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2016年03月14日(Mon)
大震災5年(3)まつり応援基金
郷土芸能は心の拠り所 着実に復活
植樹した木も順調に成長、鎮守の森プロジェクト



2011(平成23)年3月の東日本大震災の津波により東北地方沿岸部では、祭りや伝統芸能に必要な、みこしや山車、太鼓、獅子舞、神楽面、衣装など多数が流失・損傷し、神社の社殿や鎮守の森が失われたところも少なくありませんでした。被災地域の祭りや伝統芸能の再開に必要なものの購入や修理などへの支援目的で、日本財団が震災後早々に創設したのが「地域伝統芸能復興基金」(まつり応援基金)でした。震災発生から5年に当たり、ごく初期にサポートした釜石虎舞保存連合会(岩手県釜石市)、大槌町郷土芸能保存団体連合会(岩手県上閉伊郡大槌町)、八重垣神社(宮城県亘理郡山元町)の3団体をこのほど取材し、基金への思いや現状を聞いてみました。

釜石虎舞保存連合会の5台目の山車
釜石虎舞保存連合会の5台目の山車。白い木肌のままの姿で祭りへの出番を待っていました。向かって左から会長岩間久一さん、制作者菊池三雄さん、事務局会計長菅田靖典さん(2月26日撮影)

世界最高クラスの弦楽器を多数保有し、国籍を問わず一流の演奏家や若手有望演奏家に無償で貸与する公益事業を展開している日本音楽財団は、震災発生約3カ月後の11(平成23)年6月、所有していたバイオリンの名器「ストラディバリウス」をインターネットオークションで売却、復興支援のため約11億6800万円を日本財団に寄付しました。掛け替えがない、極めて大切な楽器でしたが、復興の支援のため売ることを決断。落札金額はオークションで扱われる楽器としては史上最高額でした。この資金をもとに、まつり応援基金を設立しました。

日本財団は岩手、宮城、福島3県の被災地域を中心に、芸能や祭りに必要な物品の購入・制作への支援として30件、150団体、計約5億2400万円、伝統芸能・祭りを行う場としての神社への支援として、鎮守の森復活プロジェクトに10件、10団体、計約9200万円、社殿などの再建に13件、20団体、計約5億5000万円を助成してきました。祭りや伝統芸能の再開を通して、郷土への愛着や地域住民同士の絆を取り戻し、伝統芸能や祭りを行う場としての神社の復活を通して、住民が集う場を取り戻すことが目的でした。

虎舞があるから釜石に

岩手県の沿岸部に位置し鉄とラグビーの街として知られる釜石市。ここに古くから伝わる虎舞は、虎の着ぐるみを身にまとい、虎の生態を舞踏化した郷土芸能です。しかし津波で虎舞の虎頭や装束、太鼓や山車の多くが流されました。11年7月、基金から最初に支援をしたのが釜石虎舞保存連合会でした。被災した傘下4団体と友好2団体に助成し、6団体は山車や太鼓を新調しました。もう1団体にも14(平成26)年に助成しました。

被災した年の7月には、何とか夏祭りの開催に漕ぎ着け、虎舞を披露したそうです。同連合会会長の岩間久一さんと事務局会計長の菅田靖典さんは、虎舞再開へのいきさつを次のように話してくれました。

「周りはがれきだらけ、みんな仮設住宅に入っている時に、復興がままならず釜石がどうなるかと思っていた時に、祭りなんかやってどんちゃん騒ぎをしている場合か、と批判される恐れが十分あった時に、周りから『虎舞をやってくれないか』という声が聞こえてきました。要望に応えて、祭りを、虎舞をやらねば、と復活に向けて駆けずり回わりました」

2015年大槌まつり風景

15(平成27)年大槌まつり風景(写真提供:大槌町郷土芸能保存団体連合会の事務局長蛇口久夫さん)

「虎舞を舞ったら、子どもたちをはじめ、みんなが手をたたき、じいちゃん、ばぁちゃんは涙を流して喜んでくれました。ああ、やってよかった。俺たち、釜石を元気付けられるのは虎舞しかないんだ、とその時思いました」。熱い口調で語る岩間さんと菅田さん。「釜石が頑張っていて虎舞があるから、俺たち釜石にいるんだ、という声を何度も耳にしました。日本財団の援助がなかったら、10年たっても、20年たっても(虎舞は)復活できなかったと思います」

以後は毎年、祭りを開催。虎舞に使う山車はこれまでに関連団体1台ずつ、計4台新調し、昨年11月には5台目も完成、収納場所で出番を待っていました。まだ白い木肌のまま。制作者の菊池三雄さんによると、材料は一部カツラ、あとは全てヒノキ、制作には約1年を要したそうです。

