• もっと見る

前の記事 «  トップページ  » 次の記事
2021年03月03日(Wed)
《徒然に…》「みんなが、みんなを支える社会」実現に向けて
日本財団 アドバイザー 佐野 慎輔
徒然に…ロゴ
パラアリーナが戻ってきた

パラアスリートに練習拠点が戻ってくる。東京都の新型コロナウイルス感染者の宿泊療養施設として転用されていた東京・台場の「日本財団パラアリーナ」が、4月1日から本来のトレーニング施設として再開される。

パラスポーツ関係者でなくとも、よかったなと思う。コロナ禍でアスリートたちは練習場所にも事欠く状況にあった。ある選手は自宅にトレーニング器具を持ち込み、またある選手は近くの公園などを活用、それぞれ工夫して練習を続けていたものの限界はあった。

写真
右から山脇パラサポ会長、山本選手、島川選手も記者会見に出席

とりわけチームスポーツは連携が重要なため、コートにメンバーがそろった実践練習は欠かせない。車いすラグビー日本代表の島川慎一選手はいう。「個人でトレーニングはできても、全体練習となると…」
 
みんなが集まる場所が必要である。まして車いすで激しくぶつかり合う車いすラグビーは、「床が傷つく」として貸してくれない公共施設も少なくない。心置きなく練習できるパラアリーナは、東京大会金メダルをねらう日本代表にとってどこよりも不可欠な場所となっていた。
 
「一緒に練習して意識を高めあい、交流の場になっていたことを懐かしく思う」と話したのはパラ・パワーリフティングの山本恵理選手。体験プログラムで競技の面白さに目覚め、わずか2年で代表をめざすまでに成長したのは、ここでの切磋琢磨があったからだ。


苦しい決断から1年、思い切り練習へ

パラアリーナは2018年6月、東京パラリンピックの競技力強化と普及の拠点として、日本財団が「船の科学館」敷地内に約8億円かけ建設した。延べ床面積2989uのアリーナはバスケットボールコート2面分がゆったり取られ、トレーニングルームやミーティングルームも完備。何よりパラ競技専用として、どこもバリアフリー仕様で造られた。

写真
日本財団パラアリーナ(提供:日本財団パラリンピックサポートセンター)

2020年4月、新型コロナウイルス感染拡大にともない「野戦病院型宿泊療養施設」として東京都に協力するため、一時閉鎖された。そのときまでの稼働率はほぼ100%、いかにここが頼りにされていたか、よくわかる。
 
閉鎖は「苦しい決断だった」と日本財団の笹川陽平会長も、運営にあたる日本財団パラリンピックサポートセンター(パラサポ)の山脇康会長も異口同音に語った。しかしコロナ禍という非常事態に、「備えあれば憂いなし」(笹川会長)という場所が必要だとして転用を決めた。
 
9月18日に、隣接する駐車場に設置された14棟140室150床の個室型プレハブハウスとともに東京都に引き渡され、10月9日から宿泊療養施設として運用開始。ただ、この頃までにはホテルなどの宿泊施設整備も進み、医師や看護師など医療従事者の事務所的な役割に留まった。こうした実情に加えて、コロナをめぐる状況の変化もあり、「練習拠点が不足している現状を踏まえて再開を決断した」と笹川会長は話す。4月になったら思う存分、練習してほしい。
 
笹川会長は東京都と話し合い、パラアリーナの常設化をめざすとも話す。パラアリーナは2022年3月までの時限施設である。東京都の条例で利用に制限があり、常設のためにはそこをクリアしなければならない。パラスポーツの普及、発展には不可欠だとの思いが背中を押したといってもいい。

写真
パラアリーナ内の体育館

子供たちを支えるパラアスリートを支える

日本財団には夢がある。「みんなが、みんなを支える社会」「多様性をうけいれたインクルーシブな社会」の実現である。古くからハンセン病制圧と差別の撤廃を訴え、今また障害のある人を受け入れ、共に暮らす社会の実現をめざす笹川会長は「東京パラリンピック開催がいい機会になる」とみている。
 
「パラアスリートのみなさんが全国をまわって、子供たちにパラスポーツとはどんなものか、知識と理解を深めていった。障害を乗り越え、明るく希望にあふれた姿は子供たちに励みをあたえてくれる教師だと思う。そうした姿に感動した」
 
笹川会長は、パラアスリートを支えるとともに、パラサポの恒久化も明言した。
 
パラサポは2015年、日本財団が約100億円の資金を供出して創設。自主財源が乏しく、専従スタッフや専用オフィスもない競技団体が大半を占める状況を考慮。東京・赤坂の日本財団ビル4階に共同オフィスを設けて無償提供し、バックオフィスを構えて強化費の分配や経理業務や翻訳、広報などの諸業務を代理執行するといった支援により、組織運営を後押ししてきた。
 
当初は2021年3月、1年大会が延期となって2022年3月までの時限組織の予定だった。支援と同時に、東京大会を追い風に各団体の自立も促した。しかし現実は厳しく、コロナ禍によるスポンサー企業の業績悪化が拍車をかける。東京大会終了後は政府および企業からの支援の先細りは必至、仮にパラサポが解散となれば、存続の危機に陥る競技団体も出かねない。パラサポ恒久化の背景である。

写真
パラリンピックサポートセンター(提供:日本財団パラリンピックサポートセンター)


自立は望ましいことだけど…

組織支援とは別に、パラサポは独自にパラスポーツの普及に尽力、国際パラリンピック委員会(IPC)からも高い評価を得ている。またロンドン・パラリンピックの統括ディレクター、クリス・ホームズ卿はパラサポのありようを「理想のモデル」とまで称えた。

恒久化は日本のパラスポーツ発展に大きく寄与することは疑うべくもない。

ただ、こうした手厚い支援が、パラ競技団体の自立を妨げることも否定できない。
 
「確かに自立することが望ましい姿」と話す笹川会長は、こうも言う。「本来なら、文部科学省やスポーツ庁が支えとなるのが正しい姿。国ができないことがあるのなら、国民として盛り上げていくことが重要だ」―その言葉に「みんなが、みんなを支える社会」の実現をめざす日本財団と笹川会長の覚悟をみた。

写真
記者会見でパラアリーナ再開についての思いを語る笹川会長








 「国家公務員諸君」自信と誇りを  « トップページ  »  障害者のB型就労 「工賃三倍増」に手応え