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備忘録 [2011年03月21日(Mon)]
久しぶりに、ブログに来て、自分のプロフィールを見たら、年齢が2年前のままでした。
そして一緒に書いてあった「夢」が、今とは違うことに気付きました。幸か不幸か、興味の対象は変わっていませんでした。
でも、二つ書いてあった夢の一つ、「研究」。2年前を思い返すと確かにそんなことを周囲にも言っていた記憶があります。その後、卒業研究を経験し、研究のプロセスを学び、同時に他の世界も知って考えが変わりました。

もうひとつの夢は、アルバイトとしては実現できています。ただ、現在就職活動中です。その業界は履歴書の段階で通過することはできませんでした。

ある学校で、本人は通学の意志があるけれど成績不振のため、中退させられてしまう生徒がいました。自主退学の決断ができないのであれば、学校側から決断してあげる親切だという見解がありました。初めて聞いたときは、どうなのかと思いました。

就職活動を無事終えることができたあと、どう振り返るでしょうか。履歴書以降の選考に進めなかったので、あきらめてその業界には以後手を出すのをやめたこと。一つ目の夢に近い分野(職種は研究職ではなくて)に就職が決まれば、自分が選択・決断できなかった二つを先方から選んでくれたことを親切に思うのでしょうか。

そうだといいなとは思います。
岡本太郎さんの言葉で、玄田有史さんが好んで引用される「迷ったら危険な方を選ぶ」生き方。選ぶのは自分でありたいけれど。
戦後65年 [2010年08月15日(Sun)]
テレビTBSのドラマ「歸國(きこく)」。
2010年8月14日21時〜
http://www.tbs.co.jp/kikoku2010/index-j.html

日本でテレビドラマを一部でも意図的に見るのは『氷点』以来かもしれない…

主題については,賛否両論あろう。
一緒に見ていた母には古い考え方と映ったようであるし,いくつか散見したブログでも似た意見が多い。私は主題から離れたところに主な感想をもったが(下記),大宮さんの行動は,当時の人間として自然なのだろうと思う。

ただ,久しぶりにブログを更新して記録しておこうと思ったのは,二十歳を過ぎて久しぶりに先の大戦を扱った作品に触れて,小中学生の頃に感じたこととは違うことに気付いたからである。

小学生向けの戦争小説を読んで思ったことは,今の私たちのようにモノがなくて空腹で大変だった,親しい人が戦いに出てしまって心細かった 等,子どもとしての共感であった。
中学高校時代は,勉強が好きだったため学徒動員の話を聞いて何か年相応のことを思ったのだろう(探せば当時の感想文が見つかるかもしれないが,どういう感想を抱いたか記憶にはない)。

今,恋人をもち,結婚・子育て・家庭作りドキドキ小を固有名詞を入れながら将来設計をできるようになった。そのような自分の現実とともに戦時中の同年代の若者を思うと,子どものころとは異なるところで共感をしてしまう。
チェロ弾きの木谷少尉(小栗旬)が故郷に残したピアノ弾きの恋人。出陣前にこっそり送った恋文。
また音楽の話がしたい。貧しくてもよい、結婚したい。
そして65年の歳月を経ての再会シーンでの共演。

一方,平和な時代に生きる私も,家族で室内楽をするのが夢である。だが,家族全員分の楽器を買えるように(そのくらいの経済力を持てるような職につけるように)というのが目下の課題。生きて会えなくなるとは考えたこともない。
しばらく遠距離だったことがあるが,死別となればその悲しみはいかばかりか。
相手が戦死してしまい,未亡人を貫く人がいるという話を聞いたことはあったが,実際に映像として見ると,強い気持ちを感じる。

今後,子どもを持つ親となって先の大戦を振り返ると,また違ったことを感じるのだろう。
戦争教育は子どもにだけでなく,社会教育として体験していない全世代を対象とするべきものだと思う。

最後に,変わってしまった現代社会について一考する。
大宮上等兵の心理状態は理解できる。年長者へは敬意を払うべきで,「敵」は殺したくなるのだ。
現代社会が当時と比べてよいのか悪いのかは判断できない。小学生だった頃から今まで,この10数年の情報技術の進歩の速さに驚くのは,大人と変わらないと思う。それとともに常識も随分変わったことだろう。

