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2015年02月17日(Tue)
ハンセン病の差別の歴史を人権教育に 「ともに生きる」シンポ開催
報告を熱心に聴く参加者
報告を熱心に聴く参加者


 ハンセン病回復者の尊厳回復を図るシンポジウム「ともに生きる〜尊厳の確立を求めて」が2月7日、東京都清瀬市の国立ハンセン病資料館で開かれた。戦前、戦後の学校教育の中でハンセン病に病んだ子どもたちが受けた心と命の被害が報告され、いじめが多発する現在の学校教育でも人権を考える貴重な教育素材となることが指摘された。
 このシンポジウムは、日本で初めて発表された「グローバル・アピール2015」のサイドイベントの一環で、NPO法人「IDEAジャパン」(森元美代治・代表)が主催した。IDEAは1994年にブラジルで設立、日本を含め世界30数カ国に活動拠点が設けられた国際ネットワークだ。「IDEAジャパン」は国内外で回復者の自立や啓発活動などに取り組んでいる。

IDEAの活動報告をする村上さん
IDEAの活動報告をする村上さん


 最初に「書くこと、伝えること」をテーマに、IDEAジャパン事務局長の村上絢子さんが、世界各国のハンセン病回復者との交流を報告。その中で、米国のカービル療養所で唯一の日本人「ヒロコ」さんとの出会いを語った。ヒロコさんは1960年代に沖縄で発症、隔離を恐れて米国に渡った。村上さんは波乱に満ちたヒロコさんのヒストリーをまとめ、週刊誌で発表した。

ハンセン病と教育について講演する佐久間さん
ハンセン病と教育について講演する佐久間さん


 ハンセン病の歴史の中で、教諭はハンセン病のこどもに何をし、何をしなかったのか―教育との関わりを発表したのは佐久間建さん。東村山市で小学校教諭をしながらハンセン病問題に取り組み、都の特別研修生として上越教育大学院に2年間留学。その間に青森から沖縄まで全国13の国立ハンセン病療養所を回り、教諭がハンセン病の子どもたちにどう接してきたかをまとめた「ハンセン病と教育」をこのほど出版した。

 「担任の先生から校長先生の所に行くように言われた。校長先生は一通の封筒を出し『明日から学校に来なくていい』と言われ、登校停止となった」。薄茶色になった50年以上も前の通信簿。10月途中から登校を止められ3学期はすべて空白となっている。「通路をふさがれて席に着けなかったり、つばをかけられたり。担任の先生は見て見ぬふりをして注意もしなかった」。佐久間さんは、学校で子どもたちが受けた心の傷を報告する。

身体検査で子どもらは療養所に 佐久間さんの発表資料より
身体検査で子どもらは療養所に 佐久間さんの発表資料より


 らい予防法の下、教師は学校の健康診断で「らい」の子を見つけて警察、保健所に通報し、療養所に送りこんだ。子どもが故郷を離れ療養所に隔離されても、教え子に手紙や面会をして折衝を保とうという教諭は、佐久間さんの聞き取り調査では誰もいなかったという。

 現在、小中高校の教科書にはほぼハンセン病が人権問題の教材として掲載されている。そんな中で、昨年6月に福岡県の小学校で、人権教育を担当する教諭が「ハンセン病は体が溶ける病気」などと授業で説明。誤解した児童らが「怖い」などと書いた感想文を熊本県内のハンセン病療養所に送ったことが発覚した。

 この問題について佐久間さんは、らい予防法の廃止や回復者の国家損害賠償訴訟などを受けてハンセン病を国が180度転換して教材として取り上げることにしたことは、「上からの人権教育で、教師が地に足をつけた取り組みになっていないことも一因」と指摘。ハンセン病に対する無知と偏見が学校現場に残っており、差別された事例を表面的に学習した児童の感想は「こんなに恐ろしい病気だ。患者はかわいそうな人たちだ」という表現が多くなるという。

 こうした「負の歴史を人権教育」にどう生かすのか。佐久間さんは過去の悲惨な面のみを強調するのではなく、ハンセン病回復者が人間らしい尊厳を取り戻すために力強く生きた姿を学んでもらうことだという。「現在の輝いている生き方に共感することが『共に生きるという感性』を育てることができ、ハンセン病を一つの突破口にして人権を考えることが重要だ」と力説した。

ハンセン病回復者への支援活動を話す森元さん
ハンセン病回復者への支援活動を話す森元さん


 最後に森元さんが、ネパールを訪れてハンセン病患者の支援活動をしたビデオを紹介。東南アジアでの貧しい子どもらが教育を受けられるようにする活動に触れながら、現在、学生ボランティアがハンセン病支援に立ち上がっていることについて「孫と思って一緒に活動をしている」と期待を込めた。


国立ハンセン病資料館ロビーでは写真展「輝いて生きる」も、6〜8日の日程で開催された。写真家の八重樫信之さん(IDEAジャパン理事)が撮影。今年100歳を迎える鈴木禎一さん(多摩全生園)ら人間として生きようとする姿を伝えている。(花田攻)
タグ:ハンセン病
カテゴリ:健康・福祉





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