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2013年04月01日(Mon)
強権中国が熱心な「笹川医学奨学金制度」
(リベラルタイム 2013年5月号掲載)
日本財団理事長
尾形 武寿


Liberal.png 中国に「笹川医学奨学金進修生同学会」という組織がある。一九八七年にスタートした、「日中笹川医学奨学金制度」で日本に留学経験を持つ医師の同窓会で、会員は約二千三百人。百五十万人を超す中国医学会の中でも中核的な位置を占め、二〇〇二年のサーズ(重症急性呼吸器症候群)騒動や〇八年の四川大地震では、ボランティア診療に取り組み国民から感謝された。
 理事長は趙群氏。中国東北部・遼寧省の省都・瀋陽にある中国医科大学の学長で、自身もこの制度で一年間、旭川医科大学に留学経験を持つ。一学年一千七百人の中国医科大学には七年間、日本語で臨床医学を学ぶクラス(定員六十人)もあり、日本留学経験を持つ医師も百八人と、参加医科大の中で最も多い。

 瀋陽は戦前、奉天と呼ばれ旧満州国の中心でもあった。歴史認識が問題視される中、そこでいまも日本語教育が行われている現実に、中国の懐の深さを感じる。

 そもそもこの奨学金制度は、八六年当時、日中医学協会の理事長だった故石館守三会長が、現日本財団故笹川良一会長(当時)に「年に三~五人の医者を中国から招聘し、一年間日本で研修をさせたい」と相談に来られたのが発端。同席した笹川陽平理事長(現会長)が「どうせやるなら、毎年百人、最低十年間継続しましょう」と逆提案し、スタートした。

 その際、日本財団はいくつかの条件を提示した。「医学生は全国からまんべんなく選出する」「看護師の養成や公衆衛生分野も含め、すべての医学分野を対象とする」「講義は英語もしくは日本語で行う」「研修終了後は必ず本国に戻る」などで、奨学金の上前を在日中国大使がはねる、“上納金制度”の廃止といった、いまから思えば大胆な注文もつけた。

 当時、中国から公費あるいは私費で外国に留学する学生は、七万五千人に上っていた。しかし国内には働く場所がなく、留学期間を終えても八〇%は帰国しなかった。こうした中、日中笹川医学奨学金制度の留学生は天安門事件後、カナダに亡命した三人を除き全員が帰国。制度発足から四半世紀を経て、結束の固さとレベルの高さが注目されている。

 奨学金制度開始五周年の一九九二年には、笹川医学奨学金進修生同学会の立ち上げも認可された。中国では、当時もいまも集会や結社の自由はなく、日本でいう法人格はないものの、中国政府が設立を認めた背景には、事業に対する信頼と高い評価があった。中国政府の強い要望で第一次の十年に続き第二次十年、第三次五年と事業が継続され、今年で二十五年の節目を迎えた。

 日中関係は尖閣諸島問題で冷え込み、政府間交流はもちろん、民間交流もほぼ全面的に停止している。そんな中、中国衛生部との交渉の結果、四月からさらに五年間、第四次事業を継続することになった。

 これまでは、関連経費のほぼ一〇〇%を日本財団が負担してきたが、新計画では八〇%以上を中国側が負担することになっており、事業にかける中国側の熱意の高さを実感している。

 交渉で北京に向かう途中、福建省に立ち寄った。この地は華僑を多く輩出し、海を通じて沖縄や長崎との長い交流の歴史を持つ。指導者は「島の帰属をめぐって、譲らない双方の指導者の判断は誤っている」とまで語った。

 いまも日本語教育を採用する中国医科大学、国家の威信をかけた政治の論理とは一味違う福建の人々の柔軟な発想、さらに奨学金制度継続に向けた中国衛生部の熱意に接するにつけ、硬直した日中関係の打開に向けた確かな手応えを実感する。調印式は、共産中国のシンボルでもある人民大会堂で是非、行いたいと考えている。



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