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2016年05月02日(Mon)
見通せぬ熊本城の修復・復元
県民の心の支え、今も被害拡大
「10年あるいは20年掛かるか」


被災した熊本城 中央は天守郭
被災した熊本城 中央は天守郭

「城の再建なくして復興なし」、「城を再建する過程で皆さんが希望を持てるような復興のストーリーを作りたい」。熊本地震の緊急支援に関連して4月26日、現地を訪問した日本財団の笹川陽平会長に対し、蒲島郁夫・熊本県知事、大西一史・熊本市長はともに熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城について熱い思いを語りました。

しかし4月14日のマグニチュード(M)6.5の地震の後にM7.3の本震が発生した熊本地震はその後も余震が多発、熊本城の被害は今も拡大しており、日本財団が表明した30億円の再建支援が何時、どのような形で活用できるか、見通せない状況にあります。

熊本城への熱い思い語る蒲島熊本県知事と大西熊本市長
熊本城への熱い思い語る蒲島熊本県知事=左=と大西熊本市長

災害復興は被災者・被災地の再建が何よりも先決。しかし熊本城に関しては、西南戦争(1877年)で焼失した本丸を1960年、市民が資金を持ち寄って再建した経過もあって「自分たちの城」という意識が強く、シンボル以上の特別な存在。

蒲島知事は総額93億円に上る緊急支援策に関する日本財団との26日の合意書締結に当たり「熊本城の復興をしっかりやらないと痛みを引きずることになり復興も進まない、と考えていた」とした上で、「タイミングよく支援を表明いただき我々も県民も元気が出た」と謝意を述べました。

崩落寸前の櫓
崩落寸前の櫓

日本3名城のひとつに数えられる熊本城は17世紀初頭に加藤清正が、それまでの城を取り込む形で現在の形に完成させ、年間の観光客は約170万人。櫓、門、塀計13棟が重要文化財に指定され、「武者返し」と呼ばれる反り返った石垣が特徴。城跡は国の特別史跡に指定され、地震では本丸の屋根瓦やしゃちほこが落下、重要文化財の半数以上が倒壊したほか、石垣も何カ所かで崩壊、熊本市によると、清正時代に築かれた石垣も1カ所崩れたということです。

地震被害について意見交換する笹川会長ら関係者
地震被害について意見交換する笹川会長=写真左手前=と大西市長=同右手前=ら関係者

熊本県庁に先だって訪問した熊本市役所では、大西市長が上空から撮影した写真などを使って熊本城の被害が14日の最初の地震から本震を経て次第に拡大していく様を説明、「崩れないと思っていた石垣が崩れつらいものがある」とする一方で、日本財団の支援表明の相乗効果で、市が独自に設けた「熊本城災害復旧支援金」に対しても大きな反響は寄せられている、と説明しました。

熊本市では2009年、7億円を目標にした「熊本城復元整備募金」をスタート、関連した石垣の調査などが始まったばかりの大災害。今後、文化庁、熊本県、熊本市などで調査を進め、被害の実態が明らかになった時点で修復・復元計画がまとめられることになるが、果たしてどの程度の時間が掛かるか、予測もつかないのが現状。

石垣の組み直しや櫓の復元など技術的な難問も多く、大西市長は「10年、あるいは20年掛かるのか現時点では予想がつかない」と顔を曇らせています。これに対し笹川会長は「再建がどのような形になるにせよ、形式にとらわれることなく、速やかに協力させていただく」と関係者を激励しました。



● 熊本地震支援プロジェクトページ(日本財団 ウェブサイト)






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