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2014年10月02日(Thu)
地名には「先人の警鐘」がある 広島土砂災害は“人災”
(リベラルタイム 2014年11月号掲載)
日本財団理事長
尾形 武寿


Liberal.png 8月20日、広島市を襲った土砂災害は死者、行方不明者74人、家屋の全半壊65戸、1000人以上が避難する大惨事となった。

 政府が激甚災害に指定したのを受け日本財団でも、救助犬訓練士協会への特別支援金の交付やボランテアセンターの運営支援などに乗り出し、私も8月29日に被災地を訪れ、死亡された被災者のご遺族らに弔慰金、見舞金をお渡しした。
 今回の土砂災害は、花こう岩が風化してできた「まさ土」と呼ばれるこの地特有のもろい地質が、一時間に最大120mmにも達した猛烈な雨で表層雪崩を起こしたといわれる。

 国土交通省の資料や報道によると、全国で52万ヶ所に上る「土砂災害危険箇所」のうち、広島県には最多の3万2000ヵ所が集中する。1999年、同県で32人の死者・行方不明者が出た土砂災害を教訓に土砂災害防止法が施行され、広島県は3分の1強の約1万2000ヵ所を警戒区域、うち1万800ヵ所を大きな被害の恐れがある特別警戒区域に指定していた。

被災現場では急な上り坂の両側に建ち並ぶ民家が大量の土砂や巨石で押しつぶされ、後方の山には緑の斜面を縦に切り裂くように土砂崩れの跡が残っていた。土石流が猛烈な勢いで谷を流れ落ちたといわれ「何故こんなところに住宅が・・」との疑問が付きまとった。

 その後の発表によると、がけ崩れは広島市内の計59ヵ所で発生し、大半の56ヵ所は安佐北区と同南区に集中していた。しかし安佐北区の可部東地区など一部が警戒区域に指定されていたものの、被害が大きかった安佐南区の八木、緑井、山本といった地区は指定外だった。

 安佐南区八木地区の八木三丁目辺りはその昔、「蛇落地悪谷じゃらくじあしだに」と呼ばれ、時代とともに「八木上楽地芦屋」、さらに現在の「八木」に変わったといわれる。

 「蛇」が付く地名は全国にあり、激しく水が流れ落ちる様や土石流を蛇に見立てたのが由来という。蛇落地悪谷も、先人がこの土地の危険性を後世に伝えるため警鐘を託した地名とみて間違いない。

 私の出身地である宮城県でも、女川町の「おな」は「男波おなみ」、名取市の「とり」は土地が削り取られた様を指し、いずれも大津波の記憶を後世の残す地名と聞く。

 近年、宅地開発や町村合併で本来の地名が次々に姿を消し、それとともにその土地が持つ災害の記憶も忘れ去られている。

 警戒区域に指定されると、市町村は避難計画を策定する必要があり、特別警戒区域となると建物の新築規制なども加わる。地価が下落するケースもあり、開発業者だけでなく住民も指定を嫌う傾向があるようだ。

 時代の流れの中でやむを得ない面もあろうし、開発予定地域が土砂災害危険個所であることを自ら明らかにする業者もいないと思う。

 しかし、いかに甚大な土砂崩れや土石流であろうと、人が住んでいなければ、単なる地表の変化で済む。やはり災害を未然に防止するには、危険区域の開発を事前に規制するのが最も効果的だ。行政が危険区域と承知しながら開発許可を与えたとすれば、責任は免れないのではないか。今回の災害を「人災」と指摘する声が強いのもそのためだ。

 テレビのインタビューで被災者の一人は「危険地域であることが事前に分かっていれば、仮に入居したとしても大切な荷物を二階に置くなど生活の仕方を変えた」と語っている。

 町村合併などにより歴史のある古い地名は全国各地で姿を消している。災害だけでなく地域の文化、伝統を後世に伝えるためにも安易な地名変更は考え直すべきではないかー。悲惨な災害現場を前に、そんな思いを強くした。




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