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2015年09月07日(Mon)
更生して起業家目指す
少年院、刑務所の繰り返しから一転
職親プロジェクト九州でも


企業が親代わりに刑務所出所者らを受け入れ、働く喜びを知ってもらうことで再犯を防止する「職親プロジェクト」が関西、関東に次いで九州でも活動を始めることになり、8月28日、福岡県内の企業23社が博多駅前で設立に向けた準備会議を開いた。

ヒューマンハーバーでの生活と仕事を語る立花さん
ヒューマンハーバーでの生活と仕事を語る立花さん

会議には関係者約40人が出席。オブザーバー席には5月に1年間の更生プログラムを終え、リサイクル業を起業した立花太郎さん(34)の姿もあった。立花さんは「自分は人生の半分以上を施設で過ごした。学校にも行ったことがないし、勉強は嫌いだ」と、大半を少年院や刑務所で過ごした過去を振り返るとともに、「立ち直りたいと思ってもその場所がなかった。勉強できる環境は有難い」とプロジェクトへの期待を語った。

立花さんは中学2年生から鑑別所、少年院、刑務所を繰り返し出入りした。これまでに施設に入った数は12回。初めて刑務所に入った時の6年間が最も長かった。その後も出入りを繰り返したが、1年や3年の刑期は短く感じ、「楽勝という気持ちだった」。バイクを盗み、恐喝や傷害事件、暴力団の構成員にもなっていた。

2013年12月に出所したのを最後に、翌年1月に更生支援を目的に設立された産業廃棄物業「ヒューマンハーバー」に入社した。同社で働いていた“悪行時代”の先輩から「真面目になる気はあるか」と誘われ、「100人の起業家を育てる」同社の理念に惹かれ入社を志望、課題作文に「経営者になりたい」と書いた。

立ち直りを決意するまでには長い時間が掛った。最初の刑務所服役中には母親が亡くなった。出所前に父親から初めて手紙で知らされ、「母親が亡くなったとき自分は施設の中で何をしていたのか、笑っていたのではないか・・・」。そんな“苦い”思いもあった。その後も刑務所には3回入った。刑務所で知り合った仲間もいて、施設の生活は苦にならなかった。早く出て組織のために働きたいとも思った。既に組の若頭にもなっていた。

そんなころ尊敬していた組長が組織を解散した。他の組から誘いもあったが全て断った。もっとも売られた喧嘩を買う性格は変わらず、傷害罪などでさらに2回刑務所に入った。出入所を繰り返すうち「施設の生活には飽きた」。そんなときに出会ったのがヒューマンハーバーだった。

ヒューマンハーバーは仕事のほかに教育の時間を設けている。かつての学校が頭に浮かび、嫌だなとも思った。出来が悪かったため、先生にいじめられたトラウマがあった。小学1年生のときに「手を上げても当てられない。分からないときだけ当ててくる」。それで勉強が嫌いになった。

立花さんの作業風景(ヒューマンハーバー時代)
立花さんの作業風景(ヒューマンハーバー時代)


学習力は小学3年生くらいで止まっていた。分数も分からない。最初の授業で「何が分からないのか」と尋ねられた。ヒューマンハーバーの授業は、止まっている3年生から4、5、6年生と順に進めるのではなく、今後、必要となる教育を中心に行う。勉強を嫌がる姿に、最初なかった宿題は1枚、また1枚と増えていった。「いつの間にか、やる気にさせるのが上手です」と振り返る。

基本は「読み・書き・算盤」。何故算数が必要なのか。例えば、「1+1」が将来どのように活かされるのか、といったことを教えられた。また全ての人が正しい日本語を使うわけではないが、将来社長になりたいのなら正しい日本語が必要と悟らされた。やがて算数、国語を前向きに学ぶようになり、勉強嫌いの自分が「意外とできる」のに気付き、「何故、小学生の時にやらなかったのか」とも思った。

自分が立ち直ったとは思っていない。「何かの拍子に悪になる。油断はできない」。仕事には前向きだったが、入社して11ヵ月目までは寝坊、遅刻を繰り返し、酒を飲むと朝まで飲んだ。ヒューマンハーバーの更生プログラムは1年間の雇用を条件に提供される。当時、副社長から「最後のチャンスだ。腹を括れ」と戒められ、「自分は独立するんだ。もう後はない」と早起きを考えるようになった。焦りと危機感の中、「やればできる」と言われたことが自信につながった。プログラムの教育課程で日本語検定3級、情報処理検定3級を取得、仕事も1人で2人分をこなせるようになり遅刻もなくなった。

起業に当たっては、ヒューマンハーバーでの経験はもちろん、今の自分にできること、今すぐに始められること、資金ゼロでもできることを考え、リサイクル業を思い立った。リサイクル業を始めるには廃品を回収するための車が欠かせない。しかし、刑務所を出入りしているうち免許は失効していた。そこで、日本財団の再チャレンジ奨学制度を活用した。同奨学制度は出所者が働くのに必要となる技能、資格を取得する教育費が提供されている。車は叔父の中古車を譲り受けた。多くの出会いが自分を支えていると実感したという。

6月に会社を立ち上げ、ギリギリの生活ながら19歳の女性と入籍。11月には子供が誕生するという。入籍前に全てを語ろうとしたが、「過去のことは聞かない。今が真面目ならいい」と励ましてくれた。

出所者を雇うヒューマンハーバーだったから自分をさらけ出せた。過去を話せることで付き合いが広がり、人とのつながりで仕事も広がった。背伸びをしてもできないことはできない。今はできることをしたい。自分と同じような出所者を受け入れるのが将来の夢。最後に更生の条件を尋ねると「本人が変わりたいと思うこと。それを支えてくれる人がいること」と語った。
(福田英夫)









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