校がある。




● 日本財団ソーシャルイノベーションフォーラム2016 ウェブサイト












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