2015年03月02日(Mon)
柔軟な被災地復興こそ 地域創生につながる
(リベラルタイム 2015年4月号掲載)
日本財団理事長 尾形 武寿 ![]() 政府は「復興は進んでいる」と言うが、被災者の生活再建はいまも大きく遅れている。 復興庁等によると現在も23万人(1月15日現在)が避難生活を送り、うち9万7千人は仮設住宅で生活。震災前の機能が回復した漁港は26%、岩手、宮城、福島三県の水産物の水揚げも震災前の70%に留まる。 |
背景には国の復興計画が思うように進んでいない現実がある。例えば東日本大震災の復興予算。平成25年度は7兆5000億円が組まれたが、35%に当たる2兆6千500億円は未執行に終わった。
人手不足や廃棄物の仮置き場が確保できない等、さまざまな理由があるが、復興計画について住民との合意形成ができていないのが一番の原因。 要となる国の「防災集団移転促進事業」。大津波で浸水した地域を災害危険区域に指定し、住民を高台に移住させる一方、跡地に商業施設を整備し、これを防潮堤で守る、というのが事業の骨格だ。 しかし岩手県から茨木県にまで及ぶ広大な被災地には、600を超す市街地や漁村が並び、北と南では自然環境も生活習慣も違う。同じ漁業でも漁法も取り扱う魚類も異なる。国の防災計画を一律に適用するには無理がある。 そうでなくとも国の復興計画には、津波対策を重視するあまり、移転後の被災者の生活をどう安定・発展させるか、将来ビジョンが希薄な印象をぬぐえない。 例えば筆者の出身地でもある宮城県石巻市の雄勝町。中心部の雄勝地区では630世帯のうち590世帯の家屋が大津波で流出し、100人近い犠牲者が出た。住民も漁業関係者、観光業、一般住宅と多様。 漁業関係者には漁港の復旧こそ最優先事項であり、防潮堤は「海を知らない人間の机上の空論」と映る。一方、高台への移転を余儀なくされる住民にとっては、そこに商店や医院など日常生活に必要な施設がどこまで整備されるのか、現時点では見通せない点がいくつもある。 魅力ある街づくりが進まない限り、若者の流出は続く。まして都会に出た若者が故郷に戻る可能性は少なく、大震災以降の過疎化が加速しかねない。 事実、大震災後、被害が集中した岩手、宮城、福島の太平洋岸地域は人口が2%も減少、住民票を残したまま他地区で暮らす人を加えると実際の人口減少はさらに深刻だ。 雄勝町では当初、高台移転にかなりの人が同意し、移転用地も既にが確保されているが、現在は対象世帯の90%が移転に消極的と聞く。 以前、地元の葉山神社を訪れた際、若い宮司さんは「周りには住宅が密集していました。皆がここに残りたいのです。少しの援助があれば家を建て生活できるのです」と、ともすれば固すぎる国や県の対応に疑問を投げ掛けた。 突き詰めれば、震災復興は、少子高齢化と、これに伴う人口減少の中で喫緊の政策課題となりつつある地方創生の問題でもある。 地方創生は、「日本創成会議」が昨年5月、2040年までに全国896市町村で行政機能の維持が困難になる恐れがある、との試算を公表したことで一挙に危機感が広がった。 これに対し政府は昨年十二月、「まち・ひと・しごと創生総合戦略」をまとめ、「地域の特性に即して地域課題を解決する」との基本方針を打ち出した。 被災地こそ地方創生の現場であり、今後の多様な試みの実験場でもある。一律の基準を押し付ける災害復興は、それ自体が地方創生に向けた政府の方針と矛盾する。大震災の教訓を生かすには柔軟な対応こそ必要―。あらためて、そんな思いを強くする。(了) |