2月5日土曜日になかの学舎で保護者懇談会を開きました。
前半はなかの学舎の常駐スタッフの二人から子ども達の活動の様子を、
後半には、特別ゲスト!25年前に子ども達が安心過ごせる居場所を開いていた、スペース・キールの小野慶子さんに来て頂いて、当時のお話や、そこに来ていた子供たちのその後についてのお話を伺いました。
前回のブログでは、前半のなかの学舎常駐スタッフからの「なかの学舎の子供たちの活動の様子」をお伝えしました。(前回の記事はこちら
なかの学舎懇談会 前半)
今回はスペース・キールを運営されていた小野慶子さんのお話をシェアさせて頂きます。
小野慶子さんのお話■ 教員時代の出来事小野さんは最初、都立養護学校へ勤務されていました。障害があっても本人が望めば普通校へ通えるように研究会などで訴えていたそうです。その後、八王子市立小学校へ教員として勤務されます。養護学校では普通校へ通いたくても通えない子がいるのに、普通校へ通っている子の中に「学校へ行きたくない」という子どもたちがいることに大変ショックをうけたそうです。
小学校へ勤務していたある年の夏、天候が悪くプールへ入れない日が続いていました。そしてようやく晴れたある日のこと、一人の子どもが小野先生のところへプールバッグを持ってやってきました。プールバッグは雨で入れない間ずっと学校に置いたままでしたので準備は万端でしたが、プールカードもその中に入れたままでした。プールカードを小野先生に見せたその子。保護者印が無かったそうです。
「プールに入りたいの?」すぐに察して声を掛けると、コクっとその子は頷きました。
その子は場面緘黙(たとえば家庭では問題なくおしゃべりができるのに、幼稚園や学校などの公共の場など特定の場面で「話せない」状態をいいます。)がある子でした。いつもなら自分の意思を表に出さないその子が「プールに入りたい!」意思を小野先生のところへ伝えに来てくれたことがとても嬉しかったそうです。
「分かった!じゃあ、今日は先生が代わりに押してあげるから」と保健室へ連れていき、養護の先生に体調を見てもらい、その子はプールに入ることができました。
この嬉しさを、思わず隣のクラスの教員にも伝えたそうです。
「あの子が、自分の気持ちを伝えに来てくれたんですよ!」
ところが、翌日の職員会議でその隣のクラスの教員が「みな決まりを守ってやっているのに、勝手な判断でプールに入れた教員がいる。これでは決まりを守っている教員が情がないと思われてしまうから、そういう事はやめてほしい」と言ったそうです。でも、あの日あの子がプールサイドにいるという場面は考えられなかったし、あの選択は間違っていなかったと小野先生は今でもそう思っているそうです。
「ゆっくりでいいのよ」と言いながら、チャイムが鳴れば子どもが集中して取り組んでいるところでも終わりにさせなければならなかったり、その後も学校現場では先生の気持ちとは裏腹なことばかりで葛藤があったそうです。そして、先生は身体的にも影響が現れ始めて、26年務めた学校を退職されました。
■ニュージーランドの教育の話そして、なんと!退職後に小野先生はニュージーランドへ飛んだそうです。他国の教育を知るために。小野先生の行動力すごいですね!
ニュージーランドの教育は日本の教育とは全然違うものだったそうです。
「学校はチャンス・体験を与える場所」という考えが基になっているそうです。
例えばある日のプールの授業、あちらの先生は「これからプールの授業なの〜」と、ひらひらのワンピースでプールサイドに立ったそうです。日本なら教員も必ず水着に着替えて、一緒にプールへ入って指導を行いますよね。
プールに入るか入らないは子どもと親が決める、「子どもたちの安全を見守るだけ。それが教師の仕事よ」と言われたそうです。
チャンス・体験は与えるけど、受け取るかどうかは子どもと保護者が決められるんですね。
日本は、入りたくても入りたくなくても、風邪やケガが無ければ授業だし絶対参加って雰囲気ありますよね。体調だけでなく、自分の意思でプールがお休みできるなんていいなぁって思います。プールの授業が苦手だった私の個人的意見ですが。
