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2020年02月05日(Wed)
《徒然に…》『違う』を当たり前に
日本財団 アドバイザー 佐野 慎輔

徒然に…ロゴ1枚の写真が100の言葉よりも雄弁に物語る。その写真を初めて見たときの衝撃は今もなお忘れられない。緑の濃い対岸に向かう古ぼけた橋、砂地の白い道が大写しになっていた。日本財団フォトグラファー、富永夏子さんの『嘆きの橋』と題された作品である。


嘆きの橋に込められた思い…

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世界保健機関(WHO)ハンセン病制圧大使でもある日本財団の笹川陽平会長とともに世界各地のハンセン病関連施設をめぐり、コロンビアのアグア・デ・ディオスで撮った1枚。富永さんはこうキャプションをつけた。

「この橋を渡る時が家族との永遠の別れだとしたら、あなたは何を思いますか?」

ハンセン病と診断された患者は大河に掛かるこの橋を渡って隔離施設に向かう。人生を奪われた嘆きと悲しみ、絶望感と諦め、そして秘められた怒り…橋はすべてをみてきた。

ハンセン病は治る病である。日本財団が先頭に立った制圧活動が奏功し、WHOが制圧の基準とする「人口1万人あたりの患者数1人未満」に達していない国は、いまやブラジル1カ国となった。世界中で取られてきた隔離政策の愚かさが語られ始め、『嘆きの橋』は歴史的建造物になった。

では、人々の心に染みついた偏見や差別、スティグマ(社会的烙印)は消えたのだろうか?

偏見や差別によって患者や回復者、家族までが社会的に阻害される。それは歴史の上の話ではない。いまもなお、世界のどこかで起きている。差別の対象になるからと、せっかく進んだ治療法が開発されているにも関わらず、診療を拒み、二次的な障害に進行することも少なくないと聞く。決して、消えたわけではない。

「異形なもの」「人とは違う」という目がどれほど偏見や差別の温床になっていることか。それらはみな無理解、知識の欠如、「業病」と呼ばれ続けた“悪しき伝説”に基づく感情に他ならない。「向こう岸」と「こちら側」とを隔てる橋は、その象徴である。


まだ遠い、インクルーシブな社会

日本財団は2006年から毎年1月、「ハンセン病差別の撤廃」を社会に訴える『グローバル・アピール』を世界に向けて発信してきた。世界の宗教指導者だったり、世界医師会や国際看護師協会だったり、国際商業会議所など世界的な影響力を持つ組織や個人とともにメッセージを発信するのが常だ。2020年は東京でパラリンピックが開催されることから国際パラリンピック委員会(IPC)との共同アピールとなった。

IPCは多様性を守り、パラスポーツを通じてインクルーシブな社会の実現を希求している。『グローバル・アピール2020』には、ハンセン病差別の撤廃の訴えとともにIPCのそうした目的も盛り込まれた。

パラリンピック開催を前に、障害者への理解は進んだと言われている。バリアフリーが叫ばれ、東京の街は少し障害者に優しくなったように報じられている。確かに目に見えるバリアーは壊されつつある。いわゆる「心のバリアー」はどうだろう。知る機会が増え、理解は広がってきたとはいえ、おずおずと手を差し伸べるレベルに過ぎない。もっといえば、いまだに障害のある人たちと自分たちとは「違う」という意識に囚われ、一緒に社会を創っていく視点には至っていない。インクルーシブな社会の実現はまだ遠い世界にあるように思う。


同調する日本、モザイク国家カナダ

『グローバル・アピール2020』が発信された同じ1月27日、宣言式典を前に笹川健康在団が主催して「『違う』を当たり前に」と題したラウンドテーブルが開かれた。

基調講演で、1998年長野冬季パラリンピックの金メダリストであり、現在は日本財団パラリンピックサポートセンター推進戦略部プロジェクトマネジャーを務めるマセソン美季さんは、自らの体験を通して「違う」ことへの不安、「違うを当たり前」にする社会のありようを話した。

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マセソン美季さん

教員を目指す大学生だった松江美季さんは巻き込まれ交通事故で下半身不随になった。絶望の淵から立ち上がり、車いすという“新しい足”をみつけた彼女が感じたのは、しかし「社会の異物」としての自分だった。

同調圧力の強い日本では、障害があるというだけで「異端」となる。「違う」ものとして社会を構成する輪から外されてしまう。ハンセン病の患者や回復者、家族までがいまも味わい続ける土壌にほかならない。

あの長野大会、美季さんは座位のアイススレッジスケートでさわやかな笑顔で滑走していた。しかし、その裏にある屈託、いや苦悩について、私は知ることもなかった。

彼女はその後、カナダのアイススレッジホッケー選手と結婚。カナダに渡った。そこでまた、「違う」を経験する。

子息が通う幼稚園の同じ敷地にあった小学校の先生にこう言われたという。「小さなころから自分と違うニーズのある人たちと身近に接する機会を増やすと、子どもたちの学びの幅が広がります。できる限り、学校に顔をだしてください」

車いすの美季さんだからできるボランティア活動が始まった。英語を母国語とする子どもたちの前で「日本語なまりの」英語で本の読み聞かせも行った。バリアフリーや違いを認め合う学校や社会のなかで、何の心配もせずに活動に集中することができた。

果たして、日本の学校でもそうした積極的な活動が可能だろうか?