こうも速く変わってしまうと,「古い考え方」の人からそうでないつもりの人まで多様な人が常にいるのが現状になる。あの人は古いからと片付けずに,そういうふうに考える人もいる,とその人の考え方を一つ一つ尊重しないことにはどうしようもない。
どうしてそのような考え方に至るかは,少しその人のことを知れば大抵推測可能なのではないかと思う。その人の考え方を外から帰るのは困難だが,受け取る自分の意識や理解は変えることができる。時には腹の立つことを言い出すかもしれない。でもしょうがないと思い,自分なりに理解して妥協点を見出すことに時間を使う方が,批判するよりも得だと思う。

いつの時代も「古い」人はいるし,そういう人たちを隔離したところで若い世代にも色々な考え方をする人はいるのだから何かしら人とうまくやっていく方法を見つけないと今後どうしようもなくなる。
達成感 [2007年06月11日(Mon)]
毎日ネットでこのページを見る時間と機会はあるがパソコンの前でゆっくり記事を書く余裕がない。久しぶりに携帯から投稿。

終わらない終わらないと言っていた実験も先月末、発表前日の終電間近に決着がついた。発表当日〜片付けもなんとか無事に済ませられた。中心でまとめてくださった先輩にはお客さんもたくさん来たし良い内容のものができたね、と言われた。
しかし後には後回しにしていた宿題の山が残り、数週間全く気持ちが安らがなかった。学科全体の発表だったのに一部の人たちに負担が集中し、全体装飾など必死で準備をしている隣で悠々と宿題を終える姿、それを見て自分の要領の悪さ他に行き場の無い感情。とても達成感などなかった。
片や、日曜日に一人で学校で完全させた課題。できた時は快感だった。こういうのを達成感というのだ。
さて両者の違い。どんなに熱心に取り組んでも不満を意識しては台無しだ。昨日の課題も‥敢えて挙げないが不満はいくらでも思いつく。
謙虚に生きよう。
祝1000アクセス! [2007年05月06日(Sun)]
ブログを開設してから早3ヶ月、当時はこれほど多くの方に見ていただけるとは思っていませんでした。これからもいっそう読んで面白いページを目指してまいります。よろしくお願いします。

今、学園祭の展示発表に向けて実験準備中です。
実験のよいところは、本当にその原理を(ある程度)理解していないと何もできないということです。学生実験で、未知の結果を求めに行くのではなく先生方が前々から入念に準備してくださって学生は実験手法を身に付けにいく、というタイプの実験ではさほど困りません、(もちろん身につかないという意味できちんと理解する必要はあります)。
でも、自分で実験装置を組み立てて材料も研究して動かすこと、わたしはそこで力尽きてしまいがちですが、さらにその装置を使って条件変更の実験をして結果を考察する、となると実験装置のしくみの理解無しには絶対できません。
ものすごく感が鋭い人だと、何となく微調整やなにやらできるのかもしれませんが、目的を持って、装置を工夫することはできないと思います。

今やっているのは海底プレートに堆積したものを盛り上げる実験ですが、堆積するものは密度がオーダーではそろっているということを完全に無視していたためひどいことになってしまいました。手軽に手に入る小さくて丸い物質、ではだめなんですね。困った

でも、今わかっただけましだと思って引き続き頑張ります。
次のキリ番アクセスの時にはどんなことになっているでしょうか。
祝600アクセス! [2007年04月10日(Tue)]
お恵みなのでしょうか。時々、とても嬉しいことがあります。今夜は早めに寝たかったのでCANPANに来る予定はなかったのに600アクセスに出会えたのもそのうちなのでしょう。

でも、それと同じようにとても悲しいことに遭遇することもあります。悲しいことになってしまった友達を慰めようと、カウンセリング的関わりをすることが時々あります。臨床心理で習う前から何となくしていたことですが、仕事として臨床心理をなさっている方はよく気が滅入らないなと感心します。

