復興遅れの中に新しい動きも
破壊尽くされた女川に新商店街 東日本大震災から5年。被災地の復興の遅れが目立つ中、若者を中心とした地元住民がNPOや企業、行政とも連携して新しい地域づくりを目指す動きも増えてきました。子どもや高齢者が安心して暮らせる街、地域とのつながり、絆を実感できる街・・。さまざまな取り組みが続く被災地の今を、日本財団が地域づくりに参加した事業を中心に6回にわたり報告します。 一足早く水揚高回復 最初に取り上げるのは、震災時の人口10014人のうち人口比で最大の827人が犠牲となった漁業の町、宮城県・女川町です。この町は巨大な防潮堤の建設を見送る一方、居住区の高台移転とかさ上げによる商業地の街づくりをいち早く打ち出し、2014年には水産物の水揚高も大震災前を上回るまでに回復、復興の街づくりが一足早く軌道に乗ったかのように見えます。 整備された女川駅前の新商店街。正面に見えるのは女川駅 |
3月6日の日曜日、昨春3月に全面復旧した石巻線の終着駅・女川駅に降り立つと、5年前とは全く別の光景が広がっていました。羽を広げたウミネコをイメージしたという新装の駅舎には温泉施設や売店も整備され、カラフルなイベント用テントがふたつ並ぶ駅前広場の先にはシーパルピア女川と名付けられた新商店街が海に向かって並んでいました。 現在27店。土産物、飲食店からカフェ、楽器工房もあり、8店は他地区からの参入。あいにくの小雨模様の中、休日とあって観光客も多く、行列ができている飲食店もありました。 一帯は大震災発生直後、家屋の建材や流された車、船、漁具が山のように堆積し、「ひょっとして犠牲者がこの下に」と思うと、がれきの上を歩くこともためらわれる悲惨な光景が広がっていました。20メートルを超す大津波が1階まで押し寄せ、前庭に消防車や日本財団の福祉車両が打ち上げられた高台の女川町立病院(現・女川町地域医療センター)も、その後のかさ上げのせいか、見上げるほどの高さが幾分、低くなったような感じさえしました。 至る所で続くかさ上げ工事 周りを見渡すと、山を削る高台造成工事と、これを利用した商業用地のかさ上げ工事が並行して進み、いたる所に茶色い山肌が広がっています。女川町では大震災後、復興計画策定委員会が他の被災地より2年早い2018年を目標にした復興計画をまとめ、基幹産業である水産業の復活を中心に多角的な復興の取り組みが始まりました。 女川ブランドを復興の活力に 日本財団も、中東のカタールから寄せられた20億円の寄付金を基に、半年後には6000トンの収容能力を備えた大型冷蔵冷凍施設を完成させ、水産業復活の足掛かりとなりました。被災地全体で計26局の立ち上げを支援した災害FMの一つ「おながわ災害FM局」も今月末、国の集中復興期間が終了するのに伴い閉局しますが、この5年間、住民への生活情報提供に大きな役割を果たして来ました。
● 宮城県女川町の復興ルポ(2015/07/06) |