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2011年06月20日(Mon)
エジプト・レバノンでのハンセン病制圧活動
(長島愛生園慰安会機関誌【愛生】2011年6月20日掲載)

日本財団会長 
笹川 陽平 

 私は2010年12月13日〜16日の日程でエジプトとレバノンを訪問しました。
今回の訪問は、ハンセン病制圧活動のため、エジプトではハンセン病療養所の視察やエジプト保健省、WHOの東地中海地域事務所(EMRO)との意見交換、レバノンではEMROが主催する会議への出席が主な目的です。
 エジプト国内のハンセン病の状況は、1994年にWHOの制圧基準(人口1万人あたりの登録患者が1人未満)を全国レベルで達成しており、2009年には新規患者は700人、2009年末時点の登録患者は912人で、罹患率は0.13人/万人となっています。エジプトでは、カイロやアレキサンドリアといった人口密集地であるナイル川のデルタ地域よりも、上流地域に問題が大きく、地区レベルで制圧を達成していない地区が5つ残っています。

 初日は、午前中にカイロ北部のアブ・ザアバル療養所を訪問しました。この療養所は、1932年に強制・生涯隔離施設(当時)として設立された公立病院です。現在、ハンセン病患者及び様々な後遺症・疾病を抱える回復者約700名(内、35%が女性)が入院されています。施設は、診療所や薬局、事務所などがある中央エリアと男女別の病棟の3つに大きく分かれています。この日は雲ひとつない晴天で、入院者が広々とよく手入れされた庭で気持ちよさそうに日向ぼっこをしており、長期入院者が多いせいか、病院というよりも回復者のための医療施設付の養老院といったおもむきでした。私が特に印象的だったのが、患者や回復者が、医療スタッフへの感謝の気持ちと施設の快適さを伝えると同時に、「ご自宅に帰りたいですか」という私の問いに「帰りたくない、帰る場所がない」と呟くように語る入院者の言葉でした。この後のCNNテレビのインタビューの中でも話をしましたが、この療養所は清潔で、医療スタッフは入院者から慕われており、環境は世界的にみて良好でした。しかし、率直に言ってこの医療施設が入院者の方たちが言うような「終の棲家」になってほしくありません。ここにいる人たちには、家族がいます。病気が治ったら、家族とともに過すのが未来の姿です。しかし、彼らは帰宅することを望みません。それは、社会が彼らを差別しこばんでいるからです。社会の偏見と差別がなくなれば、家族はやっと彼らを温かく迎えることができるでしょう。残念ながら世界の現状は、ハンセン病患者のほとんどが完治しているにも関わらず、彼らに対する差別はなくなりません。私は彼らが家族とともに安心して暮らすことができ、社会に復帰できるようになるまで、病気の制圧と差別撤廃の活動を止めることはありません。

 この日の午後はWHO の東地中海地域事務所(EMRO)を訪問しました。EMROはWHOが設置している6つの地域事務所の1つで、北アフリカ、中東、西アジアをカバーしています。管轄国は西のモロッコから東のパキスタンまでの22カ国あり、管轄国すべてでハンセン病の制圧(登録患者1万人あたり1人未満)は達成しています。また、アフガニスタン、イラク、ソマリア、スーダン、イエメンといった紛争国や政情が不安定な国を管轄国として抱えていることも特徴です。後日、私はレバノン・ベイルートで行われるEMRO主催の会議に出席することもあり、打ち合わせを含めた意見交換を行いました。

 翌日は、カイロから200キロ程のところにある、エジプト第2の都市アレキサンドリアへ向かいました。アレキサンドリアは、地中海に面した港町で、「地中海の真珠」と謳われる歴史のあるたいへん美しい街です。ここを訪れたのは、同市南西部にあるアムレイヤ療養所に訪問するためです。施設の建物は植民地時代のイギリス軍兵舎に改修を加えて利用されているもので、さすがに壁が分厚く重厚な佇まいです。入所者のピークは10年程前で、その時は200〜250人ほどいたそうですが、今は20人の入所者のみで、今でも年間4人ほどの新規入所者がいるとの話でした。この施設には病院が併設されており、そこには医者2名、看護士6名が常駐していました。

