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2019年01月10日

3.たすけあいからのネットワーキングの現在地 多久寛子さん−重度障害者等包括支援事業と重度知的障害者の一人暮らし支援

3.多久寛子さん−重度障害者等包括支援事業と重度知的障害者の一人暮らし支援

(通例 こういった文章などでは個人名をださずにイニシャルで紹介することが圧倒的ですがここではあえて、ご本人のお名前を出しています。本文中にも触れていますが、それは当会が彼女をはじめ漠然としただれかを支援させていただいているのではなく、固有名詞「多久寛子」さんとの関係性の中で支援を構築しているからです。そのスタンスで、これまでも、TVの取材やその他でもすべて彼女は実名で出演、登場しています。)

 寝屋川市民たすけあいの会の40年を語るときに、多久寛子さんのことは外すことはできません。

 現在、私たちが運営をしている「社会参加活動センター ぼちぼちはうす(制度上は地域活動支援センターU型)」を作ることになったのも、彼女が市内の通過型施設を修了する際にその後の通所先を母が当会に相談に来られたことからはじまっています。障害者自立支援法が始まるときに、その自分たちがつくって制度化した「ぼちぼちはうす」が廃止/存続の危機になったときにも率先し活動を、また、毎日放送のドキュメンタリー映像06「ぼちぼちはうす〜障害者自立支援法の波紋〜」の取材のときにもご協力をいただきました。何より彼女自身がとても重い知的障害がありながら、地域の学校に行き、学童保育を利用し、地域のお祭りには必ずと言っていいほど母子で出席、出店し、自宅を開放し、「文庫活動」をされておられたご家庭でした。

 そもそも、ボランティア活動のみを行っていた寝屋川市民たすけあいの会がなぜ、事業を行うようになったのか?10周年記念誌「たすけあいからのネットワーキング」の中にも、「ボランティア・ビューロー、ボランティア活動だけではなく障害者の作業所などつくっていくべきではないかという議論があるが、それはやらない」と整理をされています。p142
 振り返ってみると外在的な要因と内在的な要因があったように思います。外在的な要因は、「はじめに」に書いた1998年のNPO法、2000年の介護保険があります(2003年の支援費は当会が事業をやりはじめてからはじまりました)。外在的な要因としてもう一つ注文すべき点は、1995年の阪神淡路大震災とそのときの「ボランティア」元年と言われるボランティア文化の転換があるようにも思います。その大部分はNPO法創設につながっていくと一般には言われていますが、実はその前からの「ボランティア活動」が市民権を得始めていた1990年代前半、福祉制度の変更、「環境(エコ)」に対する市民の関心の高まりなど、ボランティアを取り巻く社会事情が変わっていたことが、当会を取り巻く外在的な要因の変化にもつながっていると思います。
 内在的な要因として、その時期は、会発足10周年以降、運営の中心だったメンバーが抜け、運営状況も変わりつつある中、また会発足の契機を担い、その後も職員の派遣などを行っていただいていた大阪ボランティア協会との関係性もかわり、大きく会の運営の「自立」が必要になってきていた時期でもありました。
 また、そういった運営の自立の議論の中から、「ボランティア・ビューロー」という看板はあっても、日本で「ボランティア・コーディネート」を生み出したと言われる活動の一つだったと言われても、実際の活動をするボランティアたちは「コーディネート(調整型)」よりも「課題解決型」の志向が強かったということもあると思います。例えば、コーディネートから生み出された「在宅療養者交流会」(たすけあいからのネットワーキングP43)もこの頃から、在宅ボランティア活動の活動先の「支援を必要とされる人」どおしをつなぐという役割よりも、もっとプログラム化され、「外出のプログラム」という取り組みのアナウンスから新しい人につながっていく、口づてに広がるという流れが強くなってきます。
 自分たちが培ってきた「ボランティア文化」ではないものが広がり、また地域の福祉を課題解決として行っていくべきであるという社会制度の変化、そして、会の「自立」のプロセスの中で出てきた(強まってきた)課題解決志向。そういった90年代後半の内・外の動きや事情の中で、多久寛子さんの母の「たすけあいの会で(障害者)作業所をやってほしい」という話から、「ぼちぼちはうす」を作る動きが本格化していきます。「在宅療養者交流会」などで広がってきたつながりから在宅の重度の障害のある方と出会い、保健所などの新しい事業の支援依頼から中途障害の方との出会い。また、市内で開催される環境啓発イベント「エコフェスタ」の300ブースのフリーマーケットのとりまとめを依頼されて、その事務局を担うというような、確かにこれまでの活動の延長戦上にはありますが、そもそもの規模のかなり大きな「ネットワークを広げる活動」(4)も大きく関連しています。直接的・間接的なネットワーク活動が大きく拡がった中で事業活動をはじめることになったと言えると思います。もちろん、前項で触れたこどもたちのプログラムを発足当初から中断しながらも行ってきていて、そこで出会ったこどもたちが成人になり、通所先がないとか、支援(サービス)を受けることが十分にできないという現状の声をきく中から、再度出会っていく「プロセス」であったと思います。10年、15年たって再び出会い、その人たちと一緒につくったものが、「ぼちぼちはうす」であり、「ヘルパーステーション『ほっと』」でした。
 