この春に、話題になった時期からはかなりずれましたが『ダヴィンチ・コード』を読みました。本の中でたくさんの人が亡くなりました。本当にあっけなく亡くなってしまいました。わたしにしても限りある命です。今までたくさんあったように、これからもたくさんつらいこと・悲しいことはあるでしょう。でも、それよりももっとたくさん、幸せなことがあると願って生きていこうと思います。そして、欲を言えば死んでもしばらくは覚えていて欲しいし、さらに言えば「あの子はこんな考え方をする人で、少しは影響受けたな」と言われるような人生を送れたら幸せです。悲しい

『ダヴィンチ・コード』のソニエールはそういう面があったのでしょうね。今の段階でできることとして、CANPANに考えをまとめて延べ600人、さらにこれからもいろいろな人に話しかけられたらと思います。
春休みの過ごし方 [2007年04月06日(Fri)]
大学生の春休みは長い、というのは必ずしも正しくないと思う。少なくとも今年のわたしの場合。確かに「春休み」の時期は他の職業に比べるまでもなく長いが、細切れだった。2,3月は授業はないが2週間おきに試験が入ったので、全く日々の学生生活から解放された日々というのは最後の試験が終わった一昨日にやっと始まった。

しなくてはいけないこと
1 家事手伝い
2 某学生アルバイトの研修の宿題
するべきこと
3 新学期の予習
4 先学期の復習
5 今度の学園祭での発表準備
6 サークルの新歓手伝い
したいこと
7 興味あるシンポジウム見学(平日に開催するので休みの時期くらいにしか行けない)
8 授業に直接関係のない勉強(icelandic音符)
9 趣味の読書
(どうしても学期中の通学時間はその日の予習復習で読書をする余裕がない。電車の中で信号処理のページなどを読んでいると何となく周りが嫌がっているのを感じるが、大丈夫汗わたしもわかっていないから・・・)
10 趣味のピアノ
11 旧友と親交を深める
その他(しなくてはいけないことに入れるのはおかしい部類)
12 今までお世話になった人とのお疲れさま会
13 散歩

こんなものは人に見せるものではなさそうだが、果たして4月初めのわたしはどのようなことを考えているのだろう。(3月8日)

さて、一週間ほど経ち家の片付けに追われて他のことがほとんどできていない。「しなくてはいけないこと」の間に学園祭の準備をしている。先学期の復習は3時間ほどしかできていない。今日もこれからできるのだろうか落ち込み8月のあるビッグイベントに向けても勉強したいのに。
今日は電車の中でicelandicを久しぶりにやった。つかの間の幸せハートと言いたいところだが、秋休みに覚えたことをだいぶ忘れていてショックだった。来学期は必修の語学の授業もなくなるので定期的に勉強しようと思う。でも9月の海外巡検(場所を忘れてしまった)で現地語(多分台湾語か韓国語)の勉強も始めたいしな。学科の友だちに語学好きがいるみたいだから一緒に楽しみたい。(3月15日)

今週初めから学校が始まった。2日から授業が始まる人はそこらじゅう探してもなかなかいないと思う。でも学校は嫌いではないので、静かに新学期を始める。
春休みを振り返り、
1,2はもちろんできた。5,6はできる範囲でした。8,9,10はそこそこ満足できるくらいはできた。12は呼ばれるままに行きそれなりに楽しみ、13。散歩をしに出かけることはなかったが、最寄の駅を使わず初めての道を20分くらい歩いたことがしばしばあり、なかなか面白かった。走る

問題の3,4だが、4は1年生のときの科目をほんの少し復習して時間切れ。これから(多分経みたいな休日はこれからするべき)少しずつするしかない。3は流体力学の本を読んでみたもののよくわからなかった。完璧にできるものではないと割り切れば上等。