学校へ入学する時期も5〜6歳の時に子ども本人と保護者で決めるのだそうです。なので、時々パラパラと新入生が入ってくる。始まりが違うから、進みが違うのは当たり前。
進級は年齢ごとでなく、リーディングで振り分けられるそうです。
また、ニュージーランドではみな下の名前で呼び合うそうで、どこで出会っても皆が「Hi!Keiko!!」と声を掛けてくれて、自分に戻れた感覚になったとのことでした。
■スペース・キールのはじまり2年間をニュージーランドの教育現場で過ごし帰国した小野先生は八王子市内に子ども達が安心して過ごせる場所を作りました。これが
「スペース・キール」です。キール:Keelとは竜骨・船首から底を通って船尾まで貫通し船を支える材ことで、本人の中からしっかりしていく事が大切という思いで名付けたそうです。
プレハブの1階部分を借りて、みんなが集える大きなテーブルを一つ揃えて始めた居場所でした。
先生が大切にしたのは
・ 子どもには学ぶ楽しさをなんでもやりたいことができるようになる、楽しい思いをさせる場所にしたい
・ 大人は子どもとともに過ごせるよろこびをたくさんの可能性を持った子どもたちが成長していく、その貴重で短い子ども時代を一緒に過ごせることはとても楽しいことだと知って欲しい
・ 誘いこまない、追いかけないその子を良くしたいと考えて何かをしてしまいそうだけど、その子その子で違うんだからと、小野先生自身が心がけたことだそうです。
それから、ここでは先生と呼ばせない、他の大人も下の名前で呼び合うようにしたそうです。それはニュージーランドでの経験から。大人も自分に戻れる場所になるように。
子ども達との約束は「ひとのいやがることはしない」それだけ。
逆に嫌だったことは伝えること。そこで、じゃあどうしようか考えたそうです。
■スペース・キールはみんなの居場所小野先生は、スペース・キールを不登校の子どもだけが集まる場所にはしなかったそうです。
9時から5時までは学校へ行かない子の居場所、その後6時から9時まで学習塾を開いたそうです。借ている場所の家賃を捻出する目的もありましたが、学校の状況も知りたいと思っていたそうです。それは、学校へ行っている子の中にも精神的にギリギリでつらい思いをして登校している子がいると感じていたから、学校へ登校している子どもたちとも関わりたいと考えたそうです。
学習塾を始めると、ちょうど切り替わりの時間に不登校の子と学校に行っている子が混在することがあったそうです。その中で聞いた言葉が、「学校へ行かないなんて勇気があるな。えらい!」と「学校へちゃんと行っているなんてえらい!」と、お互いを称賛する声だったそうです。面白いですね。
それから親同士の繋がりなどもできて、ボランティアで来てくれる人がいたり、子どもたちのやりたいことに合わせてできる人に来てもらったり。そこからまたつながりが出来て手伝ってくれる人が来てくれたそうです。
色々な人が来てくれて、イベントなどもできて、そこからまた「こんなところがあったんだ」と知ってくれる人がいて、いろんな人が来てくれてキールの子どもたちも嬉しそうだったとのことです。 (つづく)
まだまだお話の続きはあるのですが、長くなりましたので今日はここまで。
続きは後編の後編ってことで、また次回のブログでお伝えします!お楽しみに!!
******************************************************************おまけ今日もストレッチ


竹鉄砲作り

外の小屋でおままごと

珍しく男の子たちも仲間に入って、みんなでレストランごっこ

なかの学舎の日常
******************************************************なかの学舎は小学校から高校生の年齢のお子さんが入会できます。
現在は八王子市内や近隣の地域から16名の子ども達が通ってきています。
「学校に行ってないけど、遊びたいな」
「学校外で自由に学びたいな」
「ホームエデュケーションだけど、時には家以外の居場所が欲しいな」
などなど、来てみたいなと思ったら、ぜひご連絡下さい。
(撮影 河口あすか)
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