2013年05月01日(Wed)
多様な震災復興策でコミュニティー崩壊を防げ
(リベラルタイム 2013年6月号掲載)
日本財団理事長 尾形 武寿 ![]() |
被災地ではいま、復興の在り方をめぐり、助け合うべき被災者が対立する事態も生まれ、人口流出も続いている。このままでは長い歴史の中で築かれてきた地域のコミュニティーは崩壊する。
津波で被災した地域の高台移転や地盤のかさ上げ、防潮堤の建設といった復興計画は、選択肢が狭すぎるのではないか。復興予算は国や県が確保するとして、具体的な復興計画の策定と実行を地元に任せてこそ、復興は前に進むー。亀山市長には、そんな思いを、お伝えした。 今回の大震災で引き合いに出される、阪神・淡路大震災(一九九五年)では、ボートレース業界も七十二億円の支援金を拠出し、何度も神戸を訪問した。震災二年後の復興の足取りは、はるかに順調だったと記憶する。政治判断が迅速に行われた、との指摘もあるが、東日本大震災では被災地が六〇〇kmにも及ぶ東北の太平洋岸全体に広がり、東京電力福島第一原子力発電所事故も重なった。一概に比較するのは無理がある。 確かに高台移転は、最大で四〇mにも達した大津波の記憶からすれば、合理的で分かりやすい。しかし被災した三陸の海岸には急峻な後背地が迫り、点在する七百近い集落は文化から生活習慣、漁業方法まで違う。適地の確保自体が難しいからといって小規模な高台をいくつもつくれば、電気、ガスや上下水道等インフラの整備費や維持費は膨れ上がり、高台相互間や都市部とのアクセスが、よほど整備されない限り陸の孤島と化す。 もともと漁業は潮の満ち引きや天候、海面の変化を肌で知ることで成り立つ。浜辺に「番屋」を設け、交代で海の変化を見守ってきた人々が、海から遠く離れた高台で生きていくことはできない。七〇%を超す住宅が津波で全壊した石巻市の旧雄勝町では、市が高台移転を決めたものの、九〇%が応じない意向を示したと聞く。 防潮堤の建設も、一〇〇tにも及ぶコンクリートのケーソンを石ころのように押し流し、「万里の長城」とまで言われた宮古の大長堤を一瞬のうちに破壊した大津波に対し、どこまで有効か、疑わしい。 震災から二年を経て、住宅建設が始まっている地域は被災地全体の一〇%にとどまる。原発事故による放射能汚染を含め「これ以上、危険と向き合って生きていけない」と古里への帰還をあきらめる人の気持ちがわからぬではないが、震災以降、人口減による統廃合に伴い減少した小中学校数が岩手、宮城両県だけで三十五校に上っている現状は尋常ではない。 十年、二十年先の街の姿が見えてこないのが、一番の原因ではないか。「千年に一度の大津波にも安全」の一点で、高台移転を中心にした復興事業を進めていくのは無理がある。 今回の大津波では、コンクリート建築の学校や公共施設の三、四階に駆け上って助かった人も多く、災害情報の伝達やスロープ等、避難経路が確保されていれば八〇%は助かった、との指摘もある。高台移転より、地元の再生に重点を置いた“現地復興”こそ必要と考える。現に三陸の人々は過去、何回も大津波に襲われながら、その都度、工夫を凝らし浜で生きてきた。被災者が当たり前の生活に戻るためにも、多様な復興策を求めたい。 |
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