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2011年06月01日(Wed)
ハンセン病差別撤廃「世界宣言」
(国立療養所多磨全生園自治会機関誌【多磨】2011年6月1日掲載)

日本財団会長 
笹川 陽平 

現場を第一に考える私は一年の約三分の一は世界を駆け回っていますが、2011年最初の海外出張は、日中でも零下に見舞われる中国・北京への訪問で幕を明けました。これは、1月25日に開催される「ハンセン病に対するスティグマ(社会的烙印)と差別をなくすためのグローバル・アピール2011」の発表式典を主催するためです。
私はハンセン病の制圧をライフワークにすることを心に誓い、以来40年以上にわたり今の仕事に携わってきました。以前には不治の病とされていたハンセン病も、1980年代には多剤併用療法(MDT)が確立され、以来、全世界で約1600万人が治療を受け回復しています。世界保健機関(WHO)がハンセン病の制圧基準として定めた「人口1万人あたりの登録患者数が1人未満」を満たさない未制圧国は、1985年には122ヶ国であったのが、現在では2ヶ国になっています。そのうちの1ヵ国である東チモールは、2010年末にWHOの制圧目標を達成したとのことで、政府の公式発表が2011年3月にも予定されていますので、残る未制圧国は実質ブラジルのみです。

しかしながら、ハンセン病に対する偏見や差別は依然根強く社会に存在し、患者、回復者及びにその家族の多くが治療を終えた後も教育、就職、結婚などの機会を奪われ、人として生きる当然の権利を奪われています。世界中の療養所やコロニーを訪れる度に彼らの厳しい現状を目の当たりにしてきた私は、すべての人が病気に対する正しい知識と理解、そして偏見や差別が許されないという自覚をもたなければ、真の意味でのハンセン病の制圧はありえないと確信しました。そこで啓発活動の一環として、「グローバル・アピール」による世界への呼びかけを2006年に開始し、以来毎年継続して「世界ハンセン病の日」である1月の最終日曜日に合わせ、発表式典を開催してきました。2006年はジミー・カーター元アメリカ合衆国大統領やダライ・ラマ師などのノーベル平和賞受賞者5人を含む世界の指導者、2007年は世界16ヶ国のハンセン病回復者コミュニティの代表者、2008年はアムネスティ・インターナショナルやセーブ・ザ・チルドレンなど世界有数の人権NGO団体の代表者、2009年は世界の主要な宗教指導者、そして2010年はタタ、ジョンソン・エンド・ジョンソン、ルノー、バージン、ノバルティス、トヨタ、キャノンなど世界を代表するビジネス・リーダーにご賛同頂きました。

第6回目をむかえた本年のグローバル・アピールは「教育」をテーマに、ケンブリッジ大学(英)、エール大学(米)、慶應義塾大学、早稲田大学をはじめとする、世界64ヶ国から110校の著名大学の代表者にご賛同を頂きました。式典は日本財団と20年に渡り深い交流のある北京大学を会場として、北京大学、中国人権研究会、そして日本財団の共催で行われ、ご署名頂いた中国の北京大学、内蒙古大学、吉林大学、蘭州大学、新彊大学、雲南大学の代表者、イギリスからロンドン大学東洋アフリカ学院のポール・ウェブリー学長、そして日本から順天堂大学の小川秀興理事長にご参加頂いた他、ハンセン病回復者の方々、中国衛生部(=保健省)、WHO、中国ハンセン病協会、「HANDA」や「JIA (Joy in Action)-家」をはじめとしたハンセン病に関わる活動を実施する現地NGOの代表者、そしてメディア関係者など総勢約100名の方々にご出席頂きました。

当日は一部の出席者が、北京では日常茶飯事の渋滞に見舞われた関係で、少し遅れての開始となりましたが、中には一時間前には到着された方もおり、開場から開演前までは、これまで私がハンセン病に関連し訪問した先々の写真をスライドショーにてBGMと共にお届けしました。本来であれば著名な歌手の祖海さんに歌をご披露頂く予定でしたが、急遽ご出席頂けなくなってしまったのが残念です。

