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2013年06月03日(Mon)
手話はひとつの文化を形成している
(リベラルタイム 2013年7月号掲載)
日本財団理事長
尾形 武寿


Liberal.png 四月、鳥取県の平井伸治知事を県庁に訪ね、同県が全国に先駆けて制定を目指す、手話言語条例(仮称)の共同研究を進めることで、日本財団と合意した。

 平井知事は、学生時代に日本赤十字のボランティアとして手話に触れた経験を持ち、県の将来ビジョンに「手話は言語として、ひとつの文化を形成している」と明記するだけでなく、「障害を知り、共に生きる」を合言葉に、障害者自立等に向けた対策に積極的に取り組み、他の自治体からも注目されている。
 一方、日本財団も、二十年以上前からアメリカ・ギャローデット大学等、二大学に奨学制度を設け、アジア各国のろう者のリーダー育成の他、手話辞書、教材開発に関わる人材育成を進めており、蓄積したノウハウを共同研究に生かすことになった。

 手話は、全国で三十五万人と推計される聴覚障害者のうち、約六万人のろう者が第一言語とする。手の形や動き、顔の表情を使って表現する独立した言語であり、音声言語と同様、方言もある。「音のない世界の言語」とでも言うのだろうか。二〇〇八年、ベトナムでろう者の学生九人が、初めて大学を卒業した際、当財団主催の祝賀会会場で初めてそれを実感した。

 卒業した九人のほか、後輩の学生ら三十人ほどが小さな会場に詰め、私が日本語でお祝いの言葉を述べた。これをベトナム語に通訳、さらに手話通訳者が手話で出席者に内容を伝えた。

 しばらくして電源の故障か、突然、スピーカーの音が消え、一瞬、戸惑ったが、出席者の表情に変化はなく、私もそのまま話を続けた。話が終わると、ろう者が手のひらをヒラヒラと振ってくれた。手話による拍手とわかり、大いに感動した記憶がある。

 「音」に慣れた健聴者の驚きといえばそれまでだが、以後、新幹線のホーム等で窓ガラス越しに手話で話す人を見ても、違和感を覚えなくなった。

 そんな手話も、歴史的には苦難の道をたどってきた。一八八〇年、イタリア・ミラノで開かれた「ろう教育国際会議」が「口話法が手話より優れている」と決議し、一世紀以上も経った二〇一〇年、バンクーバー会議で見直されるまで、手話は教育現場から排除される形となった。

 口話法は口の動きで言葉を読み取る読唇や発声訓練を内容とし、健聴者のように口を使って話すことを優先する。

 健聴者が使う音声言語に対応する口話法の方が、ろう者の社会進出につながる、との判断があったようだが、多数者言語への同化であり、マスターするのも難しい。このような背景もあり、ろう者の大学進学率は、全体平均の三分の一程度にとどまり、ろう者の教育、社会参加が遅れる結果となった。

 二〇〇六年に採択された国連障害者権利条約が、手話を独立した言語と明記し、日本も二〇一一年施行の改正障害者基本法に、初めて「手話は言語に含まれる」と記したが、現在も全国九十一のろう学校の教育は、口話法が主流となっている。

 平井知事は「鳥取県をモデル県として、オールジャパンの形で条例制定を進めたい」と意欲を語り、北海道石狩市も同様の条例制定を目指している。条例が制定されれば、教員や手話通訳者の養成、教材の開発等、予算措置が欠かせない。

 少数といえども、ろう者には手話で教育を受け、生活する権利がある。条例づくりを拡大・発展させ、最後は国の手話言語法制定につなげたいー。そんな思いで鳥取県との共同研究に臨んでいる。



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