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2021年04月05日(Mon)
東日本大震災から10年 戻らぬ被災地の「暮らし」
(リベラルタイム 2021年5月号掲載)
日本財団理事長 尾形武寿

Liberal.png去る三月十一日は東日本大震災発生の十周年だった。壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市の出身である筆者は本欄でも何度か、災害とは何か、災害復興とは何か、訴えてきた。様々な意見があるのを承知の上で今一度、私見を総括したいと思う。
以前にも述べたが、災害が発生したということは、そこに被災者がいたということであり、災害復興の要は被災者の「暮らし」をどう取り戻すかにある。ライフラインやインフラの回復はもちろんだが、被災者が安心して暮らせる環境の回復が何より必要となる。

大震災発生後、当時の民主党政権は東日本大震災復興構想会議(議長:五百旗頭真・防衛大学校長)を立ち上げ、「災害に強い安全・安心の街づくり」を打ち出した。中心となったのが「高台移転」、「防潮堤の建設」、「被災した市街地のかさ上げ」。その後の自民党政権も継承し、十年間で32兆円の予算が投じられた。 

コンクリートの街づくりが進み、傍目に美しく見える街も、長きにわたり自然と共生し固有の生活習慣や価値観を培ってきた被災者には居心地の悪さが目立つ。中でも青森県から千葉県まで6県621地区で護岸工事とともに進められる防潮堤の建設には違和感が強い。既に七割以上が完成し美しい海岸線は姿を消した。慣れ親しんだ海の光景を遮る十メートル級の巨大なコンクリートの壁に戸惑いを覚える住民は少なくない。

高台移転も然り。古来、東北地方はしばしば津波に襲われ、その都度、高台移転が提唱された。「これより下に家を建てるべからず」と刻んだ石碑も各地に残る。しかし、時の流れの中で人々は再び海辺に移動した。森づくりで世界に知られる宮脇昭・横浜国立大名誉教授は「人を高台に押し上げても、いつか平地に戻る。何故ならそこが人の住む所だからだ」と解説する。海辺で生きてきた人々が高台や防潮堤に馴染むのは難しい。

豊穣をもたらす自然は時に大災害という厳しい試練をもたらす。日本人は自然が神であることを無意識のうちに受け入れてきた。それを示すのが各地に残る「鎮守の森」だ。日本財団では宮脇先生の指導で、大津波で破壊された鎮守の森の植樹に取り組んできた。先生は瓦礫を混ぜた盛土で高台を作り、その土地に適した常緑広葉樹を植える復興策「森の長城プロジェクト」も提唱されている。三陸の海岸には多くの集落が並び、生活習慣から文化、漁業方法まで違う。巨大な防潮堤を前にすると、土地の適性を重視する宮脇理論の方がこの地に適っている気もする。防潮堤にはコンクリートがどの程度の寿命を持つのか疑問も指摘されている。

もちろん新しい街づくりを受け入れた人も少なくない。かさ上げが終了した地区には多くの商業施設も進出している。しかし、高台に関しては移住者も少なく、早くもインフラの維持の難しさなどが指摘されている。被災地では大震災以前から人口減少が始まっていた。もう少しコンパクトな街づくりが必要だったのではないか。かさ上げの対象となった15市町村33地区の人口が震災前に比べ約44%減少し、再生された宅地の34%が未活用になっている、との全国紙の調査結果もある。

被災地では現在も四万一千人が避難生活を続け、東京電力福島第一原発事故が起きた福島県では7市町村にまたがる337㎢の区域の避難指示が解除されていない。復興事業が一段落した地域でも人口流出が止まらないのは、復興計画で作られた街が自分たちの故郷ではなくなった、という思いが強いからだと思う。災害大国・日本では何時でも大災害が起こり得る。引き続き被災地の歩みを注目していく必要を痛感している。







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