式典は北京大学理事会の閔維方(ミン・ウェイファン)会長によるご挨拶で開幕しました。ミン会長は「ハンセン病は制圧されたが、この病が完治するという正しい認識が、世間一般の間で低いことは否めない」とし、意気込みの伝わる力強い口調で「今後も啓発活動を促進し、よりよい社会を築くべく共に協力していこう」との心強いお言葉を寄せて下さり、盛大な拍手が湧き上がりました。その後、中国人権研究会の叶小文(イエ・シャオウェン)副会長は、「今も尚残るハンセン病に対する偏見や差別に研究会として精一杯取り組んでいくと共に、今後より多くの団体がこの啓発活動に参加してくれることを願っている」と述べられました。次いで壇上に登られた衛生部の郝阳(ハオ・ヤン)副部長は、中国政府を代表し、これまでハンセン病の制圧に貢献してきたことやハンセン病回復者の定着村が全国に611ヵ所あることも公表されました。また、2008年には中国が国連人権理事会に提出された「ハンセン病と人権」の決議案の共同提案国であったことにも触れられ、偏見や差別で苦しんでいる人が未だに存在していることへの認識と理解を示して下さいました。

心理学がご専門で、式典の為だけに遥々ロンドンからお越し下さったポール・ウェブリー学長は、その後の短いスピーチで偏見がいかに人を傷つけ、人生を破滅に追いやり、コミュニティまでも崩壊させてしまう恐ろしい存在であるかを強調されました。また、自身の大学で既にハンセン病の差別問題に関連した教育が行われていることを述べ、「教育とコミュニケーションは偏見の根絶と人々の生活向上に不可欠である」との見解をお話下さいました。また、順天堂大学の小川秀興理事長は医療と教育双方の専門家として、ハンセン病治療薬のMDTが無料で提供されることを踏まえ、教育を通じて正しい知識を広めると共に、それ以外の幅広い分野においても偏見や差別根絶に向けたメッセージを発信していく必要があると述べられました。私は、数多く見聞きしてきた中から一つの実例を挙げ、お話しいたしました。それはあるインドで暮らす勤勉で優秀なハンセン病回復者の女性が、自分が元患者であることを同僚に打ち明けたところ、そのことが瞬時に周囲に広まり、孤立してしまったという内容です。このような結末を恐れ、過去に病気を患っていたことを必死で隠そうとする人は沢山います。ですから、私たち一人ひとりが正しい知識を持つと共に、自分の心の中にある偏見や差別に気付き、自覚し、これまで無意識のうちに見過ごしてきた問題に目を向けることが必要であることを訴えました。

式典のメインプログラムであるグローバル・アピールの宣言文の発表は、北京大学のミン会長とロンドン大学東洋アフリカ学院のポール・ウェブリー学長が率いる形で、ご出席下さった署名大学の代表者の方々と私も唱和をし、中国語と英語の二ヶ国語で読み上げました。

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「グローバル・アピール2011」でスピーチ


ハンセン病は治る病気です。

しかし病が治った後も、スティグマ(社会的烙印)は消えずに残ります。

このスティグマは差別を生みだし、
差別は社会参加の機会を制限し、疎外を生みます。

スティグマの根源にある迷信や誤った認識は、
今日の世界ではもはや存在し得ないものです。

啓発と教育は、このスティグマに立ち向かう
正しい知識を人々に知らしめます。

教育があれば、ハンセン病患者・回復者は、
社会がもたらす社会的・経済的弊害を乗り越える力を得ることができます。

私たちは、ハンセン病患者・回復者、
そしてその家族に対する差別をなくすことを、ここに宣言します。

私たちは、ハンセン病患者・回復者が地域社会の一員として、
全ての人と同等の機会と人権を享受し、
尊厳のある人生を歩む権利を擁護します。


広い会場を見渡すと、寒い中に若者から年配の方まで幅広い世代の方々が足を運んで下さっており、壇上に上がった我々一人ひとりのメッセージが聴衆の皆様の心に届いていること、そしてさらに遠く、広く、社会に伝わっていくことを願いました。

式典終了後に行われた記者会見には、中国国内の様々なメディアが参加をして下さいました。「なぜ、四川や雲南など南西部地方に患者が多いのか?」「なぜ発見から治療までの間に2年も3年も時間があくのか?」「そもそも病気にどのように感染するのか?」など、彼ら、彼女らの質問は的を射たものが多く、この病気に対する彼らの関心が決して低くないことを知り勇気づけられました。

