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2015年07月23日(Thu)
比残留2世国籍取得問題
安倍首相、協力を約束
日系人会代表が早期解決を要望


カルロス寺岡氏から要望書と署名簿を受け取る安倍首相
カルロス寺岡氏から要望書と署名簿を受け取る安倍首相


終戦の混乱で現地に取り残されたフィリピン残留日系2世の国籍取得問題でフィリピン日系人会の代表が来日、7月22日、首相官邸に安倍晋三首相を訪ね、早期解決を求める要望書を約2万8千人の署名簿とともに提出した。

要望書では、日本政府がフィリピン政府とも協力して身元調査を進め、残留2世を孤児と認定した上、名簿を作成するほか、日本国籍取得に伴い発生する罰金など新たな法律問題の解決を求めており、安倍首相は「戦後70年を迎える中、日本人としてのアイデンティティーを取得したいという思いは当然で、政府としても、しっかりと協力をさせていただきたい」と述べた。
来日したのは代表のフィリピン日系人連合会前会長・カルロス寺岡氏や現会長で日系3世のイネス・マリヤリさんら7人。「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」(PNLSC)とともに残留2世の国籍取得を支援する日本財団、さらに「日比友好議員連盟」を訪問、協力を要請した後、日本財団の笹川陽平会長、友好議員連盟の小坂憲次会長らとともに官邸を訪れた。

首相を囲み記念撮影
首相を囲み記念撮影


外務省が1995年以降、日系人連合会やPNLSCに委託して実施した調査によると、確認された残留2世は3,545人。うち1058人は日本人の父親が判明し日本国籍を取得している。残る2,487人のうち1,288人は日本国籍を手にしないまま故人となり、残る1,199人の日本国籍取得が急務となっている。

しかし、282人は身元に関する手掛かりがなく、残る残留2世も父親が日本人であるのは間違いないものの出身地などが特定できない、あるいは本人の出生証明書など父親との関係を裏付ける資料がない、などの理由で日本国籍を取得できていない。強い反日感情の中で、残留2世が日本人であることを示す写真や資料を捨て去って生きてきた経過もあり、戦後70年も経た現在、新たな証拠を発掘するのは極めて困難な状況にある。

日比友好議員連盟で行われたヒアリング。カルロス代表は“われわれは棄民だった”と早期解決を訴えた
日比友好議員連盟で行われたヒアリング。カルロス代表は“われわれは棄民だった”と早期解決を訴えた


そうした中で日本国籍を取得するには、新たに戸籍を設け国籍を取得する「就籍」手続きしかなく、2006年以降、200人を超す残留2世が東京家庭裁判所に就籍の申し立てをしているが、これまでに認められたのは157人にとどまる。同様に終戦の混乱の中で現地に取り残された中国残留孤児1250人が、同じ手続きで既に日本国籍を取得しているのに比べ大きな開きがある。

中国残留孤児の場合、日中両国政府の合意で作成された孤児名簿を基に東京家裁の審判が迅速に進められており、今回の日系人会の要望も、日本政府がフィリピン政府と協力して残留2世の名簿化を進めることで、東京家裁の審判を加速させるのが狙い。一行が訪問した日比友好議員連盟の会合では、外務省南東アジア第2課から「PNLSCや日系人会が行う現地で行う調査には在フィリピン大使館員が立会い、就籍審査の際はその旨を証明する書類を家裁に提出する」などの説明があった。

残留2世の名簿は2010年からPNLSCでも作成、外務省に提出され、これまでに計37件の就籍の審判に資料として提供されているが、うち就籍が認められたのは24件、12件は却下(残る1件は取り下げ)となっており、大使館員の立会いがどの程度の効力を持つか未知数。PNLSCの河合弘之会長が「立ち会うだけでは裁判官の信用が得られない」と“不満”を表明する一幕もあった。

また国籍取得後の罰金など法律問題に関しては、笹川会長が「それこそ国と国の間で解決する問題」と指摘、イネス会長も「フィリピン政府とも協議して会長在任中に何とか解決したい」と語った。

日本財団での記者会見、7人の代表がそれぞれの思いを語った
日本財団での記者会見、7人の代表がそれぞれの思いを語った


戦後70年を迎え残留2世の平均年齢は既に76歳。「日本人の証」を求める残留2世の願いは時間との戦いになっており、友好議員連盟が関係する厚生労働、外務、法務各省から意見聴取を進めるなど新たな動きの中で今回の代表訪日が実現した。「民」の立場から残留2世の国籍取得を支援してきた笹川会長は日本財団で行われた記者会見や友好議連のヒアリングで「残留2世の方々は戦争の犠牲者。誰が見ても日本人と分かるこの人たちの国籍問題を70年も放っておいて果たしていいものか」と問い掛け、急きょ実現した首相官邸訪問に関しては「7月20日の海の日の式典で首相にお願いしたところ、快く引き受けてもらった」と一行に説明した。(宮崎正)


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