しかしまぁ忙しかったのと急に仕事が入ったので7,11ができなかったのが残念だ。学期は始まったがいくつか予定はあるので、期待。

春休み中、あまり頻繁にネットにつなげなかったので「注目ブログ」に載せていただいたのにその頃は投稿できず、いつのまにか500アクセス突破していたのに記念の記事も書けず、もし定期的に読んでくださっている方がいらっしゃったらすみません。悲しいこれから細々と週1度は記事を書くので(そういうカテゴリーを作っておいてよかった)よろしくお願いいたします。
引越 [2007年03月21日(Wed)]
新しい生活を始めるあなたへというキャッチコピーで大学の所属サークルが家具家電のリユースをしている。大学卒業などで不要になった一人暮らし用品を回収清掃してその実費=破格で必要な主に新入生に販売する活動だ。
昨年は確かに新しいだろうと思っただけだった。しかしこの春我が家も転居し、本当に新しい生活なのだと思った。
初日はいつもの外泊の雰囲気だった。のんびり散歩し、自炊する宿舎の気分だった。しかし荷物整理したり近所に日用品店を探したりと、日が経つにつれただの外泊ではなくなってきた。まさに新しい生活だ。荷物を開けないと何もできない。新しい気持ちと同時に不安感がある。
私たちのリユース商品を手にする学生もこのように不安な気持ちを抱えて来るのだろう。親身になろうと思った。
決意 [2007年03月14日(Wed)]
自分の道を突き進んで一時は成果が出なくても、やっぱり良かったなと思うときが来ると2年前のこの日に思いました。
それから早2年。雑念が多くこの大切なことは忘れがちですが、自分を信じて日々頑張ろうと改めて決心します。きっかけをくれた後輩、どうもありがとう。
そんなことを考えていたら日付が変わる前に勉強時間がなくなってしまいました。明日から頑張ろう。
動物・植物 [2007年03月09日(Fri)]
最近、動物・植物と分類すると植物の記事がつながっています。(実際には昔の動物の下書きを更新したりしていますが)動物の記事を書くたびに書いているような気もしますが、わたしは動物よりも植物のほうが好きです。

わたしのせいを知っている方はだからか?とお思いかもしれませんが、多分関係ありません。わたしの大学の選択科目に植物科学・動物科学という科目がありましたが、わたしは迷わず植物のみ履修しました。(あまり成績はよくなかったが汗)試験も終わったので科学系の本も読もうと思いますが、植物の本はどれにしようか迷うのに、動物の本はどれもなぁと思って借りられていません。

どうしてなのでしょう。
以下は、少し整理がついたときに書き足します。
祝200アクセス! [2007年03月03日(Sat)]
最近、おかげさまでアクセス数が増えています。嬉しいと同時に、普段はテレビ番組の紹介も書いているので間違った情報を書かないようにと身が引き締まります。チューリップ
実は今学校の試験期間中なのであまり書いている時間はありませんが、アクセス数があまりにもキリがよかったのでちょっと、記念に書いてみました。

試験期間にお決まりなのでしょうか、また悩みごとが出てきました。悲しい勉強ができないとはこれほど悲しいことなのかとこの年になって改めて思いました。

最近、小学生の問題を解く機会があって、今の専門に近い内容なのに全然解けませんでした。中学受験をしなかったから仕方がないのかな、受験のときに覚えた子も今は忘れているのかな、とは思いますがやっぱり小学生の問題が解けないのは悲しいとともに恥ずかしく情けないです。中学のときはそれなりに勉強して、高校入学までは我ながら成績もよかったです。だから、中学受験をしたことの差はないのでしょう。

その後がいけなかったのかな、でも高校のときも遊んだり怠けたつもりはありません。でも大学受験はやっとこさ乗り超えた感じで、受かった大学の授業についていくのは一番の得意科目の英語以外正直つらかったです。そんな大学の友達はすごくできる子が多くて、日々の授業は何とか理解できても試験前がきつくて、こんなことを考えてしまいます。

聞いてみると、同じように感じている友だちもいるみたいですが、わたし一人じゃないと思ってもやっぱりしんどいな。どうやら高校でマスターし切れなかった単元が足を引っ張っているようなので、本当に高校からやり直したいなと思います。

必修科目の成績が出たのでこの4月も進級はできますが、じっくり復習する時間が欲しいです。とりあえずは月・火の試験に向けて勉強しますが。

気分転換のつもりで記事を書いても、こんな内容だと逆に気分が滅入ります。そんな時に、わたしの解決法は聖書の言葉を思い出すことです。
これは、どこかで「マタイ効果」と言われていた引用元でしょう。
マタイ25章14節〜「タラントン」のたとえ天使
解釈は色々あると思いますがわたしのお気に入りは、人と比べず与えられた自分の才能を大切に育てなさい、です。「タラントン」は「タレント=才能」の語源だそうですからね!

「タラントン」のたとえ、どんな話か書いたほうがいいですか?
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