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2022年12月06日(Tue)
「手記と資料館」完成に意欲を燃やすフジモリ元ペルー大統領
(リベラルタイム 2023年1月号掲載)
日本財団理事長 尾形武寿

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 10月6日から10日間、南米のペルーとブラジルを訪問した。中南米に住む日系人の若者を対象に2003年から日本財団が実施する奨学制度への応募者と面接するのが目的。日本に留学した若者は両国で148人に上り、近年、応募者の多くを移民四世が占める。誠実な活動で日系人社会に対する信頼を高め、日本との友好・親善にも貢献している。

長年、現地に出張して面接を行ってきたが、新型コロナ禍でオンライン面接に切り替え、今回、三年ぶりの現地出張となった。ペルーでは以前と同様、首都リマ郊外の国家警察特別施設に収監中のアルベルト・フジモリ元大統領を見舞った。

砂漠地帯の小高い山の麓にある施設はダイニングルームやアトリエ、バラなどを栽培できる庭を備え、以前と変わらぬ静かな環境。呼吸器系の疾患を持ち、何度か入院歴を持つフジモリ氏の体調悪化に備え、以前は見かけなかった専用の救急車が駐車場に待機していた。

コロナ禍に伴う面会制限もあって、「こんなに大勢の訪問客は久し振り」と筆者以下五人の訪問を歓迎し、最近のペルーの政治情勢から昨年三度目の大統領選に挑み敗北した長女ケイコ氏の近況、最終結論が持ち越されている恩赦の動向などについて多弁に語り、「数年前に執筆を始めた手記の二冊目が近く完成する。全四冊、必ず完成させたい」とも語った。

ペルーの大統領経験者が手記を発表するのは初めてという。1990年から十年間、政権を担った“フジモリ党”の政治哲学や96年末に発生した在ペルー日本大使公邸占拠事件と翌春の救出作戦、2000年末から五年に及んだ日本亡命と強引に帰国を計ってチリで拘禁され、軍による市民殺害に関与したとして禁錮25年の判決が確定した経緯などを、その時々の本人の決断や思いを交え書き記す考えのようだ。

日本からペルーへの集団移民は1899年に始まった。現在、約十万人の日系人が、人口約3300万人のこの国の政治、ビジネスなど幅広い分野で活躍する。先の大戦では旧日本軍によるハワイ・真珠湾攻撃(1941年12月)後、ペルー政府が日本人や日系人の資産を凍結した上、約1800人をアメリカの強制収容所送った。アメリカ政府は88年に収容所隔離を正式に謝罪、賠償金を支払った。

しかし、ペルー政府はその後も沈黙を守り、2011年6月になって当時のアラン・ガルシア大統領がペルー日系人協会の集まりで初めて、「日系人の人権と尊厳を踏みにじった由々しき事実を謝罪する」と正式に謝罪した。集まりは日本財団が建設に協力した「日秘(ペルー)移住百周年病院」の竣工式典。筆者も来賓として出席し、謝罪の言葉に狂喜し、涙する日系人の姿に彼らの苦難の歴史を改めて知る思いがした。

日系人社会の“希望の星”として大統領まで上り詰めたフジモリ氏は、この国の政治の難しさはもちろん、日系人が経験した様々な苦労にも精通している。手記にはそうした経緯も詳しく書き残してほしく思う。

二時間を超える面会の中でフジモリ氏は「五年以内に資料館を作りたい」とも語った。「何故五年か」と問うと、主治医から「呼吸器系の疾患などで余命五年と言われている」という。現在84歳。「昔から『病は気から』と言われています」と励ますと笑顔で頷いてくれた。表情に裏に自らが進めた政治に対する信念を後世に伝える固い決意を感じた。

日本財団は日本亡命中のフジモリ氏を支援し、現在も段ボール箱数十箱に上る資料などを保存している。資料の引き渡しも含め、手記執筆、資料館建設には少しでも協力していきたいと考えている。









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