2015年01月27日(Tue)
ハンセン病患者・回復者の治療やケアを受ける権利を グローバル・アピール2015発表 安倍首相が挨拶
![]() グローバル・アピールを読み上げる ハンセン病患者・回復者に対する差別の撤廃を世界に訴える「グローバル・アピール2015」が日本財団と国際看護師協会の連名で1月27日、東京都内で発表された。10回目となるアピールを日本で発表するのは初めて。アピールでは「ハンセン病は治る病気だが、社会に蔓延するスティグマにより患者・回復者さらには家族までもが社会から排除され、耐えがたいほどの苦難を強いられている」と指摘、「看護職はハンセン病患者や回復者の治療やケアを受ける権利を支持し、差別がなくなることを訴える」と宣言した。 |
ハンセン病は有効な治療法が確立し、世界保健機関(WHO)などによると世界の患者数は1985年の約540万人から2012年には18万人まで減少したが、ハンセン病患者・回復者とその家族は教育や就労、結婚などで社会的な差別を受けているのが現状だ。
![]() 「差別の解消」を表明した安倍首相 宣言式典では、安倍晋三首相が出席し、ハンセン病患者の施設入所策で社会的な差別を助長した歴史を反省して政策転換した経緯に触れた上で、「現在でも療養所に入所している回復者の方が安心して穏やかに暮らしていけるように努め、ハンセン病に対する差別・偏見の解消に取り組んでいく」と政府としての決意を表明。塩崎恭久厚労相からもハンセン病への差別撤廃への決意が語られた。潘基文国連事務総長とダライ・ラマ法王が寄せたビデオメッセージも紹介された。 ![]() ![]() 写真左:主催者としてあいさつする笹川会長 写真右:国際看護師協会のジュディス・シャミアン会長 主催者として笹川陽平会長があいさつ。日本で初めて発表する意義に触れ「若い世代に問題意識を持っていただき、長い歴史の中に埋もれてきた出来事が持つ深い意味を考える機会になってほしい」と訴えた。さらに「沈黙したまま苦しみ続けてきた人、今なお苦しみを抱えながら生きている多くの人々の苦悩にしっかりと向き合ってみよう」と呼び掛けた。国際看護師協会のジュディス・シャミアン会長も、患者に寄り添う立場からハンセン病患者へのケアの重視と、差別をなくすことへの重要性を強調した。 ![]() 宣言を読み上げた後、安倍首相の昭恵夫人ら記念写真 続いて来賓のラモス・ホルタ元東チモール大統領と、スリン・ピッスワン元ASEAN事務総長が挨拶した後、フィリピン・クリオンハンセン病総合病院の看護師と、世界で唯一の未制圧国となっているブラジルでハンセン病NGO活動をしている代表がアピールを読み上げた。 アピールでは、保健医療専門職の中で世界最大数を占める看護職として、「薬で菌は消滅し、早期発見、早期治療により身体の障害を防ぐことができる。ハンセン病患者を隔離する医学的根拠はない」と明確なメッセージを発信。「患者・回復者、家族が人としての権利を平等に享受し、コミュニティーの一員として尊厳ある生活を営む権利を有することを支持する」と結んだ。 グローバル・アピールは国際機関、各国政府、一般市民を対象に、ハンセン病が完治することや差別は不当であることを訴えるもの。WHOハンセン病制圧大使、日本政府ハンセン病人権啓発大使を務める笹川陽平・日本財団会長の呼びかけにより2006年から始まり、これまでノーベル平和賞受賞者や宗教指導者らが連名で発表してきた。 この後、「今、何故ハンセン病問題なのか」を基本テーマに国際シンポジウムが開かれた。「ハンセン病回復者によるライフ・ヒストリーの共有」では、インド・ハンセン病回復者協会会長のヴァガヴァタリ・ナルサッパさん(46歳)と、国立療養所多磨全生園の山内きみ江さん(80歳)の2人が証言。ナルサッパさんは9歳の時に発症し、施設で治療を受けて2年後には退院できたが、家に帰る道が分からず、家族や村から拒絶されてしまった。その後医療技術を身につけ患者の権利と尊厳の回復を求めて、国内だけでなく海外でも積極的な活動を行っている。 山内さんは22歳の時にハンセン病と診断され、療養所に入る必要はないと言われたが、家族が偏見の目にさらされることを気遣い、多磨全生園に入所。そこで結婚し、70歳になってから夫と社会復帰を決意し、様々な偏見を乗り越えてマンションで暮らすことができた。「手料理を食べさせ、風呂に入れる。社会に出た実感が持てた。生きた人間らしい生活ができた」と山内さん。夫が亡くなった後、体調管理のため多磨全生園で暮らしている。 パネルディスカションは3つのテーマで行われた。このうち「ハンセン病と医療・看護―あらゆる人に尊厳あるケアを」は患者に寄り添う看護の立場から4人のパネリストが報告。会場から看護の中でのハンセン病の位置づけなどについて活発な質疑が行われた。 「風化させてはならないハンセン病の歴史」では、日本のほか世界最大のハンセン病コロニーと言われたフィリピン・クリオン島、世界で唯一ハンセン病未制圧国のブラジルでの隔離と差別の歴史、その歴史を保護する取り組みが報告された。語り部として活動している平沢保治さんは自身の差別との闘いを述べた後「過去の歴史を未来に生かす。社会のための苦しみを21世紀に受け継いでいくべきだ」と力説。国立ハンセン病資料館の黒尾和久・学芸部長は、日本では隔離政策で子どもを産めないようにしたので、ハンセン病元患者の2、3世がいない。だれが遺産を引き継ぐのかが大事で、記録や記憶をストックする重要性を説いた。 最後は「ハンセン病問題の将来−私たちにできることは」。中国では学生が回復者村でワークキャンプを展開し、道路工事や食事を一緒にする協働作業を通じて差別をなくす運動を広げていることが報告された。タイでは農地や医療面などをテコにコロニーと地域の集落との垣根を取り払い、統合する試みがなされている。ブラジルからは芸能人をコロニーに招いてコンサートを開催するなど、独創的な活動が紹介された。 ハンセン病患者・回復者に対する差別・偏見を取り払う小さな、そして確かな積み重ねが、一刻も早く世界的に大きなうねりとなることが期待される。(花田攻) |