2021年05月24日(Mon)
日本国憲法は「文化財」にあらず
(産経新聞「正論」2021年 5月21日付朝刊掲載)
日本財団会長 笹川 陽平 74回目の憲法記念日を迎えメディア各社が実施した世論調査で、憲法改正に賛成する意見が軒並み上昇、反対意見を上回った。緊急事態条項創設に関しても、必要とする意見が急上昇し、昨年を大きく上回っている。 中国の軍事大国化や北朝鮮の核武装など厳しさを増す安全保障環境に加え、新型コロナウイルス禍で外出自粛や休校など日常生活が大きく制約される中、憲法とどう向き合うか、考える人が増えたのが原因と思う。 |
決めるのは主権者国民の総意 憲法は国の基本であり最高法規である。改正するか否かを決するのは主権者たる国民の総意である。然るに、これまでの憲法論議は「戦争の放棄」を定めた第9条を中心にイデオロギー論争の色彩が強過ぎた。今、必要なのは国民的議論の広がりである。 そんな思いで4月、憲法の理念を謳う「前文」どう見ているか、日本財団の18歳意識調査で次代を担う17~19歳1,000人に聞いてみた。まず前文を読んだことがあるかー。「ある」と答えたのは4割、残り6割は「読んだことがない」、「覚えていない」だった。内容に関しても8割超が「分かりにくかった」、「分からない点がある」と答えた。 学習指導要領は小学校6年、中、高校それぞれの社会科授業で憲法を取り上げるよう定めている。調査対象者は比較的最近に学習した層に当たる。数字を見る限り、そうした若い世代においてなお、憲法の存在感が希薄な感じを受ける。 以下は私見を述べさせていただく。前文には国民主権、基本的人権の尊重、平和主義のほか代表民主制、国際協調主義など日本国憲法の基本原則が盛り込まれ、11章103条から成る条文解釈の指針、基準とも解説されている。尊重すべきは言うまでもない。 時代状況は大きく変わった 同時に未来の国づくり、ビジョンを示すのが憲法である。前文にも時代の変化が反映される必要がある。現憲法は大戦直後、1947年当時の社会状況を背景としており、70年余を経て社会の構造や価値観、日本を取り巻く国際情勢は大きく変化した。 当時は米ソ2大国の対立が激化しようとしていた。核保有国が拡散し米中両国が覇権を争う現代とは違う。自然災害の巨大化をもたらす地球温暖化も今ほど深刻ではなかった。もちろん現在のような感染症のパンデミック(世界的大流行)の渦中にもなかった。ここまで社会が変わった以上、前文の手直しは必要と考える。 条文の検討が先決といった指摘も受けるが、例えば9条は、前文2段落目にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」を受けた条文とされ、前文を検討すれば、自ずと憲法全体の議論に進む。多くの指摘があるように、憲法は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が作成した草案がベースとなった。このためか文章は翻訳調で極めて読みづらい。この際、分りやすい日本語に改めるのも一考である。 緊急事態条項に関しても一言。南海トラフ地震や首都直下地震など巨大災害が何時、起きてもおかしくない状況に備えるためにも創設を急ぐべきである。温暖化で今後、未知の感染症が発生する可能性が高まる、といった指摘もある。既存の危機管理法制で十分、対応できる、といった意見もあるようだが、阪神淡路大震災(1995年)以来、被災地復興に取り組んできた経験から言えば、一層、迅速に対応できる法整備が急務である。緊急事態条項を創設することで必要な法整備も進む。 必要な緊急事態条項の創設 現下のコロナ禍をみても、緊急事態宣言の発出権限を国が持ち、休業要請など具体策は都道府県知事に委ねられている。二重構造が対応の遅れなど混乱を招いている気がする。政府の対応を批判するだけでは新型コロナとの戦いに勝てない。 繰り返しになるが、憲法の行方を決めるのは国民であり、国民参加の幅広い議論の醸成こそ最優先の課題である。社会には保守が現状維持を目指し、革新が現状変更を求めるといったイメージがある。しかし憲法を巡っては逆に保守が憲法改正、革新が護憲を主張するイデオロギー論争が長く続いてきた。素人には分かりにくく、議論に参加しにくい雰囲気もあった。 施行から70年以上経てなお一言一句の修正もない歴史を誇る向きもあるが、憲法は文化財ではない。人の手で作られた以上、時代の流れの中で不都合な点が出てくれば見直すのが当然と考える。 秋までには総選挙があり、コロナ禍と並んで憲法改正とりわけ緊急事態条項の創設が大きな争点となる。改憲であれ、護憲であれ、多くの国民が憲法を自分事として捉え、議論することが憲法を活かす道につながる。 3年間もの継続審議の末、今国会でようやく可決・成立の見通しとなった国民投票法改正案も、そうした動きが盛り上がって初めて機能する。 |