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2012年07月01日(Sun)
「ブラジル(リオデジャネイロ・ブラジリア)でのハンセン病制圧活動
(星塚敬愛園入所者自治会機関誌【姶良野盛夏号】2012年7月1日掲載)

日本財団会長 
笹川 陽平 

 昨年末、ブラジルの第2の都市リオデジャネイロと首都ブラジリアを訪問しました。ブラジル訪問はおよそ3年ぶりですが、足を運ぶたびに目覚ましい街の発展ぶりに驚かされます。2011年には英国を抜いて世界第6位の経済大国になったと報じられ、日本から遠く離れていてもその動向は目が離せません。
 今回の訪問理由は、ハンセン病に苦しむ人々を一人でも減らすために各方面へ働きかけることです。ブラジルは、現在世界で唯一のハンセン病未制圧国(WHOの定める制圧基準:人口1万人あたり登録患者が1人未満)です。言い換えれば、この国の制圧をもって、全世界におけるハンセン病の制圧が実現するのです。これは、私にとっても、患者を隅々まで探して奔走する各国保健省の担当者、WHO関係者、NGOにとっても、大きな一里塚と言えます。そして、その先にある病気の根絶への、力強い動機付けとなるのです。

 ご承知の通り、日本では20世紀初頭からハンセン病患者に対する隔離政策により、根拠のない偏見や差別によってハンセン病患者・回復者の方々が苦しまれたという苦い過去があります。このような政策が行われた国は世界にいくつか存在し、ブラジルもその一つです。この国では1930年代に患者を隔離する法律が制定され、1962年に廃止されるまで続きました。そして、2007年、当時のルーラ大統領が、隔離政策の被害にあった回復者への補償法案に署名しました。この法案の制定には、ブラジル最大の回復者支援組織「モーハン(MORHAN:ハンセン病回復者社会復帰運動)」の代表であり、ハンセン病患者・回復者のためならば、大統領官邸からアマゾンの奥地まで走り回る、アルトゥール・クストディオ氏が尽力しました。彼は私の信頼する友人で、ブラジル訪問の際、滞在中の活動に全面的な支援を寄せてくれます。

 ハンセン病の制圧を間近に控えたブラジルで、今一度ハンセン病と人権の問題について世界に発信したい、と考えた私は、2012年初頭、2つの国際的なイベントをそれぞれサンパウロとリオデジャネイロで行うことを決めました、南米最大の都市サンパウロでは、世界医師会及び各国医師会のご賛同をいただき「ハンセン病に対する差別とスティグマをなくすためのグローバル・アピール」を、1月最終日曜日の世界ハンセン病デーに合わせて発表します。これは2006年からの取り組みで、7回目となります。今回世界の医師の皆様に呼びかけるに至った経緯は、ハンセン病の年間新規患者数がほぼゼロに近い日本では想像しにくいことかもしれませんが、病気が蔓延する途上国を中心とした地域では、医師の間ですら、病気に対する偏見や差別がいまだに残っているからです。薬で完治する、早期発見・治療によって障害も防ぐことができるといった病気に関する正しい基礎知識を持たない医師の存在は、ハンセン病に苦しむ人々が病院に行くことをためらわせることになります。世界医師会長でブラジル人の、ホセ・ルイス・ゴメス・ド・アマラル氏は、私の考えに強く賛同し、アピールの発表に全面的な協力をすると約束してくれました。

 また、グローバル・アピール2012式典の数日後にも、ハンセン病に関する人権シンポジウムを、リオデジャネイロで企画しています。こちらは、2010年12月21日に国連総会において、全会一致で可決された、「ハンセン病患者・回復者とその家族に対する差別撤廃決議および原則とガイドライン」について、世界の多くの方々にその意義について知っていただくために、五大陸で開催を予定しているシンポジウムの第1回目です。ブラジルを皮切りに、アンゴラ、インド、エジプト、ジュネーブ、そしてニューヨークでの開催を予定しています。

 さて、リオデジャネイロの空港に降り立った私達を待っていたのは、先に述べたブラジルの回復者団体であるMORHANの仲間達と、ブラジルの有名女優、エルケ・マラビリャさんです。個性的なメイクとファッションで、一度お目にかかると決して忘れないエルケさんは、社会貢献活動に大変熱心な女優さんです。自らMORHANの広告塔としてハンセン病問題に関しブラジル国民に広め続けており、私も何度もお会いしたことがあります。