さて、最後に付け足しになりますが、中国のハンセン病事情についてご紹介します。
中国の衛生部は、1985年に初めて国際社会と協調して「第1回中国国際らい学術会議」を開催し、ハンセン病制圧に取り組むことを世界的に公約しました。その結果、1998年に北京に招致した「第15回国際らい学会」で公式にハンセン病が制圧(1万人あたりの登録患者1人未満)されたことを宣言することができ、さらに、「10万人に1人未満」という独自の高い目標を設定し、政策・取り組みの強化に努めています。2010年初頭における登録患者数は全国で3,332人にまで減っていますが、新規患者に占める障害発生者の割合が2割を超えており、他国と比べて高いこの数値は、病気を発症してから治療開始までに平均約3年の遅れがあることが原因となっています。また、中国南西部に位置する四川、雲南、貴州、湖南、そしてチベット自治区に主に集中する46の地区については、未だ1万人に1人未満の制圧目標を達成できていません。これらは、記者会見でも質問があった点です。

日本財団はこれまで中国において、1984年以降、笹川記念保健協力財団を通じ、沿海の八省に対する、フィールド活動のための車両やオートバイ、研修用機材の他、抗ハンセン病薬などの供与を行い、全国的なハンセン病対策の実施と強化に貢献してきました。また、今回式典にご参加下さったHANDAやJIAなど現地のNGOが実施する回復者支援の活動も支援しています。2004年に広州にて設立されたJIAという団体は、早稲田大学の卒業生である原田燎太郎氏を事務局長に、広東、海南、湖南、湖北、そして広西チワン族自治区にあるハンセン病回復者の定着村でワークキャンプを取りまとめています。この活動では中国と日本の学生が共に村で寝泊まりし、家屋の修繕や水道・トイレの設置、道路の舗装など回復者の生活環境の改善に取り組んでいます。ワークキャンプを始めた当初、周辺地域の住民は回復者と学生が手を繋ぎ、仲良く買い物をする姿を見て大変に驚いていましたが、活動が定着してきている今日、この光景はごく普通のこととしてとらえられるようになりました。また、学生と共に建設作業を行う大工や学生の送り迎えをする車のドライバーも、当初は村に近付くことすらためらっていましたが、今日では回復者の部屋に進んで入り、お茶を飲み、タバコを吸いながら世間話をするまでになりました。この約10年間で、ワークキャンプに参加した中国の若者は8000人を超えています。若者を中心としたこのような草の根の活動が徐々に広まっていることは、社会の誤った認識を変える大きなきっかけとなると私は信じています。

とはいえ、中国全土には未だに確認できているだけでも611ヵ所の定着村が存在し、約2万人が暮らしていると言われています。その多くは60歳以上の高齢者であり、家族や周辺地域住民の根強い偏見や差別により故郷に帰る機会を奪われ、医療や生活環境が不十分な村での暮らしを余儀なくされ、亡くなる際見届けてくれる身内もその後遺骨を引き取りに来る家族もなく、最後は村の片隅に土葬されるケースが多く存在しています。このような定着村では、特に冬場寒い時期をむかえると、体調を崩す回復者は少なくありません。

北京の凍りつくような冷たい風に吹かれ、この寒い中、場所によっては暖房が完備されていない定着村の冷え切った一室で身震いをしている回復者の姿を想像すると、胸が締め付けられる思いでした。
私たちの誤った認識や無関心さが、地球上のどこかでハンセン病の患者、回復者及びその家族を苦しめ、その結果彼らが世界中の僻地に追いやられ、人知れずこの世を去る悲しさと孤独にひっそりと耐えていることを、私たちは認識しなくてはなりません。

今回のグローバル・アピール2011を通じて、一人でも多くの人がこのメッセージに共感し、自分自身の問題として捉え、偏見や差別のない社会を共に目指していってくれることを願っています。私はこれからも真の意味でのハンセン病制圧に向けた活動を続けて参りたいと思います。

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各大学代表者がグローバル・アピールを宣言




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