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2011年11月01日(Tue)
アフリカ・マラウィでのハンセン病制圧活動
(国立駿河療養所機関誌【駿河2011秋号】2011年11月1日掲載)

日本財団会長 
笹川 陽平 

2011年7月13日から16日までの四日間、アフリカ南東部にあるマラウィを訪問しました。同国にはこれまで1回足を延ばしたことがありますが、前回は2000年でしたので、11年ぶりになります。
マラウィは人口が約1500万人、国土が11.8万平方キロメートルと北海道と九州を合わせたほどのアフリカの中では比較的小さな国です。琵琶湖の46倍もの面積を誇るマラウィ湖が国土の5分の1を占めており、熱帯魚はじめたくさんの生物が生息しています。1964年に英国より独立し、以降内戦やクーデターを経験していない治安の安定した平和な国です。温厚で親しみやすいその国民性から「アフリカの温かい心(Warm Heart of Africa)」と言われているそうです。国民の75%はキリスト教徒で、公用語は英語のほかにチェワ語が話されています。主要産業は農業で、葉タバコ、コーヒー、紅茶、綿、砂糖などを産出し、国民の85%は農業に従事しています。近年、高い経済成長を遂げていますが、国民1人あたりのGNI(国民総所得)は未だ290ドルという状況で、最貧国の1つと位置づけられています。

マラウィでは1994年に公衆衛生上の問題としてのハンセン病の制圧(有病率が人口1万人あたり1人未満)を全国レベルでは達成していますが、地区レベルでは26県のうち4県が制圧をまだ達成できていません。年間の新規患者数は2010年で321人、人口1万人あたりの有病率は0.5という状況です。国の保健行政上のプライオリティが低くなってきているため、患者のデータ収集や伝達に正確さを欠く、各県への指導・監督のための定期的な訪問ができていない、ヘルスワーカーへのハンセン病に関する教育が十分でない、中長期の戦略計画を立てられていないといった問題があり、根本的には必要な人材、資金、物品が不足しているという報告が私の耳に届いていたので、マラウィ政府のハンセン病対策に対するコミットメントを引き出す必要があると判断し、今回の訪問となりました。

7月13日の午後、首都リロングェ空港に降り立ちました。リロングウェは標高1000メートル以上の高地でこの期間は冬のため、猛暑が襲う日本とは打って変わって、とても涼しい気候で、少し肌寒いくらいに感じました。空港では、保健省のカブルジ局長とWHO(世界保健機関)のマラウィ事務所代表代理のムシャンボサ氏、また、コンゴにあるWHOアフリカ地域事務所ハンセン病担当官のビデ博士や、熱帯病担当の清水博士らが出迎えてくださいました。彼らの歓迎を受けていると財団のスタッフが困った顔をしているので聞いてみると、飛行機に載せたはずの荷物がほぼ全て届いていないというのです。10あった荷物のうち9個が紛失したという事態で、これまでアフリカを何度も訪問していますが、2,3個届かないことはあってもほぼ全てが届かないというのは珍しいケースです。空港では、そのまま地元テレビ局によるインタビューがありました。今回の訪問の目的などを聞かれ、マラウィではハンセン病は公衆衛生上の制圧は達成しましたが、病気の根絶と差別の撤廃に向けてこれからも取り組むべきことがあることを話しました。特に、国民に対して、ハンセン病は治る病気で、薬は無料であること、差別は間違いであることなど、ハンセン病について正しく理解してほしいと訴えました。

その日の夕方、ムファンデ保健大臣主催の歓迎夕食会が滞在先のホテルで開かれ、マラウィのハンセン病の状況などについて意見交換を行いました。ムファンデ保健大臣とは今年の5月ジュネーブで行われたWHO総会でお会いしたばかりで、とても温かく歓迎して下さいました。特に、ジュネーブで差し上げた日本音楽財団のストラディバリウスの演奏曲が入ったCDを大変お気に召して下さったようでした。また、アフリカで「ササカワ・メソッド」として知られる食糧増産プロジェクト「ササカワ・グローバル2000」についても言及して下さいました。マラウィではハンセン病は、エイズやマラリア、結核と比べて患者数が少なく、いち早く制圧も達成していますが、高いプライオリティをもって根絶に向かって取り組まれていく姿勢を確認することができました。私のほうからも、これまでの取り組みに敬意を表するとともに、病気の根絶と差別の撤廃についての必要性をあらためてお話させていただきました。

