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2018年10月14日

「たすけあいからのネットワーキング」の現在地(2) −こどもさんたちとの出会いから地域の現状を知ることができる こども(たち)とのかかわり−

「たすけあいからのネットワーキング」の現在地(2)
−こどもさんたちとの出会いから地域の現状を知ることができる こども(たち)とのかかわり−

 現在の寝屋川市民たすけあいの会の事業活動のことをよくご存知の方は、「寝屋川市民たすけあいの会」は、障害者の支援を中心に事業活動をやっているとともに昔ボランティアをやっていた団体だと思っておられる方が多いかもしれません。
しかしながら、もともと寝屋川市民たすけあいの会の活動は、会の歴史を語るときに紹介しているように障害のある子どもたちの親のサポートから始まっています。また、活動が始まった当初から、障害がある/ない子どもたちのあそびのプログラムとして「びっくりおもちゃ箱」という名前のプログラムがありました。
 「びっくりおもちゃ箱」については「たすけあいからのネットワーキング」p48からに活動の紹介がありますので、詳細はふれませんが、障害のあるこどもさんと障害のないこどもさんの出会える場を作りたいという声からスタートしています。
 学生のボランティアを中心に障害児と健常児の交流活動が始められ、何度か中断しつつもプログラムは続けられました(1990年代はじめで休止)。
 2000年代に入ってから学生のボランティアや若いスタッフが入ってきはじめたときに障害児の遊びのプログラムを再開させることになり、「びっくりおもちゃ箱」を何度か開催し、その後、2006年から内容を再編して、毎月第1日曜日に開催する「そるどみ(Sol De Domingo」が始まっている。
 「びっくりおもちゃ箱」の時代は障害のあるこどもたちのための支援のプログラムは、公的な療育センター、保育、教育しかなくあとはボランティアで行っているプログラムくらいしかどの地域でもなかった。寝屋川市でも「びっくりおもちゃ箱」はボランティアプログラムの一つで、当時から障害の重いこどもたちの月に1度の社会参加の場だったようです。まさか、その「びっくりおもちゃ箱」に通ってきていたOBたちが日中活動の場「ぼちぼちはうす」やヘルパーステーション「ほっと」をつくるきっかけになっていくとは思っていなかったでしょう。これについては後述します。
 「障害の重い」といわれるこどもたちはその「障害の重い」が故に、さらに社会参加の場を奪われることになります。このスパイラルはいまもかわっていませんし、そのスピリットは当会がボランティア活動ではなく事業を行っていくときにも痛感している方向性でもあります。
 「そるどみ」から見えてきている風景
 2006年からはじめた「そるどみ」は、ちょうど、障害者自立支援法ができ、3年前の支援費制度がはじまってようやく制度にのった日中活動の場「ぼちぼちはうす」が存続の危機になったときと時期を同じくしてはじまっています。実はこれには理由があります。障害者福祉施策にとって障害者自立支援法の施行は大きなパラダイム転換でした。いまでは当たり前になっている「サービス」という考え方が入り、それまで障害者支援の世界で当たり前だったことがあたり前でなくなることを意味しました。そして、その制度下の事業を行うということは、当会にとっても組織運営そのものを変えていかざるを得ないことを意味しました。だからこそ、制度内の事業ではなく、それも、従前のボランティア活動の延長ではない新しい活動をいくつか打ち出したのがこの時期です。その一つが「そるどみ」でした。
 その数年前からびっくりおもちゃ箱を年に2度ほどの活動を積み重ねてきている中で、以前のびっくりおもちゃ箱と同様やはり障害の重いこどもさんたちとの出会いがそこでも主でした。以前と違っていたのは、制度内の相談支援事業をはじめていたことがあり、関係機関や教育関係からのご紹介で利用がはじまったこどもさんも少なからずおられたことでしょうか。こういった関係機関からの紹介の流れはこの時期から後の「放課後デイサービス」が広がったときの雰囲気が、すでにはじまっていたことを示していると思います。
 そういった放課後デイサービスで見えてくる風景は、その後の「そるどみ」がいわゆる障害の重いこどもさんではなく、いわゆる発達障害のあるこどもさんにも対象が利用対象が広がっていくことにも重なります。障害のあるこどもさんとないこどもさんという線引きそのものに難しさを感じていくことになります。そして、現在はその傾向はもっと進み、複雑な家庭環境をもつこどもさん、不登校のこどもさんが参加するという形になっています(これはあとでふれる精神障害者支援を行っている機関とのネットワークとも絡んでいます)。

 ここ数年、「こどもの貧困」ということがことさらに言われるようになりました。当会の活動の中で、その「こどもの貧困」に関して、感じること関わることは実は少なくはありません。個別のケースでいえば、精神保健ジャーナル「ゆうゆう」31号 萌文社の紹介記事&精神保健福祉ボランティア 石川到覚編 中央法規 2001 第3章「暮らしを支える」P107で紹介されている事例などはその一例です。筆者が当会にかかわりはじめた当時から数年間、「在宅ボランティア活動」のケース依頼の中で、年に1、2ケース「沐浴」のボランティアという種別のボランティアの依頼がありました。「沐浴ボランティア」とは、生まれたばかりの赤ん坊をお風呂に入れる活動のことです。当会のベテランのボランティアさんたちは特に気にする風もなく保健所の保健婦(師)からの依頼を受けていました。活動の性格上、数日間のボランティア活動で終わるわけですが、いまから振り返ると母に精神疾患や知的障害があり養育に課題が見られ、保健師が自分が訪問するだけでは、産後すぐの時期を乗り切ることが難しいと感じての依頼だったのでしょう。当時は、核家族化で頼れる周りの人がいないという切り口での依頼趣旨でしたが。
 2000年前後くらいには寝屋川市ではこども虐待(死)やこどもが絡む事件(例えば、寝屋川市中央小学校事件 2005年など)が頻繁におこるようになり、地域の中でこどものことに日常的に関心が向けられるようになりました。同時期にいろいろなチャンネルから地域では「30代後半のおばあちゃん」が珍しくないことにも気づかされるようになります。「30代後半のおばあちゃん」とは、10代出産のこどもが10代で出産し、30代後半にして祖母になるということです。若年出産が悪いという意味ではありませんが他地域ではあまり聞かない話があたりまえに聞こえてくると「なぜ」と考えざるを得ません。また、同時期に市内のある小学校の保護世帯率が3割を超える(2000年代初頭)ということをきいたときにも先んじて、地域の貧困化と「貧困の世代間連鎖」が地域の課題になってきていることを実感しました。
 ともすれば、虐待とも密接にかかわるこどもの支援の話は公的な施策が先行していきますので、わたしたちのような民間の、それも特に、こども支援をメインの看板に出していない団体にはそれほどの出番がないようにも思えます。しかしあたりまえですが、こどものことは家族のことともかかわります。無関係ではあり得ません。アプローチの仕方が多層的でないと課題解決どころか、課題にすらたどりつきません。
 数年間のある研修会でこんなことをききました。妊産婦救急を受けている病院のケースワーカーさんでした。年末の休暇をすごし年始に出勤したときに10数ケース「飛び込み出産」のこどもがいた。そのうちの7割以上が当市と隣市の住所だったそうです。生まれたあとのこどものことだけを考えていてはダメだ痛感した話でした。狭い意味の「障害」に着目していてはいけないと強く感じ、その後のライフステージの節で漏れない相談機関のネットワークづくりを指向するきっかけになります。
 
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