 この日の午後は、女性の健康と開発のためのスーザン・ムバラク地域センターを訪問しました。このセンターは、ムバラク大統領夫人が理事長を勤めており、出産や婦人病、それに対応するためのスキル開発などの研修や研究を行う医療機関です。エジプトだけでなく、広くアフリカ地域からの研修生も受け入れています。中東・アフリカ地域の医療水準向上に関して、意見交換を行いました。

 エジプトでの最終日は、エジプト保健省を訪問し、ナセル・エルサヤド保健大臣補佐官とハンセン病やエジプト国内の保険医療状況について意見交換を行いました。ハンセン病対策に関しては民間の役割が非常に大きく、エジプト国内に17のハンセン病クリニックがあり、このようなハンセン病施設では、海外からのシスターが働いて長年、施設運営に尽力しているケースも少なくないとのことでした。エジプト国内の保健医療については、子どもの公衆衛生が課題となっており、うがいや手洗いの徹底など習慣として定着するように、大学と連携して学生100万人を動員した対策プログラムを計画しているとのことでした。HIV/AIDSへの対応については、肝炎と並行して啓蒙活動実施しており、母子保健の調査に基づいた戦略作りを現在進めているそうです。国内すべての学校で給食などの保健プログラムを実施していて、国民の7〜8割をカバーする医療保険制度の準備を行っているという話でした。

 その日の夜、カイロから空路レバノン・ベイルートに向けて出発しました。レバノンはシリアとイスラエルに挟まれた岐阜県ほどの大きさの国です。首都のベイルートは中東地域における金融センターとしての役割を担ったことから、かつては「中東のパリ」と称されるほど金融機能が発達した都市で、航空路のハブになったことから観光業が発達しました。しかし、度重なる内戦を経験し政情が安定せず、重火器を使用したテロ事件が発生しています。最近では、2009年11月に新内閣が発足し、2010年5月に行われた地方議会選挙が混乱なく終了したものの、2005年2月に発生したラフィーク・ハリーリー元首相暗殺事件の真相解明のために設置された国際法廷をめぐって国内の緊張が高まっています。

 ベイルートに到着した翌日、私はWHOの東地中海地域事務所(EMRO)が開催する会議に出席しました。今回の会議では、EMROが管轄する22ヵ国のうち14ヶ国から、各国保健省のハンセン病担当者やNGOの代表などが出席し、各国におけるハンセン病対策事業の報告がありました。私はハンセン病に関わる問題を表現する際、いつもオートバイに例えて話をしています。前輪は医学的にこの病気を治すことです。後輪はハンセン病を巡るスティグマや差別のない世界をつくることです。これからは、オートバイでいう前輪部分だけでなく、後輪部分であるハンセン病を取り巻くスティグマや差別、偏見を取り除き、ハンセン病患者や回復者そして、その家族が安心して暮らせる社会を目指して、更に努力を傾注したいと思います。

 ハンセン病を巡る活動の幅は、「ハンセン病という病の医学的な制圧から、ハンセン病が生み出す差別・偏見に対する撤廃へ」と確実に広がりつつあります。私は世界各国でハンセン病回復者やその家族が苦しんでいる差別の問題が国際社会で取り上げられるよう様々な場所で訴えてきました。日本政府や関係者の方々にご尽力頂き、2010年9月には国連人権理事会で、同12月には国連総会において、「ハンセン病患者・回復者とその家族に対する差別撤廃のための原則とガイドライン」が全会一致で採択されました。この「原則とガイドライン」には、ハンセン病を理由とする差別によって基本的人権や自由の促進、保護及び保障が妨げられてはならないこと、また、ハンセン病患者、回復者及びその家族が差別されることなく、コミュニティへ参加する権利が普及されるべきであることの2点が明確に謳われています。

 こうした国際社会によるハンセン病に関わる差別の撤廃に向けた明確な意思表示は、これを目指す活動を成功させるための強力な道具となるでしょう。後輪の中の差別撤廃に向けた闘いでは、ハンセン病患者と回復者は否応なく闘いの主役です。もはや、受け入れるだけの存在ではないのです。これまでの受け手としての意識を変革し、主体性を発揮し、自身で行動していかなければなりません。私はこの闘いでハンセン病患者や回復者の皆さんと「支援する、される」という一方的な関係を望みません。ともに闘っていく戦友としての関係を望みます。私は戦友と勝利を分かち合うまで、どのような努力や協力も惜しむことはありません。そのためなら、私は何度でも彼らのもとに足を運び、彼らと話をし、彼らのために行動するでしょう。




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