蛇口さんが所属する中須賀大神楽の山車。隣は蛇口さん
蛇口さんが所属する中須賀大神楽の山車。隣は蛇口さん(2月26日撮影)

心の張りに

釜石虎舞保存連合会より少し後の11年9月に支援をしたのが大槌町郷土芸能保存団体連合会でした。岩手県大槌町は釜石市に隣接する太平洋に面した町です。この町も津波で大きな被害を受けました。大槌町郷土芸能保存団体連合会加盟18団体のうち、海岸線に点在していた9団体の神社関連の収納場所が被災し、各団体の事情に応じて山車、獅子舞の制作、太鼓などの購入資金を支援しました。

「震災直後、いつ祭りが復帰、復活できるか、まだまだ遠い先のことだと不安を抱いていた中で大金の助成をいただき、各団体とも短期間で道具類を復活させることができました。道具類一式がそろったことで、われわれもますます、この伝統芸能を継続して伝承していかなければならないと強く思いました。郷土芸能というのは町民の方々の心の拠り所。祭りが復活できたことが一番うれしい」。大槌町郷土芸能保存団体連合会事務局長の蛇口久夫さんは静かな口調で喜びを話しました。

「うちの『大槌まつり』は秋祭り。以前と同じようにはいかないまでも、山車などが本格的に完成して、震災翌年からは祭りが成り立つようになりました。住民はもちろん子どもたちが一番楽しみにしていて、町から離れている人も、祭りだけには戻ってきて参加しています。子どもたちが喜んで参加してくれないと将来が大変。跡を継いでもらいたいから。今の小中学生、高校生ぐらいが将来の力になってほしい」

蛇口さんは津波で奥さんを亡くされ現在、仮設住宅で一人住まい。最後にぽつりと漏らされました。「郷土芸能があるから、今はそれが、心の張りになっています」

八重垣神社の冬景色
八重垣神社の冬景色。鳥居両脇が植樹した木(松を除く)。種類によっては人の背丈以上に(写真提供:宮司藤波祥子さん、16年1月30日撮影)

八重垣神社を西方に臨む。
八重垣神社を西方に臨む。右隅が植樹した木。奥は第1期工事として昨年夏に完成した授与所と(向かって左)とみこし庫(中)。右は仮社殿のほこら(写真提供:宮司藤波祥子さん、16年3月1日撮影)

神社は笑って集まれる場所

宮城県の八重垣神社は、鎮守の森復活プロジェクト助成第1号。宮司の藤波祥子さんによると、津波のため10本程度の松だけを残して社殿や鎮守の森が流失。基金から震災翌年の12(平成24)年4月に植樹事業として、さらに14(平成26)年8月には神社の再建事業として、それぞれ支援を実施。12年6月にシイやカシなど3300本の苗木を神社の周りに植えました。

「植樹した木はとてもよく成長しています。種類によっては私の背よりはるかに高い2b以上のものもあります。ムラサキシキブのように横に広がるものはワサワサと広がっていて、紫の実をいっぱいつけるし、赤い実をいっぱいつける木もあり、ヤマブキなどは早いうちから毎年花をつけます。四季折々とても楽しませてもらっています」と藤波さん。

第1期工事として昨年(15年)の夏祭り直前に、みこし庫と授与所(お札場)を完成させ、第2期工事として今年、社殿と社務所、手水舎を着工する予定。今は仮社殿として、ほこらを立てているが、それすらない時期でも社殿があった場所に向けて、氏子さんが手を合わせて拝んでいく。そういう姿を見て、信仰はこういう時のためにあるんだ、と藤波さんは、はっとさせられたそうです。

「ご社殿は大きさじゃないのだから。小さくたって手を合わせる場所があればそれでいい。被災して仮設住宅にいる人たちにとっては、笑って集まれる場所が一番必要。だからお祭りをしなくちゃいけない、と氏子さんたちに言われました。みんなが笑って集まれる場所がこの人たちには必要なんだ、何とかしなきゃいけない、と思いました]と藤波さん。被災した年は夏祭りの行事ができず、例祭の祝詞をあげるだけで終わったが、翌12年から「今できる範囲内」で再開したら結構人が集まってくれて、みこし担ぎもできたそうです。震災後、初めての行事でした。一番象徴的だったのが、子どもたちの笑顔。藤波さんはあらためてかみ締めました。

「ああ、これがお祭りの力なんだ。八重垣神社は地域の核になっていたんだ」



日本財団まつり応援基金 ウェブサイト






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