多くの出自を持つ人々が混じり合う多文化国家カナダは、「モザイク国家」ともいわれる。形も大きさもさまざまな一片がそれぞれの役割を果たして、国という大きな絵を描いている。だから美季さんのような活動は可能だと思うが、日本は「人と同じであることがいい」とされる国、同調を求め、同化を強いる国柄である。車いす生活になっただけで「異物」にされる社会なのだ。

美季さんはしかし、「インクルーシブな社会の実現は可能」と話した。「それぞれが違いを認め、違いを乗り越えていくという考え方がしっかりと根付くことが鍵になると思います。それには教育が大事です」


共に生み出す社会へ

人権教育啓発推進センターの坂元茂樹理事長をファシリテーターに、マセソン美季さんも登壇してディスカッションが行われた。
・「違うを当たり前にする」をどう捉えているのか?
・共に生きていくため、インクルーシブな社会の実現に必要なこととは?
2つの課題をテーマに話が進んだ。

大野祐介さんは鉄道弘済会義肢装具サポートセンターの義肢装具士。「同じ義肢でも求められるものはひとり一人違う」という。正座ができる機能を持つ義肢を手に入れた女性は諦めていた茶道を再開した。「錆びてしまうから海には入れない」と言っていた若者に錆びない義肢を提供、彼は海に乗り出した。「キーワードは想像力」である。
「固定観念を外し何が可能か、わかりあう努力が大事」

国立ハンセン病療養所長島愛生園歴史館の主任学芸員、田村朋久さんは入所者が減った療養所をいかに後世に残していくか、腐心している。「人権学習の場として重要な場所です」と話すが、一方で「行っていいのかという声」も聴く。広島の原爆ドームが「米軍の戦勝記念の場」から「平和教育の象徴」となったように、「ネガティブな場をポジティブな場所に変えていくべく」活動を続ける。近年は修学旅行の誘致に力をいれている。

朝日新聞論説委員の高木智子さんはハンセン病回復者との交流を続けながら、人権や差別の問題に取り組んできた。「差別は当事者の問題ではなく、社会の問題。同調圧力が回復者を孤立させた」と説く。誤解、差別を払拭するための活動の重要性を話した。

森元美代治さんはハンセン病回復者、日本では初めて実名でハンセン病患者であることをカミングアウトした。人権回復を訴え、「1996年に黒柳徹子の『徹子の部屋』に出演して、テレビの影響力の大きさを感じた」という。差別の撤廃、人権回復のために国際的な活動を続けている。

4人の登壇者は期せず、社会の無理解、無関心、知識のなさが、なお続く差別と偏見、スティグマの根底にあると訴えた。そして「教育の必要性」も強調された。美季さんの話にも重なり合う。

坂元さんは話をこう総括した。
「一人ひとり、求めるものは違う。違いに配慮するためには何が大切か。3つ重要なことがある。1.違いを受け入れる 2.対等な関係を築く 3.調和のある社会の構築」

「違いについての社会の反応は4つある。
1.違いを受け入れない。それは排除されなければならない 
2.違いをなくすために同化を強いる。強制はあってはならない 
3.すみわけを行う。それを受け入れれば社会に変化を生まない 
4.共生する。共生は共に生きるという意味だが、共に生み出すとも読める。社会を変え、社会の一員として共同して生み出す社会を目指さなければならない」


理解し、認め合うために

共生社会、インクルーシブな社会の実現には「違う」ことが当たり前だと思うような世の中にならなければならない。実情を訴え、変革を求めていくことは当然。「教育」あるいは「啓発」の必要を強く感じた。

人権学習、人権教育と言い出すと、身構える人は少なくない。しかし、「違う」というバリアーを取り払い、互いの違いを認めて、その違いを楽しむことが大事なんだと説くことで、頑なさを解きほぐせるかもしれない。

パラスポーツ、あるいはパラアートは恰好の手段になろう。障害のある人の卓越した能力に触れてみれば、その能力を生かさない手はないなと考えるに違いない。彼らの能力を生かすためには環境が整える必要に気が付くはずだ。誰もが人生を生きて、楽しむためには環境が大事だと考える。

差別を生むのは人ではない。環境にあると思う。例えば、歳をとると耳が遠くなり、歩く動作も鈍くなる。目だってかすんでくるに違いない。日本がこれから直面しようとしている高齢化社会は、「障害のある人」を量産していく社会でもある。救ってくれるのは、それに適して整えられた環境にほかならない。そして、高齢者に代表される社会的弱者と呼ばれる人たちを理解し、認めあう心である。

弱者への思いが差別への意識を変えていくだろう。差別を受けている人への思いも変わる。まあ、そんなにうまくいくとは思わないが、ハンセン病への差別撤廃と障害者への理解が伏流水のように続いていることは間違いない。『グローバル・アピール2020』を共に発信した理由であり、きっかけとしての東京パラリンピックへの期待感である。

共生社会が実現したとき、「向こう岸」と「こちら側」を隔てる橋は彼我を結ぶ大事な存在となる。そうなったとき、『嘆き』は『歓喜』に変わるはずだ…。


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ラウンドテーブル登壇者の方々







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