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2021年07月07日(Wed)
「コロナ禍という国難」 豊かさを見直す契機に
(リベラルタイム 2021年8月号掲載)
日本財団理事長 尾形武寿

Liberal.png 我国でも新型コロナウイルスに対するワクチン接種がようやく本格的に動き始めた。現在も続く混迷と混乱を前に “平和国家日本”の欠点と弱点を改めて痛感している。例えばワクチンの確保。感染拡大防止の決め手としてワクチン需要が急騰する一方で、早期の国産ワクチンの実用化が見込めない中、政府は当然、早い段階で外国製ワクチンの確保に動く必要があった。しかし現実には、コロナ対策の中心をどの省が担っているのかさえ、見えにくい状況が未だに続いている。

四月には、菅義偉首相がワシントンで行われたバイデン大統領との会談後、アメリカの製薬大手「ファイザー」の最高経営責任者(CEO)に電話でワクチンの追加供給を依頼した。一国のリーダーの公式訪問中の行動としては極めて異例である。主務すべき厚生労働省は何をしていたのか。かつてこの国をリードした霞ヶ関官僚の力の衰えさえ感じる。

ワクチンの承認手続きにも疑問が残る。二月のファイザー製ワクチンの接種開始は、申請から約二カ月を要した。ファイザーが行った国際的な臨床試験(治験)とは別に、百六十人を対象に日本での安全性や有効性を確認する国内治験を行った結果で、この間、国内の感染は日々拡大した。アメリカでは、ワクチンの有効性を示すデータがあり、使用するメリットがリスクを上回ると判断された場合には、承認前でも接種できる「緊急使用許可制度」(EUA)が導入されている。感染拡大の防止こそ喫緊の課題である。安全性に慎重を期すのは当然として、もっと柔軟性があっていいのではないか。一定期間を経て安全性、有効性を再確認する手もある。

ワクチン開発も然り。アメリカでは “生物戦争”に備え、安全保障面から官産学でワクチン開発に取り組む態勢が整備されている。しかし平和憲法下の日本には、安全保障を前面に打ち出したこのような態勢はない。加えてワクチン開発には感染症のパンデミックが何時、どの程度の規模で起きるか予測できない難しさもある。企業や大学の研究開発に対する公的支援が薄い我国では民間製薬会社の開発意欲も弱い。

今回のコロナ禍ではしばしば「何故、わが国のワクチン開発が遅れているのか」といったイラ立ちの声を聞くが、リスクが大きい割に国によるワクチン買い上げなど支援策も乏しい。開発の遅れは当然、予想された結果である。製薬企業アンジェス(大阪府茨木市)や塩野義製薬(大阪市)などのワクチン開発が治験段階に進んでいると聞くが、実用化は早くて来春ではないか。
感染防止に不可欠な外出規制、人との接触制限に関しても同じことが言える。憲法に緊急事態条項を欠く現状では、仮に緊急事態宣言の発令下でも、政府や自治体にできるのは、不要不急の外出を控えるよう「要請」するにとどまる。平時には望ましい姿と思うが、何ら強制力を持たないまま緊急時に効果を上げるのは難しい。現に“コロナ疲れ”からか、国民が外出や会食を控える傾向にも陰りがみられる。

未曽有のコロナ禍で各国の経済や国民生活は疲弊し、自国優先主義や排外主義が急速に広まりつつある。森林伐採や温暖化で新型コロナウイルスと同様、未知の感染症によるパンデミックが頻回に登場する危険性も指摘されている。今回のコロナ禍は、本格的な備えを怠った場合、計り知れない被害が出ることを示している。

野党やメディアは何時ものように政府批判を展開するが、どの政党が政権を取ろうと、この国難を乗り切るのは容易ではない。ポストコロナの時代にも難しい課題が山積している。どう乗り切るか。戦後七十五年間、平和憲法下で築いてきた豊かで自由な生活を、見直してみる勇気も必要ではないかと考える。







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