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2011年10月01日(Sat)
ジュネーブでのハンセン病活動
(国立療養所栗生楽泉園入所者自治会機関誌【高原】2011年10月1日掲載)

日本財団会長 
笹川 陽平 

私たちは2006年から毎年、1月の最終日曜日の「世界ハンセン病の日」に合わせて「グローバル・アピール」を発表しています。ハンセン病は今では無料で手に入る薬により完治するにもかかわらず、患者や回復者、またその家族までもが、就学や就職、結婚などができずいわれのない差別を受け苦しんでいます。このように病気に付随する社会的問題を少しでも改善するため、グローバル・アピールを世界に発信しつづけています。過去の賛同者は、ノーベル平和賞受賞者であるダライ・ラマ師やジミー・カーター元大統領など世界の指導者、世界各国のハンセン病回復者のリーダー、人権的アプローチで活動する有数のNGO団体、主な宗教の指導者、有数の企業の代表者、そして100を超える大学の学長などです。
2012年1月に発表予定の7回目のアピールは、各国の医師会代表者に賛同してもらうため、ジュネーブ入りした翌朝フランス領のフェルネーにある世界医師会を訪問しました。世界の様々な地域で、病気を治すために活動する医師でさえも患者に対する偏見を持ち、診療を拒むケースも少なくありません。また、先進国の医師は、病気の発症率が低いため学生時代に勉強したものの、多くの人が患者に会ったことがないのが実情です。しかし世界にはいまだ多くの患者がいます。適切な投薬治療で治る他の病気とハンセン病は何ら変わらないという知識を医師が持つことは、新規患者の発生を減らしていくためにも重要な意味があります。この話を日本医師会の原口会長に伝えたところ、アピールへの賛同を即決し、世界医師会へ連絡をとってくれました。この日本医師会の紹介で当日タイ出身のウォンチャット会長、ブラジル出身のゴメス次期会長、そしてドイツ出身のクロイバー事務局長と面談できました。3人とも私の訴えをとても熱心に聞いてくれ、ほぼ全世界でハンセン病がWHOの定める制圧基準(患者数が人口1万人あたり1人未満)を達成しても、偏見や差別がなくならない限りこの問題は終わることがないこと深く理解してくれました。そして、世界医師会として、「グローバル・アピール2012」発表のための協力は惜しまないとの了解を得ました。

また、ブラジルは年間の新規患者数が3万7千人余りと多く、世界で唯一WHOの制圧基準を達成していない国ですが、本年初頭に就任されたルセフ新大統領は、2015年までの制圧達成に意欲的です。ブラジル医師会の会長でもあるゴメス次期世界医師会会長は、ブラジル政府はグローバル・アピールの取り組みを必ず支援すると約束してくれました。また、グローバル・アピールの発表式典をブラジルで開催することにも全面的に協力すると返事をもらいました。

世界医師会での面談を終え、WHO総会に出席する世界各国の保健行政を代表者と面談するためにパレ・デ・ナシオン(国連欧州本部)へ向かいました。最初に会ったのは、ミャンマーで昨年11月に行われた約20年ぶりの総選挙を経て発足した“民主政権”で3月末に保健大臣に就任したペ・テ・キン氏で就任前、ヤンゴン医科大学の学長を務め前保健大臣のチョウ・ミン氏が、大学時代の恩師だそうです。ミャンマーは、2003年に制圧を達成しましたが、現在もハンセン病登録患者数は3,000人余りでまだ持続的な制圧維持活動が必要です。早期発見を進め患者の障害を少なくすることにも一層の努力を注いで欲しいと依頼しました。日本財団はハンセン病制圧活動の他、かねてより置き薬を利用した伝統医療の普及や、辺境地における小学校建設事業を行っています。それは初等教育の中で衛生教育を進めることが大切だと考えているからです。大臣は日本財団の活動に感謝し、引き続き支援活動を要請されました。

