2025年11月25日(Tue)
連立に必要な意思疎通と責任感
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(産経新聞「正論」2025年11月21日付朝刊掲載)
日本財団名誉会長 笹川 陽平 ![]() 高市早苗氏が憲政史上初の女性首相に就任して1カ月。台湾有事を巡る国会答弁が外交問題になっているが、各種世論調査の支持率も高く、ひたむきな政治姿勢は評価されていい。 しかし、公明党に代わって連立を組む日本維新の会と合わせても議席は衆参両院とも過半数に満たない。世界の趨勢は多党化である。わが国も例外ではなく、政治も変わらざるを得ない |
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与野党の意思疎通を密にするとともに、与党は当然として野党も国家はどうあるべきか、明確なビジョンと責任を持つ姿勢が必要となる。それが連立時代の政治の胆であり要と考える。
注目集める石橋湛山 その意味で没後50年に当たる令和5年に、超党派の国会議員が研究会を立ち上げた石橋湛山元首相に注目する。戦前を代表する言論人で、昭和30年の保守合同後、初となる翌年の自民党総裁選を制し、第55代の内閣総理大臣となった。 体調を崩し国会で一度も演説や答弁をしないまま、わずか65日間で首相を退任したが、その思想や政治姿勢が注目され、当初40人だった研究会の登録議員は現在92人まで増えている。 湛山は昭和21年5月から翌年5月まで第1次吉田内閣の大蔵大臣(現財務大臣)を務め、財政収支調整調査会など3つの委員会を立ち上げた。うち2つの委員長を与党の日本自由党、日本進歩党(後の日本民主党)から、残る1つを野党の社会党から選んだ。 自身の生い立ちから政界引退までを詳細に書き記した「湛山回想」(岩波文庫)の中で、その理由を「政治を出来るだけ超党派的にもって行きたい念願からであった」と説明。「戦後の日本は、政党の間でどろ仕合をしている時代ではないと、大蔵大臣就任後の経験から深く悟った」と書き残している。 「政治を実行的に取り扱う場合には、保守といい、進歩というも、諸政党間の政策に、そう、はなはだしい違いの現れるものではない。また、そうであればこそ、政党政治は、国民生活に支障を起こさず行われるのである」とも記している。 「愛党よりも愛国を」 さらに党や考えは違うものの、戦後の複雑な政治状況の中で連立政権の可能性などについて親密な意見交換を重ねた野党・社会党の西尾末広書記長(当時、後の民社党初代委員長)が色紙に書き残した「愛党よりも愛国を」の一語も紹介している。 この言葉こそ政治家に求められる精神だと思う。高市首相は所信表明演説で「野党の皆様と真摯な対話を積み重ねる」と述べた。政治には時に妥協が必要である。「党」より「国」の明日を第一に各党各会派と議論を重ねることで、新たな国の将来が拓ける可能性も出てくる。 加えて今回は、連立を巡る野党側の議論も大きな盛り上がりを見せ、7月の参院選では次代を担う若い世代の投票率も大幅にアップした。反対のための反対や、財源の裏付けのないまま聞こえのいい政策を並べ、かえって国民の不信を招く政治に終止符を打つ好機である。 高市首相が初の衆院予算員会に臨んだ11月7日、午前3時から首相公邸で答弁準備の勉強会を行い、首相や関係者の健康を心配する声が出た。 現職首相の健康管理は、平成12年5月に小渕恵三首相(当時)が脳梗塞で倒れ入院(後に死去)した際に、閣僚による代行制度とともに強化された。今回は質問通告制度の見直しの必要性を指摘する声が、いち早く国会内からも出され、低迷する政治を再生する動きとして注目する。 高市首相は「鉄の女」と呼ばれた英国のマーガレット・サッチャー元首相を「憧れの政治家」と公言する。サッチャー氏は保守党が総選挙で敗北し危機に陥る中、党首に選ばれ1979年、英国初の女性首相となった。高市首相が7月の参院選での自民党敗北後、党総裁に選ばれ首相となった経過とも似ている。 筆者は亡父・笹川良一に随伴して何度かサッチャー氏にお目に掛かった。最初にお会いしたのは84年6月。ダウニング街の首相官邸に招かれ、閣僚を交えた夕食後、私たちを閣議室に招き入れ亡父を椅子に座らせた上、「長時間この椅子に独り座って1万3千キロの長征を決断した」とアルゼンチンに勝利した2年前のフォークランド紛争を振り返られた。 ゆとりを持った冷静な判断 一国の指導者には時に孤独な決断が必要となる。別れ際には「大変な激務の中でも週2回は夫の食事を作っています」と笑顔で語られた。多忙な中にも「心のゆとり」が必要との指摘と思う。 高市首相は自民党総裁に選出された後、「働いて」の言葉を5回重ねて「強い日本」の再生に向け職務に邁進する決意を語った。夫の食事を作るのも庶民の生活を知る上で意味がある。ゆとりを持った冷静な判断で、首相の職責を全うされるよう望む。 |