 今回リオを訪れた理由は、かつての隔離政策によって子どもと引き離されたハンセン病回復者が、子ども達と対面するというMORHANが主催のイベントに参加するためでした。
隔離政策が行われていた当時、ハンセン病患者は、自分の子どもを連れて施設に行くことが許されなかったそうです。患者の幼い子ども達は孤児院に引き取られ、親と生き別れになったケースも多くあるようで、MORHANはこのような親子を引き合わせる活動を全国で行っています。今回のイベントは、今も多くの回復者が住むタバレス・ジ・マセドという名の元ハンセン病コロニーで行われました。会場となった広場では、リオデジャネイロ州、サンパウロ州など4州から約500人もの回復者と子ども達が集まり、親子の再会が果たされました。またこの問題に多くの関心を寄せ、孤立した子ども達への支援についても、辛い体験談とともに訴えていました。

 このような患者・回復者への差別の話は、世界中いまだ存在しています。聞くに堪えない辛い話ばかりですが、私たちは決して目を背けることなく、二度と同じ過ちが繰り返されないよう、きちんと残し、語り継いで行く責任があると思います。幸い、ブラジルではMORHANが積極的に政府関係者やメディアに当事者の声を届け続けています。問題が良い方向に進むよう祈る気持ちで、リオデジャネイロを後にしました。

 次の目的地は、ブラジリアです。1950年代、時のクビチェック大統領により新首都の建設が発案され、1960年にリオデジャネイロから機能が移管されました。見事なまでに整った区画に、ユニークな現代建築の建物が点在し、サンパウロやリオデジャネイロとは全く異なる雰囲気を持つ、政治機能に特化した都市です。

 ここを訪れた理由は、政府や国際機関の要職にある方々とハンセン病問題について話し合うためです。様々な国家課題の解決に日々奔走されている政治指導者、省庁の責任者に、病気の医療的・社会的問題解決の必要性について認識をしてもらい、政策上の優先課題として取り扱うように要請するのが私の役目です。今回は、ブラジルで初めて開催されるグローバル・アピールの式典と、人権シンポジウムに是非参加していただくようにもお願いして回りました。

 最初に、WHOブラジル事務所を訪れました。メヒア代表は、今年の1月に就任したジルマ・ルセフ大統領がハンセン病政策を国の重要課題と位置づけたことに触れ、国の理解を得ながら、地域レベル、現場レベルでの患者発見に全力を尽くしたいと話しました。

 その後、保健省を訪問、アレクサンドレ・バジルハ保健大臣は、ハンセン病は2015年までに制圧する、2012年度の予算も確保したと、制圧への強い意志を表明し、またグローバル・アピールと人権シンポジウムへの参加も約束してくれました。

 最後に、ブラジル大統領府人権問題特別庁の、ハマイス・カストロ・オリベイラ副大臣と会談しました。副大臣は国連で可決されたハンセン病に関する決議についても、よく理解しており、ルセフ大統領が人権問題を政策の重要課題として位置づけていることに言及し、患者・回復者に対する差別は人権を阻害している、笹川大使の取り組みには感謝していると話し、グローバル・アピールと人権シンポジウムについては、出席はもちろん、セミナーの成功のために、あらゆる面での協力を行うと発言しました。

 ブラジルはハンセン病制圧まであと一歩のところまで来ていますが、これは一つの通過点に過ぎず、引き続き患者を探す努力を継続する必要があります。また、ここブラジルで特筆すべきことは、MORHANをはじめとする、様々なNGOや有名人を含む個人が、病気とそれに伴う差別の問題の解決に心から尽くしていることです。過去に存在していた隔離政策を中心とするハンセン病に対する差別法を回復者とその支援者の声が集まって撤廃されましたが、法がなくなっただけでは決して消えることがない、人々の心に根付く偏見を取り除くためにそれぞれが役割を果たしています。このような取り組みにについて、ブラジルは先駆的で、活動的な国の一つであり、他国のモデルになると確信しています。五大陸を回って開催されるハンセン病に関する人権シンポジウムが、各国の法律、そして一人一人の意識を変えるきっかけとなるよう、引き続き邁進していく所存です。



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