 「ぼちぼちはうす」は約2年間の制度外の運営を経て、2003年の支援費制度施行と同時に「(基準該当)身体障害者デイサービス」になります。(5)2000年の介護保険施行時に「(基準該当)での訪問介護をはじめ、2002年の精神障害者居宅介護事業の補助、2003年に身体、知的障害者の居宅介護の補助(支援費制度の指定)。(6)これらは当会が行政からの補助がないままに、ボランティア(ボランタリー)に行っていた活動を市が追認して、制度化していく流れでした。そうして本格的にボランティア活動とは別に制度内事業を行っていくようになっていきます。
 ただ、社会の流れは「サービスニーズがあるからサービスを創設していく」という市場化の流れでしたが、それに抗うように私たちは、「つながりから創っていく」支援、そして、それを市民の意識として事業化も行っているようにできるだけ市と協議して、市の追認を得ながら行っていくというスタイルをとっています。
 2006年に障害者自立支援法が施行されるときに、「ぼちぼちはうす」は元になる制度である「身体障害者デイサービス」がなくなるということで、廃止の危機に陥りました。そのときにも安易に単なる存続という思考ではなく、専門家でない人でもかかわることができるように新しく創設された重度障害者等包括支援(7)の指定をとりました。また、市との協議の結果、地域活動支援センターの委託も受け、ることができましたし、その際に、自主事業ではじめていた「スリーコイン ランチ王」・精神障害者を対象にしたランチサロンの事業を対象にして、福祉分野での精神障害者デイサービスを地域活動支援センターU型としてはじめました。「地域活動支援センターU型+重度障害者等包括支援事業の日中部分」というのが制度でいえば、現在の「ぼちぼちはうす」の位置づけになります。現在では、利用対象者は、重度肢体不自由者、重度知的障害者に精神障害、加えて、現在は高次脳機能障害(8)、発達障害者も入ってきています。

 多久寛子さん(9)
 そんな当会の事業の中心を担ってきた多久さんですが、2011年の夏にお母さんが急に入院され、その約1ヶ月後には意識がない状態になり、入院して2ヶ月半後には亡くなられてしまいます。母子2人暮らしで、身寄りのない多久さん。
母のずっと実践してこられたこの地域で暮らし続けたい、多久さん自身のここで暮らしたいという思いに応えていくために、私たちは体制づくりを行い、短期入所を組み合わせながらも、ヘルパーの支援を入れながら、一人暮らしをしていただいています。重度知的障害でかつ行動障害のある方の一人暮らしという生活の形態は全国的にみてもかなり少数です(10)。 「ふわりんクルージョン2017」2017.1.29 日本地域共生協議会主催のシンポジスととして発表させていただいたときにも述べましたが、私たちは「重度知的障害があり行動障害者」の一人暮らしを支援しているわけでもなく、「重度知的障害があり行動障害のある多久寛子さん」を支援しているわけでもなく、「多久寛子さん」とともに寝屋川という地域で生活をしていくために支援をし、支援を組み立てています(11)。
 もちろん、唯一の身寄りであり、親族後見人であった母が急に亡くなられたわけですし、彼女自身が何らかの明確なことばによる意思疎通ができるわけではありませんから、ここまで安定した生活を組み立て、かつ、保ちつつづけていくには大きな課題をいくつも乗り越えています。少なくとも、重度の知的障害者が一人暮らしをするには全く制度は追いついていません。隙間だらけです。その「隙間」はともに歩んでいるからこそ埋めていくことができているのです。

多久寛子さんの生活 「ふわりんクルージョン2017」2017.1.29 発表資料
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(5)昔、障害福祉の分野で言わていた「在宅」。行き場(通所先、所属先)のない重度重複障害者ばかりが集まって始まる。
(6) 2003年支援費制度がはじまるまで、寝屋川市の障害者ガイドヘルプ事業は、寝屋川市が直営で行っていた。利用者もヘルパーも市に登録をする形だった。実際は市の調整力は低く、重度者にはほとんど派遣ができていない状況だった。
(7)重度障害者等包括支援事業は居宅介護の事業の一つでありながら、従事者に資格を有しないものも従事ができる。障害者自立支援法(現在は障害者総合支援法)の制度であるが全国的に利用は低調で大阪府内で実際に利用者がいるのは当事業所のみ。事業所の利用者数でいえば、全国で2番目に多い事業所である(2018年10月現在 7名)
(8)字数の都合上、高次脳機能障害者の支援について詳細を書くことができないがここ数年当会には多くの中重度の高次脳機能障害者支援の依頼がある。4年前から地域活動支援センターの一セクションとして、リハビリ要素を付加して活動をしている。
(9)多久寛子さんのひとりぐらしの様子は https://youtu.be/qSDiek2vFMQ
(10)「統計は見当たらないが、30年前から知的障害者の自立を支援している市民団体「たこの木クラブ」代表の岩橋誠治さんによると、一人暮らしをしている重度知的障害者は全国で100人もいないとみられている。」『げんちゃん、みんなを変えた 知的障害者が一人暮らしすること』岩永直子  https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/genchan?utm_source=dynamic&utm_campaign=bfsharetwitter&utm_term=.vfKJGWa1e
(11)以下の動画で多久寛子さんの生活を紹介している https://youtu.be/MFOlMwBsEZ4
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