ハンセン病制圧の重要国であるブラジルのジャルバス・バルボサ保健副大臣は、保健省で疾病対策の責任者を務めた後、WHOアメリカ地域事務所で活躍、最近保健省に戻り、ハンセン病を含む公衆衛生問題に深い見識があります。現在のブラジルの有病率は人口1万人あたり1.8人、北部では8.5〜9.0人と高いところもあります。旧知の間柄である副大臣は、特に有病率の高い地域のハンセン病対策を重点的に取り組み、2015年までにWHOの制圧基準を達成したいと話しました。副大臣によれば新大統領もハンセン病の制圧に強い関心を持っているようです。特に貧困の撲滅を目指しており、ハンセン病は貧困の原因にもなっているとして、保健省も行動計画を準備しているそうです。

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ウォンチャット会長と会談

次にフィリピンのオナ保健大臣に会いました。関係者の尽力によりフィリピンのハンセン病の問題は良い方向に進んでいるといえます。ハンセン病患者を祖父母に持ち、ハンセン病専門医として世界中で活躍しているクリオン島のクナナン博士もフィリピンの方です。オナ大臣はハンセン病回復者やその家族が社会の偏見と差別の「壁」に阻まれて、子どもたちが満足な教育の機会が得られないという問題点を指摘し、奨学金の支給により彼らが自信を持って社会に参画できるような支援が必要だと語りました。現在これらの子どもたちの数や年齢を調査中だそうです。

2009年末にハンセン病制圧を達成したネパールのバスネット保健大臣との面談では、私の父が1979年に訪れた際、アナンダバンという病院で障害を抱えた老婆に出会い、その病が癒えることを祈って涙したこともあり、私にとってもネパールは深い思い入れがある国です。また、この国のハンセン病制圧は、保健人口省とWHO現地事務所の地道な努力に加え、メディアの積極的な啓発活動なしには実現し得ないものでした。このような背景があるからこそ、制圧という区切りを迎えたあともネパールのハンセン病の状況は、常に頭の中から離れませんでした。その旨を大臣に伝え、今後も患者の最後の一人が治癒するまで是非ともこの問題に対する優先順位を下げずに取り組んでいただきたいとお願いしました。

インドネシアのアジタマ保健局長は、「ハンセン病は我が国で、結核やエイズと並んで非常に重要な問題である」と表明され、近年新規患者数が横ばいであることには懸念を示しながらも、他の健康問題とも上手に連携しながら、効果的に対策を進めていきたいと発言しました。ネパール同様、インドネシアのハンセン病制圧活動は、私の父の時代から数え約半世紀にわたり関わっています。現在は回復者自らが組織を立ち上げ、尊厳の回復、生活の向上に努力するなど、アジア地域の中で大きな動きがある国の一つです。人口が多く、地理的な困難も少なくないこの国で、効果的なハンセン病対策を維持していくには、引き続き政府の努力が必要です。アジタマ局長には、今後の努力の継続をお願いしました。

スリランカのルベル保健次官とは、昨年5月にスリランカを訪問して以来の再会でした。2009年に25年にわたって続いた内戦が終わり、国づくりの真最中のスリランカに対し、日本財団は義肢装具士養成学校や小学校の建設事業などの協力をしています。次官は、欧米諸国などに対しスリランカの本当の姿を理解してもらい、イメージを変えることが必要不可欠だと熱く語りました。ハンセン病については、2005年に制圧は達成しているものの、依然として年間約2,000人の新規患者が発生し、患者が集中する地域がいくつかあり、引き続きの取り組みをお願いしたところ、ハンセン病問題についての重要性を認識し、続けて患者を減らすための努力をすると約束しました。

今年の7月に訪問を予定しているマラウィのムファンデ保健大臣は、既に制圧を達成しているもが毎年750人程の新規患者が発生し、的確にハンセン病の診断をくだせる人材の育成と、患者数や薬の頒布などの実態調査を行う必要があることを重要な点としてあげました。また、病気による障害のために足を悪くした患者への靴の提供を行い、また薬を受け取ることが困難な遠隔地で暮らす患者には、病院までの交通手段を確保や自転車で届けているそうです。今後私が訪問する際には車で5時間、10時間の移動は全く苦にならないので、ぜひ辺ぴな土地の状況を見せて欲しいとお願いしました。