翌14日、リロングウェから南東に約230km離れたバラカ県まで車で3時間かけて移動し、同地区にあるウタレというハンセン病コロニーを訪問しました。移動中の車窓からは広大なマラウィの大地と山、木々や畑、そして村々が見え、人々の暮らしぶりが伺えました。レンガ造りの家や藁葺きの家が大半で、時折電線がみえましたが、90%の地域に電気が通っていないという報告にあるように、電気や水道のない生活をしているようです。今回訪問したバラカ県は人口34万人とやや小さめの県です。ハンセン病の登録患者は31人(2010年)で、人口10,000人あたりの患者数は0.9とやや高めです。ウタレは、その地区の中にあるハンセン病の患者、回復者の方々が暮らしているコミュニティーです。1920年代に入植したフランスのカトリック教会のシスターによって1946年にハンセン病患者の隔離療養所として設立されました。当時5つあった施設の中の1つで、現存しているのはこの施設だけだそうです。現在、ハンセン病患者・回復者は計34人がリハビリセンター内に住んでおり、43人が近くの村に移って暮らしています。センター内では、フランシス・カチェーレ神父を中心に教会が彼らに家を造り、食べ物や必需品などを提供しており、アフリカの他の国々のコロニーと比べてもかなりしっかりしている所でした。

回復者の皆さんと交流を深める時間も持てました。若い方は早期に病気が発見できているようで、ほとんどの人は障害がみられませんでした。一方で、お年寄りの方々は手足に障害が残っていたり、目が見えない方、耳が聞こえない方が多くいらっしゃいました。生活は苦労されているものの、お子さんやお孫さんがいらっしゃり、元気で明るい方が多かったです。ただ、少し悲しそうな顔をしたおばあさんのお話を聞いてみると、隣国で内戦のあったモザンビークから一人で難民として避難してきたのだそうです。ハンセン病だということが分かると家族からも見放され、身寄りのないなかで、このコロニーにたどり着いたようです。ハンセン病ゆえに差別を受け、深い心の傷を負っている例であり、そういった差別がこの社会からなくなるよう引き続き取り組んでいかなければならないと改めて強く思いました。同じ人間としてまったく違いがないのに、差別や偏見をなくすことができない人間の歴史があります。人々の心や偏見を変えることは容易ではありませんが、今回メディアや政府の方々にも同行してもらったので、こういった機会を通して、広く国民の皆さんに正しい知識をもってほしいと強く願います。

翌15日には、ムファンデ保健大臣と共同で記者会見を行いました。テレビやラジオ、新聞などメディアが15社ほど出席してくれました。私からは改めて、ハンセン病に対する正しい知識をマラウィ国民の皆さんにもってもらいたいという旨と、ウタレのハンセン病村を訪問した感想を述べました。そして、1994年に制圧を達成したことに対する評価と、近年は患者数が若干増加傾向にあることへの懸念、そして今後の取り組みしだいで今やマラウィでは制圧から根絶も可能であるとの期待を表明いたしました。保健大臣からは、ハンセン病は保健省が長年取り組んできた公衆衛生上の重要な病気の1つであるとし、これまでの政府の取り組みが紹介されました。そして、ハンセン病の患者数は少ないが、ヒューマニティの問題として取り組み、0に向けて患者数を下げていく努力をしたいと力強く語って下さいました。

今回のマラウィ訪問は、ハンセン病の公衆衛生上の問題としての制圧の達成は単なる一里塚であり、制圧から根絶に向け更なる患者数の削減を進めていくために、情熱と忍耐をもって取り組みを継続していかなければいけないということを再認識させてくれるものとなりました。また、病気が治った後も、回復者がしっかりと社会の中で尊厳ある人生を送れるよう、人々の理解を深め、社会の環境を整えていくための努力を重ねていきたいと改めて強く思いました。




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