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2012年06月05日(Tue)
ブラジル(マセイオ・サンパウロ)でのハンセン病制圧活動
(国立療養所大島青松園入園者協和会機関誌【青松】2012年6月5日掲載)

日本財団会長 
笹川 陽平 

 昨年末、ブラジルのマセイオとサンパウロの2つの都市を訪問しました。3年ぶりに訪れたブラジルは、WHO(世界保健機関)ハンセン病制圧特別大使を務める私の最大の関心国です。それは、この国がWHOの定めるハンセン病の公衆衛生上の制圧基準(人口1万人あたり登録患者が1人未満)を達成することで、全世界におけるハンセン病の制圧が実現するからです。今回の目的は、ハンセン病の医療面での制圧を間近に迎えたブラジル政府保健省およびWHO関係者との協議や現場の視察、そして病気に関する差別やスティグマの状況を把握することです。
 世界的に患者、回復者は病気が完治した後も就職や雇用、結婚など、様々な生活の場面で日常的に偏見や差別を受けています。それは、完治しても身体的に障害が残ってしまう場合があること、いまだ病気に感染していると誤解されていること、遺伝や天罰であるなど、多くの人が間違った知識を持っていることなどが原因です。私はこの状況を変えるべく、2006年から毎年1月最終日曜日の「世界ハンセン病デー」に合わせ、様々な分野の方々から賛同をいただき、ハンセン病に対する差別とスティグマをなくすための「グローバル・アピール」を発表しています。第7回目となるグローバル・アピール2012は、世界医師会および各国医師会の賛同をいただき、ブラジル医師会と共催で2012年1月30日、サンパウロで発表式典を行う予定です。

 また、グローバル・アピール2012式典の後も、ハンセン病に関する人権シンポジウムを、リオ・デ・ジャネイロで企画しています。こちらは、2010年12月21日に国連総会において、全会一致で可決された「ハンセン病患者・回復者とその家族に対する差別撤廃決議および原則とガイドライン」について、世界の多くの方々にその意義について知ってもらうため、五大陸で開催を予定しているシンポジウムの第1回目です。ブラジルを皮切りに、アンゴラ、インド、エジプト、ジュネーブ、そしてニューヨークでの開催を予定しています。

 この2つの大きなイベントをこの時期にブラジルで行うことは、とても大きな意味があります。今年のはじめ、ブラジル保健省は2015年までにハンセン病を制圧すると公式に発表しました。世界に唯一残る未制圧国のブラジルが数年で制圧目標を達成することは、人類のハンセン病との戦いの歴史上の記念碑として大きな意義があります。この達成への過程で、さまざまな機会を設け、世界にこの病気の存在とそれにともなう社会的なスティグマや差別の問題について認識を新たにしてもらうことが重要です。ブラジルでは最近、過去存在していた隔離政策による被害者が声を挙げるなど、病気への注目度が高まっています。この時期に改めて人権問題としてのハンセン病への見直しを訴えかける大会を開催することで、ブラジルから大きな波を世界に起こしていきたいと考えているのです。

 日本からニューヨーク、サンパウロを経由する40時間の旅を経て、ブラジル北東部の海岸沿いに位置する地方都市、マセイオに降り立ちました。日本の真裏に位置するブラジルは、これから本格的な夏を迎える季節。思わず目を細めるほどの強い日差しの割に、湿気が少ないせいか、湿度の高い日本の夏よりはるかに過ごしやすい季節です。

 マセイオを訪れた目的は、ILA(国際ハンセン病学会)のアメリカ地域学会兼第12回ブラジルハンセン病学会に参加するためです。本学会は、ハンセン病の研究に携わる医者・科学者をはじめ、リハビリテーションや看護、さらには人権の専門家や歴史家、NGOも一堂に会し、幅広い観点からこの病気に対してアプローチするものです。開会式では、ILAの代表や保健省のハンセン病担当者が制圧への決意表明をした後、現場で患者発見のために働くヘルス・ワーカーの活動の重要性を指摘しました。私の演説では、自分がライフワークとしてハンセン病制圧活動に取り組むことになった経緯や、病気に対する差別の撤廃のために必要な戦略、制圧を間近に控えたブラジルへの思いなどを述べました。本学会には、1993年の第14回総会から2期9年間にわたり、ILA会長を務めた笹川記念保健協力財団の湯浅洋顧問も、85才という高齢をおして参加されました。1980年代から、WHOに協力してMDT(多剤複合療法)の開発に関わった湯浅博士にとって、ブラジル一国を残すのみとなった世界のハンセン病「制圧」の進展は感慨深いものがあると思います。

