九保大学生との写真WS!
[2015年08月06日(Thu)]
今月7日に延岡の街中を九保大の学生と当事者と
散策しながら写真を撮って、
参加者で鑑賞するという写真ワークショップを実施しました。
そのときの参加者が選んだ1枚の写真を、
今日から明後日まで「障がい者写真集団・えん」に掲載します。
それぞれの感性や考えが1枚の写真とキャプションによって
感じられると思います。
この写真WSは、撮った写真を通じて主体を明確にしていく
ことが狙いです。
何を撮るか、
最初から明確なテーマがあるわけはないので、
撮るという経験を積みながら
自分自身の感性や考えを探っていくことを
メインにしています。
また、参加者で鑑賞会をするとこには、
自分とは違う写真を認め参考にすることと
相手を認めるということをテーマに取り組んでいます。
何を撮るかが一義的で、どう撮るかは二義的なことです。
テクニックの部分は、経験によって習得できるので
それを一義的に考えると只々撮り方のみの写真になって
説明的な写真にならざるを得ないと言うことでしょうか。
一般的な刷り込まれた美的価値観ではなく、
その人の潜在的に持っている感性を現すこと、
即ち撮る行為でその人の潜在的な価値観を示すことに
なることを実践している写真WSなのです。
散策しながら写真を撮って、
参加者で鑑賞するという写真ワークショップを実施しました。
そのときの参加者が選んだ1枚の写真を、
今日から明後日まで「障がい者写真集団・えん」に掲載します。
それぞれの感性や考えが1枚の写真とキャプションによって
感じられると思います。
この写真WSは、撮った写真を通じて主体を明確にしていく
ことが狙いです。
何を撮るか、
最初から明確なテーマがあるわけはないので、
撮るという経験を積みながら
自分自身の感性や考えを探っていくことを
メインにしています。
また、参加者で鑑賞会をするとこには、
自分とは違う写真を認め参考にすることと
相手を認めるということをテーマに取り組んでいます。
何を撮るかが一義的で、どう撮るかは二義的なことです。
テクニックの部分は、経験によって習得できるので
それを一義的に考えると只々撮り方のみの写真になって
説明的な写真にならざるを得ないと言うことでしょうか。
一般的な刷り込まれた美的価値観ではなく、
その人の潜在的に持っている感性を現すこと、
即ち撮る行為でその人の潜在的な価値観を示すことに
なることを実践している写真WSなのです。



