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2020年09月30日(Wed)
〜改正より修正の方が議論広がる〜
憲法論議の盲点つく“提案”
論争広げる風穴となるか!

日本財団 参与 宮崎 正
風の香りロゴ
「憲法改正より修正が分りやすい」。こんな見出しの笹川会長の投稿が9月30日付産経新聞「正論」欄に掲載された。大意は、国の基本法である憲法を変えるかどうか、決めるのは主権者である国民なのに、肝心の国民の議論は盛り上がりを欠く。「憲法改正」の言葉に一因があるようにも思われ、いっそ、もっと柔らかい「修正」に“言い換え”たらどうか、といった内容だ。

現行の日本国憲法は1946年に帝国議会で「大日本帝国憲法(明治憲法)の改正」として承認された。現実には明治憲法とは“全く別の憲法”に生まれ変わっており、憲法改正と聞くと全面的な作り替えをイメージする人が多く憲法論議が広がらない一因となっているのではないか、という問い掛けでもある。笹川会長は9月17日に東京都内のホテルで行われた「正論大賞」の受賞式の講演でも「(憲法改正というと)国民には何かちゃぶ台をひっくり返すような話にとれる」、「この言葉は良くないと思っている」と語っていた。

憲法の見直しは、大日本帝国憲法、現憲法とも73条、96条で「改正手続き」
の言葉で定めており、「改正」の言葉自体に問題があるわけではない。ただし、現在の憲法論争は第9条(戦争の放棄)を中心に改憲、護憲が激しく争われ、本来あるべき現実的で中間的な議論が希薄な状態にある。

個人としては9条のほかにも「法の下の平等」(第14条)と1票の格差の関係や第89条と私学助成の関係など、現憲法には論議すべき点がいくつかあると考える。多くの国が憲法や基本法の見直しを重ねる中、前文と全103条からなる現行憲法は1947年5月の施行以来、73年間、一字一句変更することなく現在に至っており、世界でも極めて特異な存在である。

現憲法成立時におけるGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の関与は別にしても、憲法を含め法律は人が作る以上、時代や社会が変われば、それに合わせて見直すのが本来の在り方と思う。変える必要があるのか、ないのか、それを判断するのは国民であり、そのためにはまず広範な議論が欠かせない。

憲法改正は通常、条文の修正や追加、削除といった形で行われ、修正であっても特段の問題はないと思われる。「改正」より「修正」の感覚で国民の議論の拡大を計る今回の提案は、その“盲点”を突いた形。どこまで憲法論争の“風穴”となるか、しばし注目したい。


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