 ブラジルのジャルバス・バルボサ保健副大臣は、ビデオメッセージで、「ブラジルは公衆衛生上の問題としてのハンセン病の制圧目標達成まであと一歩のところまできている、この問題を喫緊の課題として、国として全力を挙げて取り組んでおり、国レベルのみならず、全ての州、町レベルに至っての制圧を目指し、各行政当局、医療関係者、NGO、回復者団体、市民社会組織などと幅広く協力して活動を進めているところだ」との決意表明は、言葉通りの速やかな制圧達成を期待したいものです。

 翌日、ホテルから車で30分ほど離れた場所にあるオリベイラ・サンタナ・リハビリテーションセンターを訪問しました。こちらは1940年代から続く障害者のための施設で、近年、州政府と共同でハンセン病患者の新規発見およびリハビリを行うチームを結成し、ハンセン病患者・回復者に正確な知識とリハビリの必要性を献身的に伝えています。また、コンピュータースキルなどの職業訓練のほか、施設のウェブサイト上に随時登録される企業の求人情報と、就職を希望する障害者のマッチングも積極的に行っています。そして、この仕組みに、ハンセン病回復者も参加させる取り組みも始めています。ただ、働くリスクを冒さずとも、社会保障で生活を送ることができるハンセン病回復者を労働市場に送るための動機付けは、易しいことではないとのことでした。この現象はブラジルに限ったことではありません。偏見や差別から雇用の機会を奪われてきた回復者が働き、経済的自立を果たせるような環境を整えることは、社会の義務であり世界の課題だと思います。このセンターで行われるような試みが、ひとつひとつ芽を出していくことを強く望んでいます。

 センター訪問後、前日に経由してきたサンパウロに舞い戻るべく、空港に向かいました。南半球最大の都市サンパウロを訪れたのは、先に述べた2012年1月30日開催の「グローバル・アピール2012」の発表式典に向け、共催者であるブラジル医師会と打ち合わせを行うためです。打ち合わせ会場で出迎えてくれたのは、2011年の秋までブラジル医師会会長を務められた後、世界医師会の会長に就任されたホセ・ルイス・ゴメス・ド・アマラル氏です。アマラル会長とは、半年前にフランスにある世界医師会本部を訪問して以来2度目の対面となりました。初対面の時、医師の方々にハンセン病の正しい知識を持って治療をしてもらいたいと考え、世界医師会にグローバル・アピールへの協力を持ちかけたところ、アマラル氏は深くこの問題を理解し、2011年10月に行われた世界医師会の総会で、グローバル・アピールに全面的に協力することが正式に決議された経緯があります。

 打ち合わせ会場には、アマラル会長の他、サンパウロ医師会の関係者や、ブラジル保健省のハンセン病担当者も出席し、ブラジルから世界に向けてハンセン病患者・回復者に対する差別撤廃のメッセージを発信することに、一同賛意と協力を約束されました。

 1980年代に122カ国を数えたハンセン病未制圧国は、現在最後のブラジル1カ国までになりました。常に懸念するのは、制圧が達成されることにより、保健省の政策課題としての優先順位が下がることです。しかし、今回の訪問で、政府関係者、WHO、NGO、医師会、メディア関係者など、幅広いセクターが、それぞれ制圧のその後まで見据えて活動を進めている様子がうかがえ、国レベルの先にある、州レベル、市レベルでの制圧への意欲、また医療面での制圧が達成されても終わることがない、社会的差別撤廃への盛り上がりを感じることができました。

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ILA学会で差別撤廃を訴える

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リハビリテーションで回復者と

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ブラジル出身のアマラル世界医師会会長と




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