2024年02月28日(Wed)
差別の原点はハンセン病にあり
(産経新聞「正論」2024年2月27日付朝刊掲載)
日本財団会長 笹川 陽平 筆者は1月12日、世界保健機関(WHO)のハンセン病制圧大使としてアフリカの最高峰キリマンジャロ(5,895メートル)に登頂し、「Don’t Forget Leprosy(ハンセン病を忘れないで)」のバナーを掲げた。 |
「忘れられた病気」なのか 現在85歳、心臓ペースメーカーを装着する一級障害者で、多くの知人から無謀との指摘もいただいた。しかし、新型コロナ禍がパンデミック(世界的大流行)となったことから「忘れられた病気」になりつつあるハンセン病の深刻な現状を世界に訴えるため、あえて実行に踏み切った。 登頂に先立つ1月28日(世界ハンセン病の日)、スイスのWHO本部でハンセン病の制圧と差別の撤廃を訴える19回目のグローバル・アピールを発表するとともに、同じ危機感を持つテドロス・アダノム事務局長と共同宣言も発表した。 ハンセン病は紀元前のインドの古典や奈良時代の日本書紀にも記録が残り「業病」、「不治の病」として恐れられてきた。1981年に多剤併用療法(MDT)と呼ばれる治療法が確立され「治る病気」となった。91年には「人口1万人当たり患者数1人未満」の公衆衛生上の制圧目標も設定された。 95年から5年間、日本財団がWHOに計5,000万ドルを供与し、世界のどこでもMDTを無料で入手できる態勢を整備、2000年以降はスイスの製薬会社ノバルティスに引き継がれた。1,600万人を超す患者がMDT治療を受け回復している。 この間、121ヵ国から制圧目標達成が報告され、1985年当時122カ国に上った未制圧国は現在、ブラジル1カ国を残す形になっている。2010年には日本が中心となって提案した「ハンセン病の患者・回復者とその家族への差別撤廃決議」も国連に加盟する192カ国の全会一致で採択された。 順調な流れにも見えるが、実際にはハンセン病の特異な側面が対応を難しくしてきた。まずは初期段階で痛みや熱の症状がほとんどない点。患者が自ら医療機関で受診することは少なく、気付いた時には指の変形などの症状が出ていることが多い。 制圧を妨げる特異な側面 感染すると、本来、親身になって世話をする家族からも見捨てられる。このような病気は他にない。患者、回復者は、治る病気となった今も、コロニーと呼ばれる場所で肩を寄せ合って生きている。 他の感染症に比べて感染者数が少ない点も特徴といえるかもしれない。WHOの資料によると、新型コロナ禍の世界の累積感染者数は2億4600万人、マラリアの感染者も21年は約2億4700万人に上った。圧倒的に患者数が上回る他の感染症の存在が、ハンセン病に対する行政の対応の手薄さにつながっている。 01年にハンセン病制圧大使に就任して以降、世界の120ヵ国を何度か訪問し、各国指導者にハンセン病対策の強化を求めてきた。しかし、関連予算の少なさに驚かされることが多い。患者数が少なく、公衆衛生上、優先度が低いということのようだ。 このほか世界には未だに調査が行き届いていない「ホワイト・エリア」が多く存在する。アフリカの最高峰をバナー掲載地に選んだのは、この地にそうした地域が多いためだ。 日本を含め欧米先進国でハンセン病を「過去の病気」ととらえる雰囲気が強いのも、対策を進める上で支障となっている。移民・難民が増加するヨーロッパで最近、患者が見つかるケースが増え、変化が出る可能性もあるが、世論を喚起すべきメディアの関心は残念ながら驚くほど低い。 しかしWHOに毎年、世界各国から報告される新規の患者数は20万人に上る。数字の上からも、ハンセン病は過去の病気ではなく現在進行形の病気であり、対策を急ぐ必要がある。 新型コロナ禍の拡大に伴い、ハンセン病対策が後退する事態が多くの国で出た。20万人を大きく上回る新規患者の発生や、121の制圧国の中に再び基準を上回る患者が発生している国が出ていないか、憂慮している。 WHOは21年、「30年までに世界120カ国でハンセン病患者ゼロを達成、新規患者を70%減らす」とする画期的な世界戦略を発表した。治療薬の無償供与態勢は整っており、看護師らによる新規患者の早期発見態勢の整備がポイントとなるが、実現は容易ではない。 「正しく恐れる」心構え必要 感染症は人類共通の敵であり、新たな感染症は今後も登場する。無用な混乱を減らし冷静に立ち向かうためにも「むやみに恐れる」のではなく「正しく恐れる」心構えが必要になる。 紀元前から長く人類を苦しめてきたハンセン病は偏見・差別の原点でもある。患者・回復者が直面する現実にあらたけて目が向けられる必要がある。筆者は生ある限り、世界のハンセン病制圧に命を捧げる覚悟でいる。 |