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2016年01月06日(Wed)
パラリンピック競技特集(8)視覚障害者柔道
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「リオ大会で結果を残し、東京につなげたい」

日本のお家芸といわれた柔道ですが、最近は欧州や南米、旧ソ連諸国などに押されて厳しい状況になっています。視覚障害者柔道もほぼ同様で、過去2回のパラリンピックではメダル各1個にとどまっています。日本視覚障害者柔道連盟では、男女とも来年のリオ大会でメダルをとり、2020年の東京大会につなげたいと意気込んでいます。

帝京科学大学の柔道場で男子選手4人による記念撮影
帝京科学大学の柔道場で男子選手4人による記念撮影

東京都足立区千住桜木2丁目にある帝京科学大学千住キャンパス柔道場。高校生、大学生に交じって、視覚障害者の4選手が寝技、立ち技の練習に励んでいました。リオ大会に向けて選手強化を図るのが目的ですが、日本代表は今年5月の代表選考会で決まる予定のため、今回は選考会出場資格該当選手による強化合宿となりました。

立ち技の練習をする正木選手と広瀬選手
立ち技の練習をする正木選手=左=と広瀬選手


今回の参加選手は、100キロ超級の正木健人選手(28)、90キロ級の広瀬悠選手(36)、73キロ級の北薗新光選手(24)、66キロ級の藤本聰選手(40)の4人。いずれもパラリンピックに出場した経験がある選手で、藤本選手はアトランタ大会以来、3回連続金メダルを獲得、正木選手もロンドン大会で金メダルを得ています。つまり、最終選考会でも代表に選ばれる可能性の高い選手です。

立ち技の練習に励む藤本選手と北薗選手
立ち技の練習に励む藤本選手=左=と北薗選手


柔道は嘉納治五郎によって1882年に「講道館柔道」が創始されてから日本全国、さらに世界中に広まりました。柔道は健常者も視覚障害者も一緒に練習や試合ができることから、古くは視覚障害者が健常者に交じって練習をしていました。しかし、1981年に国際視覚障害者スポーツ大会(IBSA)が結成されてから世界選手権や地域選手権が盛んに行われるようになり、わが国でも86年に日本視覚障害者柔道連盟が設立されました。

パラリンピックでは88年のソウル大会から男子が正式種目に、女子も2004年のアテネ大会から正式種目になりました。視覚障害者の柔道は基本的には健常者の柔道とあまり変わりません。競技は障害の程度ではなく、体重別で行われ、試合規定も国際柔道連盟の試合審判規定と大きくはずれてはいません。違うのは

1. 試合では両者がお互いに組んでから主審が「はじめ」の宣告をする
2. 試合中に両者が離れたときは主審が「まて」を宣告し、試合開始位置に戻る
3. 場外の規定は基本的に適用しない

の3点です。また、試合参加資格はIBSAによるクラス分けに基づき、重度のB1から軽度のB3まで3つに分けられます。ただし、いずれの選手も一緒に試合を行い、区分は体重別だけです。体重別では、男子が7階級、女子は6階級に分かれています。

日本はパラリンピック・ソウル大会に選手6人を派遣、金メダル4個、銀メダル2個の計6個を獲得しました。次のバルセロナ大会(1992年)には7人派遣され、金2、銀3、銅2の計7個を獲得しましたが、アトランタ大会(1996年)では計4個、シドニー大会(2000年)では3個と、回を重ねるごとにメダル数が減ってきています。最近の北京大会(2008年)、ロンドン大会(2012年)では、ともに1個だけとなっています。なお、女子のメダル獲得はまだありません。

最近の傾向を見ると、ウズベキスタン、ウクライナなど旧ソ連諸国が急速に力を付けていて、ブラジル、モンゴル、韓国などが続いています。日本のメダル数が減ってきた最大の要因は、体力に恵まれた外国の選手が日本の柔道を学び、それにパワーを加えて強くなったからだ、と日本視覚障害者柔道連盟ではみています。この傾向は健常者の柔道と大きな違いはないといえそうです。

国際大会では、選手の成績はポイントで示され、その合計でパラリンピックの国ごとの出場枠が決まります。それを受けて5月に最終選考会が開かれ、日本代表が決まることになっています。そこで、リオ大会、さらに東京大会に向けての抱負を遠藤義安・男子監督に聞きました。


写真4_r.JPG遠藤監督は「リオ大会には7階級中、6階級は出場できると思います。メダルは少なくとも金1個は必ず取りたい。そのほか、メダル2個は取れる可能性があります。リオ大会で結果を出せれば、東京大会に大きな刺激になるので、選手にがんばってほしいですね」と話していました。遠藤監督は、パラリンピックで金メダルを獲得した選手と親交があったのが縁で2000年からコーチに就任。北京大会後、男女の監督が別々になった際、男子監督に就任しました。

一方、女子の監督に就任したのは井上五十八(いそや)氏。今後の抱負を聞くと、「女子はまずメダルを取ることが肝心です。それによって世界のスタートラインに立てる。リオ大会に出場できれば、さらに東京大会に向けて出場選手数を増やしていける」と話していました。リオ大会の代表候補として有望なのは、現在世界ランク5位の広瀬順子選手(57キロ級)とみられています。

写真5_r.JPG強化合宿に参加した男子の4選手に柔道との出会い、柔道の魅力、今後の目標などを聞きました。藤本選手=徳島市出身=は「柔道は子どものときからやっていて、人生の一部です。目は先天的な弱視で、障害者としてすでに20年柔道をしています。リオ大会には出場するつもりで練習しているが、若者が育っていないなど、日本を取り巻く状況は厳しい。今のままでは東京大会でも、メダルゼロで終わる可能性もある」と、日本の現状を憂えていました。


写真6_r.JPG北薗選手=神戸市出身=は「5歳から柔道を始めましたが、次第に目が悪くなり、19歳から障害者柔道に移りました。柔道は好きでやっています。好きでなければ続けられません。リオでは金メダルを目指します。ただ勝つだけでなく、1戦1戦を心の底から楽しもうと思います」と語っていました。



写真7_r.JPG広瀬選手=愛媛県松山市出身=は「友達に誘われて小学2年から柔道を始めました。高校時代に緑内障といわれ、手術を受けました。その後、激しい運動はしないようにといわれ、柔道をやめていましたが、盲学校で勧められ、25歳からまた始めました。柔道を通じてネットワークが広がるのがいいですね。昨年、障害者柔道の(広瀬)順子選手と結婚したので、2人でがんばろうと思います」と抱負を語っていました。


写真8_r.JPG正木健人選手=淡路島出身=は「幼なじみに誘われて中学から始め、自分の体が柔道に向いていることが分かりました。やはり、一本勝ちすれば爽快感がありますね。ロンドン大会で金を取っているので、リオでも期待に応えたい。その結果、新戦力の発掘や実力向上につながればうれしいですね」と話していました。


視覚障害者柔道は、リオ大会で男女とも結果が出せれば、開催国となる東京大会では地元の利も加わり、お家芸復活のきっかけがつかめるかもしれません。リオ大会での活躍に柔道愛好家の期待がかかっています。



競技紹介視覚障害者柔道
視覚障害者による柔道。競技は障害の程度ではなく、体重によって男子7階級、女子6階級に分かれている。ルールは、国際柔道連盟の試合審判規定などに準じているが、選手が互いに組んだ状態から試合を開始し、試合中に選手が離れた場合、試合開始位置に戻るなど、一部に修正が加えられている。

● 日本視覚障害者柔道連盟
● 日本財団パラリンピックサポートセンター ウェブサイト 






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