次はインドのチャンドラムリ保健次官との面談です。インドは私がハンセン病制圧活動において大変重要視している国であり、これまでの訪問回数は40回を超えます。毎年13万人の新規患者が発生しているこの国では、ハンセン病回復者やその家族が住むコロニーが約1,000ヵ所あります。彼らの生活水準は決して良好ではなく、物乞いが唯一の収入源という人々がたくさんいます。私は近年、コロニー住人たちが少しでも暮らしやすくなるよう、ハンセン病回復者のための特別年金の値上げなどを各州の有力者に働きかけています。本年4月の初めには、ハンセン病の有病率が人口1万人あたり1.21人で、しかも貧しい州のひとつと言われるビハール州の副首相と、年金行政を司る社会福祉大臣から、ハンセン病回復者の年金の導入を前向きに検討するご回答をもらいました。インドには、ビハール州の他にも、チャッティスガール、オリッサ、ジャルカンドなど、ハンセン病のまん延率が高い州がいくつかあり、私はこれらの州の保健次官やハンセン病担当者を集めて会議を行い、患者数を減らすための対策を話し合う場を持ちたいとお願いしたところ、次官はすぐに各州へ電話をして直接召集をかけることを約束しました。

最後に、リベリアの保健省医務局長と面談しましました。西アフリカに位置するリベリアは、2004年末にハンセン病制圧を達成しており、人口約360万人の小さな国ですが、毎年400人ほどの新規ハンセン病患者が発生しており、近々訪問して現地の状況を確認したいと考えている国です。この国も患者が集中している地域があるようで、そのような場所に特に注意を払いながら、対策を進めてほしいとお願いしました。

このような面談の場では、2010年12月に国連総会で可決された「ハンセン病の患者・回復者とその家族に対する差別撤廃」および差別撤廃のための「原則とガイドライン」を話題にし、自国でのハンセン病患者・回復者の尊厳回復・人権擁護のため、様々な社会活動の面で必要な措置を講じるようお願いしました。この「ハンセン病と人権」の問題を2003年に最初に国連人権委員会(現・理事会)に訴えた際、私の話に真剣に耳を傾け、助言をくださったのが、当時に国連人権難民高等弁務官代理の職にあったラムチャラン氏で、今回のジュネーブ滞在中に2004年以来の7年ぶりに再会いたしました。

2003年の当初、国連関係者のほとんどがハンセン病と差別の問題の存在さえ十分に認識していなく、この問題は当時人権委員会でテーマとしていた「健康と人権」に含めるべきだという意見が大勢で、ハンセン病と差別の問題は特殊であり、他の病気とは区別して扱うべきであると考えていた私は、改めてこの病気に対する理解の薄さを感じることもありました。そのような難しい局面で力を貸して下さったのがラムチャラン氏です。

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オナ・フィリピン保健大臣

ジュネーブにあるUPR Infoという、全国連加盟国の人権状況を普遍的に審査する国連人権理事会の制度のUPR(普遍的・定期的レビュー)に対する社会の関心を高める活動をしているNGOの会長に、今年1月就任したラムチャラン氏と、今回改めてお会いし、国連総会決議の報告とお礼を伝えることができたことは大変嬉しいことでした。彼は、初めて私からこの訴えを聞いたときに、非常に胸を打たれたと語りました。また、当時私と共に彼のオフィスを訪問した回復者の一人が言った次のような言葉を、鮮明に覚えていました。

「何百年もの間、私たちは社会から排除され、見放されてきました。そんな私たちが今、この国連人権理事会のオフィスにいるのです」

最後になりましたが、この出張にはもう一つ大切な目的がありました。プライマリーヘルスケアの分野で革新的な取り組みを行った個人・団体を表彰する「笹川健康賞」の授与式です。WHOの「すべての人に健康を」というイニシアティブに応える形で1984年に設立されたこの賞は、今年で27回目を迎え、賞金は今後の活動資金に充てることが義務付けられています。今年の受賞者は、スロバキアの医師で、国を代表する癌患者連盟を立ち上げたDr. Eva Sirackaと、エイズ患者が健康で尊厳ある暮らしを送るため行政機関との連携やカウンセリングサービスなどを行っている「The Pequena Familia de Maria」というパナマの団体です。癌とエイズという、人類が直面する二つの大きな病気について患者と家族を支えて続けてきた受賞者の粘り強い努力に、心からお祝いを申し上げました。そして、どのような病気であっても、患者を治療することだけでなく、彼らやその家族が病気を理由に差別を受けることがあってはならないと強く感じました。

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笹川健康賞授与式

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笹川健康賞授与式でスピーチ




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