2016年01月09日(Sat)
イスラム教徒も首を垂れる 伊勢神宮の神々しさ
(リベラルタイム 2016年2月号掲載)
日本財団理事長 尾形 武寿 ![]() |
せんぐう館は外宮の入り口にある勾玉池の畔に建てられ、遷宮の歴史や神宝、内宮正殿の建築様式等を手に取るように見ることができる。 お話によると全事業が終わるのは5年先、終わり次第、次の遷宮の用意が始まるという。「20年に一度の大行事」は長期の作業と努力の結晶のようだ。御料林ひとつをとっても200年先を見据えてヒノキを植えるというから驚く。 解体された御用材の活用も徹底している。例えば内宮正殿の棟木を支える棟木持ち柱は五十鈴川を渡った先の大鳥居に使われ、古い大鳥居の再利用先もあらかじめ決まっている。 私自身は日本船舶振興会(現日本財団)の不祥事が続いた1993年の年末、お伊勢さまに厄払いをしてもらおうと笹川陽平理事長(現会長)らと数人で初の参拝をした。 しかし年が明けると、今度は警視庁の家宅捜索を受け幹部職員が逮捕される事態となった。「折角お参りしたのに」と嘆く声もあったが、私自身は初の参拝の際の神々しいばかりのお伊勢さまの印象が強かったせいか、「お参りしたからこの程度で済んだ」と感謝の思いの方が強かった。 以後、身内に不幸があった年を除き、毎年、御用納めの後に一年の報告とお礼のためにお参りしている。昨年も12月26日、日本財団や関連団体の関係者とともに外宮、内宮の順で参拝した。 内宮、外宮とも「米の坐(くら)」、「金の坐」と呼ばれる敷地が東西に並び、十三年の遷宮では神様が米の坐から金の坐に移動された。米の坐は安定期、金の坐は動乱期といった伝承もあるようで、果たして次の遷宮まで、どのような世の中になるか、興味は尽きない。 内宮の正殿の裏手には、別宮の一つ荒祭宮がある。平和を希求する正殿とは逆に、天照大神の荒ふる気持ちをお祀りし、戦前は軍人が事を為す時、必ず参詣した。1970年11月、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自衛隊に決起を呼び掛け割腹自殺した三島由紀夫が決起三日前、「楯の会」メンバーとともに訪れたことでも知られる。 そんな伊勢神宮に2003年だったか、曽野綾子・日本財団会長(当時)がイラクの宗教指導者や女性教師らを案内したことがある。国連平和維持活動(PKO)で自衛隊をイラク南部のサマワに派遣するに当たり駐屯地の確保が難航したことがあって、イラクの人たちに真の日本の姿を見てもらうのが目的だった。 私はその場にいなかったが、後日、曽野前会長から、敬虔なイスラム教の信者である一行が伊勢神宮の境内で躊躇うことなく頭を垂れ礼拝する姿を見て感動したと聞いた。 イスラム教における天国は「清らかな水が流れ、緑にあふれる地」だそうだ。緑の山に囲まれ、五十鈴川の清流が流れる神宮の静謐な空気の中に、彼らの天国に通じる“何か”を感じ取ったのかもしれない。 社殿の前に額づくと、自然と頭が垂れる自分に気付く。何度御参りしても、その感動は変わらない。 かつて国際政治学者サミュエル・ハンチントンは日本を世界の八大文明のひとつに数えた。人々に平穏と幸せをもたらすはずの宗教がテロや戦争を引き起こす世界の現実を見るにつけ、日本に生まれた幸せを痛感する。 |