『ぽけっと』8月号の特集「不登校に寄り添う」では、区内で不登校に関わる活動をする3人の方による座談会の様子をお伝えしました。ここでは、紙面でお伝えしきれなかった部分をお届けします!
『ぽけっと』8月号(PDF)はこちらから!
【座談会参加メンバー】
鈴木さん(なゆたふらっと…1991年から継続している不登校の子ども達の居場所。それぞれやりたいことをして過ごしている)
水村さん(練馬・登校拒否を考える親の会…子どもの不登校をきっかけに親同士が出会い、コミュニケーションを持つための集まり)
高橋さん(練馬区内で不登校児支援に関わる方)
不登校の増加と背景
水村:親の会ということで、あまり不登校の子どもが増えているという実感はありません。悩みに悩んで、「学校に行かない」ということを受け入れた親御さんが、将来に不安を感じ
会に参加されることが多いです。
高橋:フリースクールでは毎日のように問い合わせ・見学があり、自分たちだけではカバーできないと感じています。学校教育以外の場所で育てたいと、主体的に子供の居場所を考えはじめる家庭も増えていて、幼稚園、保育園の頃にフリースクールの見学に来たりします。
鈴木:全体的な話になりますが、学校が制度の求めることに沿った教育の場になっていて、子どもが中心の教育の場になっていないと感じることがあります。学校での事務処理も本当に増えていて、教員も子どもに向き合える時間が少ないと悩んでいますね。
保護者の悩みについて
鈴木:皆さん口をそろえて「この子は学校に行けるんでしょうか。病気なんでしょうか」と聞いてこられます。そこで「行かなくてもいいじゃないですか」と言うと、「なんでそんな無責任なこというんだ」って怒られてしまうことがあります。
水村:病気なんだと思うと安心する親御さんもいますが、病名がついても学校に行けないことに変わりないんですよね。また、「急に学校へ行かなくなった」と捉えられがちですが、その選択をするまでに子どもはかなりの葛藤や悩みがあったわけで、そこをわかってあげられるといいと思います。
高橋:不登校の子どもの親の悩みは、一生懸命子どもに向き合っている証です。「あなたのお子さん、とっても素敵!」と言ってもらえる環境が大切ですよね。
鈴木:普通に学校に通えていた親からすると、なんで学校に行かれないのか分からないことが多いです。そこで、支援者が未来のビジョンを伝えると、親も先が見えて子育てができるようになります。
卒業や進学について
水村:公立の小中学校であれば、出席日数に関わりなく皆さん卒業されているので、「心配しなくて大丈夫」と伝えています。ただ、中学3年生になると皆さん悩みはじめます。親御さんはお子さんが選択した道を背中から支えてあげて欲しいです。うまくいかないことがあったとしても、自分で選んだ主体性を褒めてあげてほしいです。中3だから、高校どうするの…と焦らずに、ゆっくり見守れるといいですね。
鈴木:中学3年生になると今後の選択を迫られます。外からは見えにくいのですが、自分の将来のこと考えていない子はいません。親は焦らず、本人の意思を尊重してそばにいて、つまずいても失敗しても、いくらでも手段があることを伝えていくことこそ大切だと思います。
高橋:学校教育では「自分で決める」というのが難しいです。こうしなさいと言われ、それができないと、はみ出ている感覚になります。中学3年で進路選択を迫られる「15歳の呪縛」は、社会がもっと柔軟な選択や対応をしていかないと、なくならない気がしています。自分のスピードとは異なる速さで決断を求められることに違和感を覚える子もいます。
鈴木:日本は「他者との違いを大事にしなさい」と育てられるけれども、実際には多様性や自分との違いを認めない環境になってしまっています。その矛盾の中で、大人も子供もプレッシャーを感じています。自分の考えを他者に伝える経験が不足していて、遠慮なのか配慮なのか、あいまいな日本独特の気質がハードルになってしまっているようです。
周りができることについて
水村:一人で抱え、なかなか悩みを口にできない方もいらっしゃいます。例えば、近所への買い物でもママ友に会わないようにと、考えてしまったり…。安心して悩みを話せる場があると少しほっとできると思います。
鈴木:「けっこう悩んでいる人、多いみたい」と言われるだけでも違います。特別ではない、異常なことではない、というメッセージを送れるといいですね。昨年度は全国で479人の子どもが自殺しています。コロナ休校でハッピーになった子もいる一方で、究極な選択をした子がいます。何事も効果がある反面で、それに伴う悪影響が起こること考えて備えるのが大人の責任だと思っています。
高橋:先が読めない時代になっていて、柔軟に対応できる社会にしていかなければ、と思っています。
―お話を伺う中で、不登校の原因や背景は子どもや家庭の中にではなく、私たち社会全体にあるのだと改めて考えさせられました。本日はありがとうございました。